第4話 忍び寄る影

その日から学校はしばらく休校になりました。

男性教諭の死はもちろんのこと、不可解な放送の原因がわからない以上、生徒の安全を担保できないというのが、連絡網を通じて回ってきた学校側の説明でした。

もっとも、あの恐ろしい声を聞いた生徒の多くが体調を崩していたので、学校側が決断しなくても程なく学級閉鎖などになったと思いますが。


そんなわけで、夏休みが終わったばかりだというのに私は、不意に訪れたあてのない休暇を持て余すことになりました。

兄も皐月も学校があるので遊ぶ相手がいません。

学校の友人達ともあまり積極的に遊ぼうとは思わず、私はなんとはなしに神社へ行きシズ婆さんと過ごすことが多くなっていました。


シズ婆さんはほぼ毎日訪れる信者さん達の相談相手をしていました。

この町で何が起きているのか、自分達はどうすれば良いのか。

決まってそう聞かれるのでシズ婆さんも若干疲れているように感じました。

「いつも通りに過ごしなさい。よくないものがこの町に来ているのは事実だけれども、それに負けちゃあいけないんだ。この町を出るというなら止めはしないけど、たとえ逃げてもアレは追いかけてくる。そういうもんだ。だからこの町にとどまって解決を待ちなさい」

シズ婆さんはそう言って信者さん達を励ましていました。


自分達が必ず解決すると約束しているので、シズ婆さんには何か解決策があるのだと私は思っていました。

「シズ婆さん、よくないものって?」

「ケイタ。あんたにはこの手の話はまだ早いと思うんだ。婆ちゃん達に全部任せな」

「うん。だけど僕も学校で声を聞いたよ?」

私はスピーカーから流れてきた恐ろしい唸り声を聞いています。

あの声を思い出すと震えがくるほどに恐ろしい思いをしました。

「僕もあいつに狙われてると思うんだ」

「そんなことはないさね。アレが恨みの対象にしてるのはこの町自体だからね。あんた1人を狙うわけじゃないのさ」

町自体が標的なら私自身も標的だったわけですが、シズ婆さんの謎の説明で私はその時は黙ってしまいました。

しかしその後も私は何度となくシズ婆さんに怨霊や怪異について質問をしました。

シズ婆さんは答えてくれたり、はぐらかしたり、出来るだけ私を不安にさせないように苦心してくれていたようです。


後にわかったことですが、死んだ男性教諭の生首を見た時にシズ婆さんは怨霊の姿を霊視していました。

シズ婆さんが話してくれた内容によれば、男性教諭の生首を見た時に、この一連の怪異の原因が一つの怨霊であることがわかったといいます。

途方も無い怨念を湛えた悪意の集合体。

自然災害すらたやすく起こせるほどの強力な怨念の力を感じたといいます。

「オバケに自然災害なんて出来るの?」

「ああそうさね。怨霊というのは時に凄まじい力を持つんだ。むかーしむかしの話だけどねえ。菅原道真公の怨霊は皇居に雷を落として何人も殺しとる。崇徳院に至っては天皇家の支配する世を終わらせなさった。怨霊というのは怨念が強ければ強いほど、何でもありになっちまうもんさね」

好奇心から後々調べたことによると、日本の歴史の中では、怨霊による国家規模の危機が幾度も起きているのがわかりました。

とくに日本三大怨霊と呼ばれる怨霊が引き起こした厄災はド派手なものが多く、調べながら不謹慎にもワクワクしてしまったのを覚えています。

そして心から思うのです。

私達の町を襲ったあの怨霊は、日本三大怨霊に勝るとも劣らない凄まじい怨念を持っていたのだと。


小学校で流れた恐ろしい声は、その後も幾度となく私達の町で住人を震え上がらせます。

だいたい多くの人が集まる施設でスピーカーから聞こえてくるのですが、中には電話で直接かかってきた人や、後ろからうめき声が付いてくるのを聞いて走って逃げ出した人などもいて、もはや怨霊の存在を疑う人はいませんでした。


