第5話 大法要

住職さんの提案は頻発する怪異とその恐怖に怯える住人への対応として、地域の各宗教の指導者が連名で声明を出し、安心を呼びかけるというものでした。

そして可能ならば合同で何かしらの集会も開きたいと考えているようでした。

「確かに。ここまではっきりと怪異の正体がわかっているなら、住職さん達の方が具体的な対策も取れそうなんですよね」

神主さんが言いました。

「これはどちらがどうの、という話ではないんですが、私ら神社の考えでは悪霊を祓う、という積極的な儀式はないんです。私らが祓うのは災いや穢れですから、神社のお祓いというのはお寺さんのやる除霊みたいに悪霊をやっつけるようなのではなく、場を清めて正しいあり方に戻すような感じなんです。神様と人間との仲を取り持つのが私らの役目ですから」

まあ、シズ婆さんみたいな人はある程度はババっとやっちゃうかもしれませんが、と笑いながら神主さんが続けます。

私は神社にはお祓いがないというのがピンと来ず、少し混乱し始めていました。


「それは承知しています。だがそう考えてくれているなら話が早い」

住職さんが若干前のめりになってまくしたてるように続けました。

「今度私らの方で悪霊退散の大法要を行います。その場に篠宮さんもできれば同席していただくだけでも、住人の皆さんには私らが一致団結しているように見えるでしょうな」

「そのくらいなら何の問題もありません」

「ありがたい。カトリックさんにも話はしてみますが、あちらさんは難しいかもしれませんなあ」

神主さんが同意を示したことで、その後の大法要の打ち合わせが始まりました。

ここからの会話はあまり覚えていません。

子供心になにやら退屈な話が交わされていたと記憶しています。

記憶にない部分は伝聞や後に調べた内容です。


住職さん達が神社を訪れてから数日経ってのことです


篠宮神社 宮司 篠宮宗比古

陽明宗妙連寺 住職 大迫一禅

聖アンデレ天主教会 教区司祭 トマス柳田順徳


この3人の連名で町の人に対して異例の声明が出されました。

共同声明の内容は、神仏を信じて気をしっかり持つこと、不安があれば信仰する宗教の指導者を頼ること、怪異に対して地域で団結し総力を挙げて対応するので、どうか安心してほしいなどの内容で、回覧板や新聞の折り込みなどで町の全域に配布されました。

