第9話 受け継がれる因果

シズ婆さんの葬儀が執り行われ、町に再び怪異の影が落ちてきました。

三年前のように怪談話めいた現象が町のあちこちに起き始めたのです。

首吊り死体こそ出ませんでしたが、それも時間の問題のように感じられました。


一刻も早く次の祈祷を行う必要がある。

そのために急遽、神主さんが皆を集めて遺言を残すということになりました。

生前にお別れの挨拶を済ませ、その後、シズ婆さんと同様の祈祷を行なって怨霊を鎮めるための人柱となる儀式に臨むということでした。


神社の集会所に集まって神主さんからそれらの説明を受けました。

集まった全員が沈鬱な表情で神主さんの話を聞いていましたが、神主さん自身は無理しているのか、いつも以上に明るく振舞っていたのを覚えています。

しかし私をはじめ一部の者は疑問に思っていたと思います。


神主さん、できるの?……と。


霊感が強いシズ婆さんだからこそ、私の清祓いに合わせて怨霊調伏の祈祷を行うことができ、結果として怨霊との対話ができるところまで至った筈です。

自ら霊感が弱いと言っていた神主さんが果たして同じ結果を出せるのかという疑問は当然のものでした。

私は思い切ってそのことを聞いてみました。


「あの……怨霊を呼び出す方法って……わかってるんですか?」


神主さんはウンと頷きました。


「シズ婆さんの遺品の中に儀式の手順と祝詞が書かれた資料があったよ。祝詞がわかってるなら後は通常の祈祷と同じだから多分大丈夫」


多分かよ………。

内心のツッコミを押し殺して私は「わかりました」と言いました。

お別れ会まで開いておいて、出来ませんでしたでは格好つかないぞと思いましたが、神主さんはふざけている訳ではなく大真面目です。


「一応、私の後にお役目が必要になった時のために私も資料を残してあるから、万が一必要な場合はそれを参考にしなさい」


なのでここは成り行きに任せるしかないと思いました。

そんなフワッとした緊張感の中で神主さんの遺言を聞き、それなりに涙を流してお別れ会は終わり、翌日、祈祷が行われました。


拝殿の中で以前と同じように皐月が巫女舞を舞いました。

神主さんの手助けを神様にお願いするという理由でしたが、実のところは違いました。

三年の間、一心に神楽を学び続けてきた皐月の舞は素晴らしく、見慣れているはずの私達ですら心を奪われてしまう見事なものでした。


神懸かり。


皐月はこの時まさに、御祭神である神様と心身ともに合一していたのでした。

その舞の中で皐月は神様と心を分かち合い、神様の思いと皐月の思いが合致するところまで自分を神様に寄せていきました。

そして皐月の願いもまた神様に委ねていったのです。


静かに舞い終えた皐月が御神体に拝して私の隣に座りました。

続いて神主さんが進み出て祈祷を始めました。

いつか聞いたシズ婆さんオリジナルの祝詞を唱えます。

するとこの3年間チクリともしなかった私の足首の痣が疼き始めました。


「っ………!」


こんなに簡単に怨霊を引き出せるのかと驚きましたが、徐々に強くなる痛みで思考は続きませんでした。

やがて痣から血が滲み、痛みに耐えきれず姿勢を崩した私を、以前と同じように皐月と母が支えてくれました。


「ぉ…ァぁぁあアぉぉォおお………!!!!」


怨霊のうめき声がお堂の中に響き、神主さんの祈祷が熱を帯びていきました。

シズ婆さんのように歩き回ることはないまましばらく祈祷が続き、やがて神主さんがうずくまり動かなくなりました。

一番古株の神職さんが神主さんの祈祷を引き継いで御神体に祈り、祈祷が締めくくられました。


救急車が呼ばれて神主さんが運ばれていき、人柱の儀式は終わりました。

儀式の成功による安堵と、新たな人柱となった神主さんを悼む気持ちで、私達はしばらくお堂の中で話していました。