秋がいよいよ深まり紅葉が山々を染め切った頃、神社に数名のお坊さんが訪ねてきました。

その日も私と兄は神社で皐月やシズ婆さんと話していました。

というよりも私達兄弟は自宅にいるよりも神社にいることの方が多かったので今更という話ですが。

お坊さん達は袈裟を着て頭に笠を被った出で立ちで、手には錫杖を持っていました。

神主さんが迎えてお互いに挨拶を交わした後、シズ婆さんも一緒に拝殿に通されました。


私達は外で聞き耳を立てていました。

しばらく話が続いた後、なぜか私が呼ばれました。

私と兄そして皐月も一緒に拝殿へ入って行きました。

小林ケイタです、と挨拶をしました。

お坊さん達が訝しげに兄と皐月を見ていました。

神主さんが皐月と兄に「お前達は出ていなさい」と言いましたが皐月が譲りませんでした。

「ケイちゃんのことは私達が守るの」

そう言って私の手を握ってきました。

私は恥ずかしかったですが、嬉しくもありそのまま手を繋いでいました。

お坊さんの中で最も年嵩と思われる人物がニッコリ笑って「構いませんよ。どうぞ座って」と言いました。

この年配のお坊さん(住職さんとします)は、この町のお寺のまとめ役みたいな人で神主さんとも面識があるようでした。


住職さんは私に学校で起きたことを最初から話してほしいと言いました。

私は神主さんやシズ婆さんにしたのと同じように、登校してから死体が発見されるまでのことや、神主さんが来てからあの声が聞こえて、シズ婆さん達が応援に来てからどうなったのかということを、できる限り克明に話しました。

兄や皐月にもすでに同じ話をしており、驚いた様子もなく聞いていました。

住職さん達は頷きながら私の話を聞いてくれ、時折ウーンと唸ったりしていました。

一通り話し終えると、住職さんは変わらぬ笑顔で「怖かったねえ」と言いました。

「はい。でも神主さんや皆が来てくれたから……」

神主さんやシズ婆さんや皐月の顔を見回して言いました。

住職さんはうんうん、と頷いて言葉を続けました。

「学校のお友達は体調を崩した子も多いと聞いてるんだけど、ケイタ君は大丈夫なのかい?」

私が黙って頷くと、

「なんともない?そりゃあ良かった」

住職さんはうんうんとしきりに頷きます。

どことなく口調も砕けてきて、住職さんは実はべらんめえ的な喋り方をする人なのだと気付きました。


そしてしばらく質疑応答のような形になりました。

霊の声は何人くらいだったとか。

男性教諭の死体が吊るされているのを最初に見つけたのは誰だとか。

他にもおかしなことが起きなかったかとか。

そういったことを聞かれたと思います。

全て神主さんやシズ婆さんに聞かれたことと同じ内容でした。


「いやよくわかった。ケイタ君、怖いことを思い出させてごめんね」

住職さんはそう言って頭を下げてくれました。

「大丈夫です。あれからもうずっと怖いし。それに、学校で起きたことよりもこれから何が起きるのかの方が怖いです」

住職さんはフゥとため息をついて座りなおしました。

「そうだね。その通りだ」

うんうんと頷いています。


「それでですな篠宮さん」

住職さんが神主さんに顔を向けます。

「そちらさんでも同じでしょうが、私らの所にも相談や除霊の依頼がわんさか来とるんですわ」

住職さんが何度目かのため息をつきました。

「小学校でのことで敵さんがいることははっきりしたと思う」

怨霊のことを敵と言い切りました。

「連続殺人だけじゃなくご遺体を穢して威圧したり、スピーカーから声なんぞ聞かせて子供をビビらせたり、厄介な奴ですわ。正直言って私の知る限り最悪ですな」

「同感です。全くほとほと困っていますよ」

同じく疲れたようにため息をつく神主さん。

「篠宮さん、この町ではこちらの神社が最も古い。何かこう、古い文献とか残っとらんですかな?」

住職さんがいつかの警察と同じ質問をしました。

「いえ。私も調べ尽くしましたが、怨霊の類に関する文献は残っておりませんでした。そもそもこの町は古くから霊障の類とは無縁だったようです」

「そうですか。いやまいった。手掛かりすらない」

住職さんが天井に顔を向けてウームと唸りました。

「手掛かりというほどでもないけどねえ」

その時おもむろにシズ婆さんが声をあげました。

そしてあの時学校で霊視した内容を話し始めたのです。


「一連の災いは全て一人の怨霊の仕業さね」

ゆっくりと、周りにはっきり聞こえるように。

「地震も大雨も、首吊りも心臓発作も、全部あの怨霊が一人でやったことさ」

「わかるんですか?その怨霊の素性は?」

すかさず住職さんが口を挟みます。

「素性なんてわからないねえ。そんなもんがあるのかもわからん。凄い数の人間達の怨念が寄り集まって1つになってるんさね」

129、とシズ婆さんは言いました。

「沢山の魂があるということがわかった後で129という数字が見えた。おそらくだけんども、129人の魂が寄り集まってるんだ」

「なんと……」

絶句する住職さん達。

神主さんは事前に聞いていたのか難しい顔で静かにしていました。

100人を超える魂が集まった怨霊。

想像がつきませんでした。

「ふぅむ……そうなると……村や集落なんかがまるごと怨霊に取り込まれたか、なんらかの呪術的な集団だったのか、あるいはもっと古い、一向宗などの宗教的な団体だった可能性もあるか」