神仏習合などで日本人にとっては親和性のある神道と仏教ならまだしも、なんだったら他宗教を目の敵にしそうなキリスト教の神父さんが連名に加わったのは意外なことでした。

しかしそうしなければならないほどに、私達の町は怪異を恐れていたのです。

徐々に色濃くなっていく怪異の影。

やまない首吊り。

不可解なうめき声。

住人の不安は爆発寸前でした。

カトリックだけ我関せず、というわけにはいかなかったのだと思います。


声明を発表してから数日の間、神社の電話は鳴り止みませんでした。

ひっきりなしにかかってくる相談の電話。

かけてもかけても話し中だという苦情も時にはありました。

電話だけではあまりにも効率が悪いというので、住人の人達に集まってもらって相談会を開くことになりました。


神社の集会所では入りきらないため小学校の体育館を借りて行われました。

朝から雨が降っており肌寒い日でした。

この頃には小学校も再開していたので土曜日の昼に相談会が開かれました。

その日も私達はお茶汲みやらパイプ椅子の準備やらに追われていました。

朝早くから小学校に集合して、神職さんや休日出勤の先生に混じって私も兄も皐月も走り回っていました。

今思い返すと本当に神社の小坊主のような兄弟でした。

まあ兄はもちろんのこと、私も皐月目当てだったので当然の成り行きだったのですが。


徐々に住人の人達が集まってきて体育館の半分ほどが埋まりました。

住人の前に並んで座っている神主さんとシズ婆さん。

長机の上に資料やマイクが置かれていました。

予定の時刻となり神主さんがマイクを持って挨拶をしました。

相談会は荒れるということもなく淡々と進んでいきました。

住人の相談内容は神社を訪れた人達がシズ婆さんにしていたのと同じ内容でした。

町に何が起きているのか。

自分達はどうすればよいのか。

ほぼそれだけです。

それらに対して神主さんが答えていくという形でした。

一連の怪異はとある怨霊によるものであること。

強力だが祓っていくしかないということ。

町を出ても解決しないこと。

などが丁寧に説明されました。


その席で1人の男性が手をあげました。

50代半ばの精悍な体つきの男性で、名前を曽根崎さんといいます。

曽根崎さんは一冊の冊子を取り出しました。

熊本にある彼の実家に古い蔵があるらしく、大昔に蔵を掃除した際に見つけた古文書だといいます。

長い間、本の存在すら忘れていましたが、一連の怪異が起き始めた時に、もしやと思って熊本まで取りに行き、それを今日持って来たのでした。

本当はもっと早く誰かに相談すればよかったが、内容が内容だけに気乗りせずに放置していたんだそうです。


『◯◯村忌録 きろく

それは私達の町の古い名前が書かれた古文書でした。

誰もその存在を知らない、神主さんですら始めて見聞きする古文書だったといいます。

判読し辛いながらもちゃんと内容の読み取れるその古文書には、私達の町がまだ点在する村々であった頃の、思いもよらない凄惨な歴史が記されていました。

その文献によると、私たちの祖先は近隣のとある村と歴史的ないざこざを抱えており、結果としてその村を壊滅させたとのことでした。

今でいう被差別部落、当時はもっと侮蔑的な呼び方だったそうですが、その集落を襲って女子供に至るまで皆殺しにしたと書かれているそうです。

後に消失したため今となってはその古文書を読むことはできませんが、


馬蹄バテイニテハラミツケツブス』

四肢シシクダ息絶イキタヘヌママイエハナ焼死ショウシセシム』

幼子オサナゴアシチテタカカカチツケアヤメタルニハナハムゴ悪鬼羅刹アッキラセツ所業ショギョウナリ』

我等最早人ワレラモハヤヒトアラズ』

そんな内容が書かれてあったと覚えています。


おおよその内容を曽根崎さんが読み上げたところで、集まった住人の1人が声をあげました。

「じゃあその呪いだってか?それで今んなってこんなに人が死んでんのかよ」

男性は曽根崎さんに食ってかかるように声を荒げました。

曽根崎さんは男性を制するように両手を前に持ち上げました。

「わかりませんよそんなことは。だから神主さんに見てもらおうと思って持ってきたんです」

「その本が確かなものかどうかもわかるもんか!」

男性はかなりヒートアップしていました。

「私だってそう思ってますよ。そういうことも含めて、神主さんに預けたいと思っとるんです」

曽根崎さんは神主さんの前の長机に古文書をバサッと放りました。

「差し上げますからね。それ」

そう言って古文書を指差してから、もう自分には関係ないとばかりに両手を前に上げて見せ、そのまま席に戻りました。

男性が立ち上がり何かを言いかけましたが、神主さんがマイクを持って立ち上がったため再び着席しました。

「とにかく、この文書がどういったものかは今後調べることとして、今日は皆さんのご質問を続けてお受けしたいと思います」

そう神主さんが告げて、質疑応答が再開されました。

同様の相談会は住職さん達のお寺でも行なっていたそうです。

町に1つしかない篠宮神社よりも多くの檀家さんを抱える住職さん達の相談会は、そこそこ荒れたそうです。


そして12月を目前にしたよく晴れた土曜日、住職さんのお寺である妙蓮寺で、怨霊を祓うための大法要が始まりました。

各地から応援に来ていた力のあるお坊さん達が妙蓮寺に集まり護摩を焚いて読経を行います。