そうしていたら皐月がフラフラとし始め、やがて蹲りウンウンと唸りだしました。

ギョッとする周りの人達。

まさか怨霊かと皆が身構えたのがわかったので「大丈夫です」と手振りを交えて言いました。


「皐月ちゃんは巫女舞を踊った後によくこうなるんです。シズ婆さんが言ってましたが、神懸かりというやつです」


そう説明して、皐月の母親が運転する車に皐月を乗せて見送りました。

氏子さんの代表が皆に解散を促し、神職さん達に挨拶してそれぞれ帰途に着きました。


そして3日後、神主さんが目を覚ましました。


病院で付き添っていた皐月が、目を覚ました神主さんに驚いて私に連絡をしてきました。

病院に行くと皐月と皐月の母親、そしてベッドに腰掛ける神主さんがいました。

人柱が目を覚ますなんてどういうことかと尋ねるのもなんとなく憚られたので「ご無事でなによりです」なんて訳のわからない挨拶を口にしました。


神主さんは申し訳なさそうな難しそうな顔をして頷きました。

神主さん曰く、あの日確かに怨霊を呼び出し、神主さんが町に変わって恨みを引き受ける旨の祝詞を唱え、怨霊もそれに縛られて神主さんの霊を痛めつけたり殺したりする以外に何も出来なくなったようでした。

そして実際に神主さんは怨霊に何度も殺される体験をしたと言います。

そのまま怨霊の無念が晴れるか、神主さんの肉体が何らかの事情で死ぬかするまで、神主さんは怨霊の復讐に付き合うつもりだったと。


しかしながら何故か目覚めてしまった。

目覚めた理由は不明。

儀式が間違っていたのか、霊力が足りないからか、はたまた別の理由があるのか、今は皆目見当がつかないとのことでした。


しかし人柱となった神主さんが目覚めてしまえば、再び町に怪異が現れるのは時間の問題です。

急いで対策を考えようということになって、その日は解散しました。

その夜、皐月は怨霊に殺される夢を見ました。


朝になり皐月の母親から連絡を受けた私は朝食も取らずに皐月の家へ駆けつけました。

皐月の家へ到着した私は呼び鈴を鳴らして返事を待たずに家へ入りました。

「皐月ちゃん!おばちゃん!入るよー!」

そう声をかけて靴を脱ぎ居間へと急ぎます。

そこには母親にすがりついて眠る皐月と、その肩を抱いてこちらに顔を向ける皐月の母親の姿がありました。


皐月の母親、早紀江さんが言うには、明け方に皐月の叫び声で目が覚めて部屋に行くと、皐月がベッドの上で泣き叫んでいたといいます。

眠っているのか目を閉じたまま、体を捩りながら絶叫する皐月を無理やり起こそうとして、肩を揺すって声をかけたりしていたら、皐月は目を大きく開き涙を流したそうです。

そしてのけ反り口を大きく開けて舌を突き出すような格好になりました。

そのまま「ぁ……ぉ……か……」と呻く皐月。

まるで誰かに首を絞められているかのようなその様子に、早紀江さんは皐月を引っ叩いて起こそうとしたようですが、皐月はまったく目を覚まさなかったそうです。


不意に糸が切れたように皐月がベッドに沈みました。

早紀江さんは皐月が死んだと思ったそうです。

が、ものの数秒で皐月は目を覚ましました。

そして早紀江さんにすがりついて号泣し、居間に移っても泣き続け、そのまま泣き疲れて眠ってしまったのでした。

早紀江さんはどうすることもできないまま、入院中の神主さんに連絡を取ることもできず、とりあえず私に連絡をしたのでした。


早紀江さんから事情を聞いた私はそのまま病院に走りました。

神主さんに今朝起きたことを伝え、今後どうするかを相談しましたが、目覚めないはずなのに目覚めてしまった神主さんに解決策など思いつくわけもなく、とりあえず皐月が目を覚ましたら話を聞くということだけしか結論は出ませんでした。