住職さんは様々な可能性を考えているようでした。


「素性についてはなんともわからなかったよ。ただ怨念の強さは凄まじいもんさね」

自然災害すら容易いと言ってたのを思い出しました。

「台風や地震はきっかけの1つにすぎんと思う。もともとそれらが起きることを見越してこの町に来たかもしれん」

そしてそれらを利用して災いを成した。

なんでもありすぎてにわかには信じられませんでした。

「荒ぶる神、と言った方が伝わりやすいかもしれん。それほどにアレの怨念は強い」

まるで神様のような力の使い方を怨霊がするなど、恐ろしい以外に表現しようがありません。

私の中にある種の畏れのような感情すら湧き起こりました。

そんな強大な存在に立ち向かう術など無いように思われました。


「神であれば鎮め、奉り、お社でも作ってお祀りすれば良いのだろうが、アレは違う」

シズ婆さんは頭を振ってはっきりと言いました。

「この町の滅亡を望んでる。逆に言えばこの町を滅ぼしたら消える、アレはそういうもんだ」

「………………」

住職さんは声が出ません。

「誰か個人を呪ってるわけじゃない。怨みの念以外なにもないから対話も鎮魂も無理さね。根気強く祓っていくしかないと思うよ」

そう言ったきりシズ婆さんは沈黙しました。


シズ婆さんが話し終えた時、住職さんが呆気に取られながら言いました。

「いやあ凄い……さすが篠宮神社の神嫁さんだ。ご遺体からそこまで読み取るとは」

住職さんも他のお坊さん達も困惑していました。

私達も充分に恐れ、困惑しています。

正体不明の怪異が、多くの人間の魂が寄り集まった怨霊だということがわかっても、対処の仕方が分からなければ前に進んだとは思えなかったのです。

しかし住職さんはそれでも収穫はあったと納得したようでした。

「シズさん、話してくれてありがたい。これからもわかったことがあればなんでもいいから教えてください」

そう言って頭を下げました。

シズ婆さんが住職さんにも尊敬されているのを見て、なんだか誇らしく思い、場違いながら微笑んでしまいました。


「それで、ですなあ篠宮さん」

住職さんが再び神主さんに話を向けます。

声のトーンが落ち着いたように感じました。

神主さんも「はい」と答えて顔を向けます。

なんとなく、ここからが本題という空気を感じました。

「敵さんがとんでもねえ化け物だというのはわかった。が、対処の仕方がわからん。私らも懸命にやっとりますが、災害こそ起きないもののあちこちで首くくりが起きて町の皆さんは不安でつぶされそうになっとりますな」

「おっしゃる通りです」

神主さんが頷きます。

「それに加えて小学校を始めとしたうめき声の事件。最初は噂話から、そして徐々に影が目撃されるようになって、今度は声ときた」

住職さんの口調が一段と早くなりました。

「敵さん、どんどんこちらに近づいて来てるような気がするんですがね」

そう言い終えた後、住職さんは一旦言葉を切って座りなおしました。


怨霊が近づいて来ている。

昨日まで存在すら感じなかったのに、気がついたらすぐ後ろをヒタヒタとついてくる足音がする。

そんな不安が重くのしかかって来ました。

はっきりとした恐怖の他に、漠然と感じていた不安。

それが住職さんの言葉で形を成し、学校での体験と重なっていよいよ恐怖に身体が震え出しました。

手を握られる感触があって右隣を見ると皐月が手を伸ばして手を握ってくれていました。

大丈夫だからね、そんな目をしてウンと頷いてきます。

自分だって怖いだろうに、年下の私を気遣ういつも通りの皐月に安心したのを覚えています。

勇気をもらった私は皐月に頷き返して、話を続ける住職さんに視線を戻しました。


「我々はこれまでもお互いの立場や教義を尊重してうまくやってきたと思っとります」

「おっしゃる通りです」

神主さんも淀みなく応えています。

「ことここに至った以上、我々も一致団結して対処する必要があると思うんです」

やや間をおいて住職さんが提案を口にしました。

「篠宮さん、ここらでいっちょ篠宮神社さんと我々で共同声明でも出せませんかね。できればカトリックさんも交えて」

神主さんはすぐには応えられませんでした。

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