私達はゲスト参加の篠宮神社一向として、読経には加わらないものの妙蓮寺本堂の片隅に座っていました。

神主さんとシズ婆さん、神職さん数名と皐月、皐月の行くところには必ずくっついてくる私達兄弟、篠宮神社の氏子さんの代表者数名も参加していました。


神社で行われる祈祷とは違って、護摩を焚いての集団での読経は、なんというか迫力が凄くて圧倒されたのを覚えています。

天井まで立ち昇る炎の熱はお堂の隅にいる私達まで熱を感じるほどです。

炎の目の前にいる住職さん達にとってはどれほどの熱さだったろうかと今でも思います。


どれくらい時間が経ったのか覚えていません。

私達は座禅を組んで座っていたのですが、膝や腰が痛くなってもじもじし始めていました。

当然ながらお坊さん達は綺麗な姿勢で読経を続けています。

さすがプロは違うな、などと考えていたら、それが始まりました。


お坊さん達の読経の声や、鐘のようなものを打ち鳴らす祈祷の音に、異質な音が混じっているような気がするのです。

しばらくはただの違和感しか感じませんでしたが、次第に大きく、はっきりと聞こえるようになってきました。

あのうめき声です。


「んん……ん……ゔぅぅ……んん……」


「ぉぉぉ……ぉ……ぁ……ぁあ……ぁ…ぁ…」


「ぐぐ……ぅ……ぎ…ぎぎ……」


いかにも不快な、苦痛をかみ殺すかのような苦悶に満ちたうめき声でした。

それは学校で聞いたものよりはるかに生々しく聞こえ、どこからかはわかりませんが、確実にお堂の中から発せられているのがわかりました。


「うぅんんう……ぅ……ぉ……ぅうぅぅ……」


その声が目の前から聞こえた時には座ったまま飛び上がりました。

私だけではありません。

皐月も兄も神主さんでさえも突然のうめき声に度肝を抜かれました。

心臓が掴まれたかのように止まった気がしました。

汗が吹き出してきました。


「ぉ…ぉ…ぉ…ぁぁぁおぉぉおぉ……」


目の前のうめき声は勢いを増していきます。

苦痛の呻きではなく、怒りの呻きにも聞こえました。

比喩でもなんでもなく、ごく間近から聴こえていました。

それと同時に、匂いも漂ってきました。

お堂を包む線香の香りとは異質な、腐った水のような、ドブのヘドロのような、生臭い匂いです。

そして視線。

すぐ近くにいるだろうソレはこちらを見ていました。

目と鼻の先に顔があって至近距離からこちらを睨みつけている、それほど強烈に感じるはっきりとした視線。

確実に目の前に顔があるのに、見えない。

そんな不可解で恐ろしい圧迫感を全員が感じていました。

おそらく見えなかっただけで、あの場にアレはいたのだと思います。


ひぃ…と声を上げて氏子さんの一人が立ち上がり逃げ出しました。

もつれる足でドタドタ音を立てながらお堂の外へ出ようと、開け放たれた入り口に向かっていきます。

「出るな!」

誰かの怒鳴り声が聞こえましたが氏子さんはそのまま外に出ていきました。

中では読経が続いています。

何人かのお坊さんが氏子さんを追いかけて出ていきました。


気がつくと目の前のうめき声は消えていました。

同様に強烈な圧迫感も消えています。

氏子さんを追って行ったんだ。

そう思ったのは神主さんも同じようで、立ち上がって入り口の方へ向かいました。

先ほどの「出るな!」という声を気にしたのか、入り口から外を覗いています。

氏子さんは見当たらないようでした。

「私どもの方で探しますんで、どうぞお座りください」

近くにいたお坊さんが神主さんに言いました。

促されるようにして私達の元に戻ってきた神主さんは怖い顔をしていました。

怒っているようなそんな表情でした。


少しして後、不意に住職さん達がお経を唱える速度がゆっくりとなり読経が終わりました。

そうして皆が一息つくような気持ちになった時、外から争うような声が聞こえてきました。

外を見たお坊さんが飛び出して行くのが見えました。

私達も立ち上がり外を見ると、氏子さんが地面に寝転がって暴れていました。

不思議と誰もいないお寺の境内は広く閑散としていました。

その境内の真ん中、私達から100メートルほど離れた場所で氏子さんがもがいているように見えました。

よくよく見てみると氏子さんの周りにいくつかの影がまとわりついていました。

目を凝らすと犬であることがわかりました。

氏子さんは山犬に襲われているようでした。


私達はお堂から飛び出して氏子さんの方へ駆け出しました。

先に走って行ったお坊さんはもう氏子さんの元までたどり着きそうです。

私達が氏子さんの元へ駆けつけた時、氏子さんは血まみれになって山犬と格闘していました。

というより必死に山犬に抵抗しているところでした。

駆けつけたお坊さんが懸命に山犬を蹴り飛ばしたりしているのですが、五匹の山犬は執拗に氏子さんだけを狙って噛み付いていました。


神主さんと兄も山犬の群れに飛び込んで蹴りつけました。

私と皐月は氏子さんの元へ駆け寄りました。

氏子さんは両手が血だらけで、体にも顔にも傷を負っていました。

私は氏子さんを庇うように山犬へと顔を向けました。

そしてこちらに向かってくる山犬と目が合いました。


その時、山犬だと思っていたソレが突如として女の霊の姿に変わりました。

その女は腹ばいの状態で、血の気のない顔に長い黒髪がまとわりつき、気が狂ったような目でこちらを睨みつけており、あの恐ろしいうめき声を発しながら私達の方へにじり寄ってきていました。