皐月の家に戻ると皐月は起きていました。

朝食の支度をする早紀江さんを見ながら居間でぼーっとしているところでした。

学校は休むとのことでした。

私は自宅に電話して母に学校を休む旨を伝えました。

そして皐月に夢の中で何があったのかと尋ねました。

皐月は夢の中で殺されたと言いました。

にわかには信じられない話でしたが、神主さんの祈祷が失敗したのか、なんらかの原因で神主さんのお役目が皐月に移ってしまったのだと思いました。


それからの皐月の有様は酷いものでした。


眠りにつくと怨霊がやってきて皐月を痛ぶるのです。

まず怨霊はかつて自分がどのように殺されたのかを皐月に幻視させます。

そしてその苦しみと同等の痛みを皐月に与えた後で殺すと脅し、実際に皐月を痛めつけた上で殺すのです。


「いやあああ!!痛い…痛い…!……ごめんなさい!……ごめんなさい!……いや…だ……」

眠っている皐月が突然叫びだし、痛みに悶えて体を捩ります。

その声は決して幻などではありえない、強烈な痛みを感じて上げる絶叫でした。

早紀江さんだけではとても支えきれず、私や私の母が泊まり込みで皐月と早紀江さんをサポートしました。

退院した神主さんも時間があるときは皐月の家に駆けつけていました。


怨霊にいたぶられている間、皐月は私達の呼びかけが聞こえません。

実際それどころではないのです。

必死に呼びかけて皐月を抱きしめるのですが、痛みに悶絶する皐月は誰の手をも振り払いのたうち回ります。

時には髪の毛を掴まれて振り回されるかのようにベッドから身を投げ出したり、頭を壁に打ち付けたりしました。

私達はそれが恐ろしく、痛みと恐怖に泣き叫ぶ皐月をただただ見守るしかできませんでした。


皐月は眠れなくなりました。

寝ると怨霊がやってくる。

その恐怖に皐月の精神が眠るのを拒否したのです。

かつて数日おきにシズ婆さんが殺される夢を見ていた皐月でしたが、皐月自身が夢の中で殺される頻度はほぼ毎日でした。


寝られなくなると起きている間にも怨霊が現れるようになりました。

普通に話していたはずの皐月が突然叫んだかと思えば、眠っていた時と同じようにのたうち回ったり、ベッドやソファに押し付けられるようにして首を絞められたりするのです。

窓から部屋の中を覗き込む怨霊を見つけたらしい時には「もういやー!!」と叫んで頭を抱えてそのまま首を捻り折られることもありました。

皐月が見ている世界は恐ろしく、皐月に加えられる暴力は苛烈でした。


当たり前ですが殺されているのは皐月の魂というか精神なので、現実の皐月が死ぬことはありません。

それでも実感として殺される体験を何度も繰り返すことで、皐月は日に日に弱っていきました。

目に見えて衰弱しながらも、繰り返し現れる怨霊に慄きながらも、皐月はしっかりと自分を保っていました。

ある意味シズ婆さんよりも辛い経験だったかもしれません。


早紀江さんが取り乱して神主さんに儀式を行うよう詰め寄ったことがありました。

自分が身代わりになるから皐月を解放してくれと。

神主さんも真剣に考えていましたが皐月が拒否しました。


「あの時ね、神楽の最中に神様にお願いしたんだ。私がお婆ちゃんのお役目を継ぎますって」


「なんと………」


神主さんが絶句しました。


「なんでそんなことを!」


早紀江さんが皐月の両肩を掴みました。

皐月は困ったように少し笑って言いました。


「わからない。でもお婆ちゃんが一人で戦ってる姿をずっと見ていたから、他の人に継がせちゃいけないって思ったんだ」


「うおおお……」


そんな声を上げて神主さんが男泣きしました。


「皐月…すまない…私がちゃんとやれていたら……」


「叔父さん、ごめんね勝手なことをして」


皐月はそう言って体を前に揺すりました。