いえ、その目はすでに私しか見ておらず、私に狙いを定めたのがわかりました。

私は女に向かいあって尻餅をついたような姿勢になりました。

後ろに下がろうとするのですが氏子さんが邪魔で下がれません。

この時、皐月の呼びかける声も、兄達が山犬を蹴散らす喧騒も聞こえなくなっていました。

ほとんど無音に近い中で、女のうめき声と、ザリザリと砂をこすりながらにじり寄ってくる音だけが聞こえていました。

私は尻餅をついたまま、女の顔を踏みつけるようにして蹴りつけました。

グニャリとした、肉を蹴った嫌な感触を靴の裏に感じました。

女は蹴りつけた私の足を無視してそのまま這い寄ってきます。


女が手を伸ばして私の足首を掴みました。

ものすごい力で足を握られてわたしはうぎゃと叫びました。

そのままもう一方の手で私の服を掴んで、私を引き寄せるように女が引っ張ります。

「ぅう……んん……ぉ……ぉぉおおぉおぁぁあああ……」

女の声はいよいよ大きくなり、私の腹のあたりまで女の顔が寄ってきていました。

「うわああああ!!!」

私は必死で叫びながら女から離れようともがきました。

しかし女の力は強く私の腰をがっちり抱え込んでいました。

私は足をバタバタさせるだけで完全に動けなくなってしまいました。

「あああああ!!!ひいいああああ!!!!!」

無我夢中で暴れました。

女の顔を両手で殴りつけました。

「おおお………ぉ……ぉ……うぅうううう…………」

女は意に介した様子もなく近づいてきます。

目前に迫った女の真っ白な顔の中で唯一真っ赤に血走った目が私を凝視しています。

その時、横から神主さんが女を蹴り飛ばしました。

ギャンと泣いて山犬が横へ転がっていきました。


不意に周囲の音が聞こえてきました。

女の存在感は消えており、あのうめき声も聞こえませんでした。

山犬達は諦めたように逃げ去って行きます。

後ろでは皐月が氏子さんの名前を呼びかけながら介抱していました。

氏子さんは意識を失ったらしくぐったりしていました。

後で皆に聞いた話では、私は氏子さんに駆け寄ったあと、山犬を見て腰を抜かし、呆けていたといいます。

実際の私は汗をびっしょりかいてガタガタ震えていました。

皆はそんな私の様子におかしな様子を感じたものの、すぐに大勢の人が駆けつけて、氏子さんが本堂へと運ばれて行きました。

私達も歩いて本堂へと戻って行くとき、私は足を引きずっていました。

掴まれた足首がズキズキと痛みました。

お堂との中に戻って先ほどの席に着き、ズボンをめくって足首を見たら女の手の跡が残っていました。

ああやっぱりかと思い、神主さんに先ほど起きたことを伝えました。

皆が私の足を見て絶句していました。

「憑かれたか……」

と住職さんが言いました。

すぐさまその場で私のためのお祓いが行われました。

先ほどのように読経をするというものでしたが、今度は護摩を焚かず、代わりに私の頭や背中がバンバンと叩かれました。

祈祷が終わっても足首についた手形の痣は消えず、痛みも残ったままでした。


救急車が来て氏子さんが連れていかれる時、私も同乗するように言われました。

神主さん達は車で病院まで来るといいます。

他の氏子さん達は大法要が終わるまでそのまま残り、それぞれ家に帰ることになりました。

「この人は山犬の群に襲われたんだよね?」

救急車の中で救急隊員の人に聞かれました。

はいと答えると「君も?」と聞かれ、私は噛まれていないが足を捻挫したようだと説明しました。


病院に着き診察を受けました。

血だらけの氏子さんは救急医療に、私は土曜日午後の一般診療に回されました。

待合室で待っていると神主さん達がやってきました。

皐月と兄も一緒です。

シズ婆さんと神職さん達は大法要に残ったようでした。

私の番が来て診察室に通されました。

神主さんも一緒です。

ズボンをめくり上げると、医師は「うわー」と言いました。

そしてまじまじと手形の痣を見て、

「なんだこりゃあ?」

と言いました。


神主さんが事情を説明している間、その医師、米津先生は頭をかいたり腕を組んだりしながら唸って聞いていました。

かなり端折った説明で、しかしそれでもかなり長い話でしたが、あらかた聞き終えた米津先生は、

「祟りってことッスか?」

と神主さんに聞きました。

「そのようなものであると考えています」

神主さんが頷くと米津先生はまたフームと唸りました。

「たしかに。炎症とか内出血のようにも見えるがどうやら違う。一般的な打撲や捻挫ではないですね」

米津先生はカルテに何事か書き込んでからこちらに向き直りました。

「ま、こちらとしてはとりあえず様子見です。こういうのは神主さんの方が詳しいでしょうから。とりあえず湿布出しておきますね」

ということで私の診察は終わりました。

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