さっきから何度か、不規則なタイミングで前後に揺れています。

まさか。


「皐月ちゃん…今もしかして何かされてる?」


私は皐月にそう聞きました。


「うん、なんかさっきから背中をチクチク刺されてる。子供の霊だね」


皐月はそう言って少し辛そうに笑顔を作りました。


「そんな!皐月!やっぱり私が代わるから……」


早紀江さんが皐月を庇うように抱きしめました。


「うん。子供だからかな、あんまり痛くないや。だから平気だよ」


そう言いながらも皐月の額には脂汗が滲んでいました。

子供の力といっても背中を刺されて痛くないはずがない。

それでもマシだというほどの苦痛を、ほぼ毎日その身体に受けているということでした。

私達は皐月の置かれている状況のあまりの悲惨さに改めて気づかされました。


そしてとうとう、私にとって因縁のある霊が現れました。

大法要のあの日、私を殺そうとして足首に消えない痣をつけたあの女の霊です。

いつものように皐月の家で皐月と共に過ごし、今日は怨霊の襲撃もなさそうだと思い始めた頃、足首がジワリと痛みました。

同時にかつて経験したことのない恐れが私の中に沸き起こりました。

胃の中に苦くて重い液体が流し込まれたような感覚。

全身の血液が泡立ち耳の後ろでガンガンと耳鳴りが響くような切迫感を感じて私は何かが来たと確信しました。

冷や汗が一瞬で全身を濡らし、雫となって首筋から背中に伝いました。


どこだろう。


そう思って部屋の中を見回しました。

すでに日が落ちて外は暗く部屋の明かりが窓に反射しています。

部屋の中がうっすらと映るその中に、外からこちらを凝視するあの女の顔がありました。


「うわっ!!」


私は叫んで立ち上がり部屋の反対側へと後ずさりました。

皐月もまだ気づいていないのに私だけが女の霊に反応していました。

その女は窓の外から皐月ではなく私をじっと見ています。

あの時のように長い黒髪を顔に張り付け、血走った目を見開いて睨みつけるその女は、間違いなくあの時の霊でした。

女から距離を取るように部屋の反対側の壁に張り付いた私の背後、その壁の向こうからバン!と壁を叩く音が聞こえました。


「っ………!」


心臓が止まるかと思いました。

反射的に壁から体を離して後ろを振り返りました。


バン!バン!バン!


立て続けに壁を叩く音が聞こえ、その音で皐月達も怨霊が来ていると気がつきました。

皐月は何が起きてもいいようにソファに腰掛けてギュッと両腕を抱いています。

早紀江さんが皐月の隣に駆け寄って皐月の肩を抱きました。

再び窓に目をやると女の霊はまだ窓の外から私を見ていました。


バァン!と一際大きな音で壁が叩かれました。


足首が疼いたので目を下に向けると私の足元で女の霊が私を見上げていました。

そんな!今まで外に!と思った時には女の霊は私の右足首を掴みました。

次の瞬間、私は足首を引かれて倒れました。

もんどりうった私を女の霊がすぐ近くで見下ろしてきました。

あの時と同じように。

あの時の続きだとでもいうように。


「うわ……うわあああああ!!!」


気がついたら叫んでいました。


「ケイちゃん!どうして!」


皐月が叫びました。

女の霊は私の顔の間近まで顔を寄せてきました。


「ぁあァァぁ……ァあぁぁァァアアア……」


その声がどこか愉快さを含んでいるような気がして怒りがこみ上げてきました。

楽しんでやがる。

この野郎。

そう思いましたが恐怖に勝てませんでした。

ひっと間抜けな声が喉から漏れるのみです。

女の霊が私の目を覗き込んできました。

そして私は見せられました。


その女が殺される時の一部始終を。

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