第6話 怨霊調伏の祈祷
あの日、大法要に参加したお坊さん数人が行方不明になっていました。
最初に氏子さんがお堂を飛び出して行った時に、追いかけていったお坊さん達でした。
翌日になって住職さんが神主さんに電話をかけてきて、こちらも注意するようにと言われたそうです。
氏子さんと私のことだと思います。
氏子さんは数日で退院しましたが、家から出られなくなってしまいました。
あの時おそらく氏子さんも見ていたのだと思います。
あの女の霊を。
そしてもっと恐ろしいことに、あの山犬の数だけ霊がいたとしたら、氏子さんは五人の悪霊になぶり殺しにされそうになっていたということになります。
それを想像して私は心が折れてしまいました。
もう二度とあんな思いをしたくない。
抵抗も出来ず恐怖で泣き叫びながら死ぬなど、考えただけで震えました。
私は内心の恐れを親に打ち明けました。
震えながらボロボロ泣いている私を見た母はすぐに神主さんに相談してくれました。
その結果、私はしばらく神社で寝泊まりすることになりました。
当分は学校も休み、ひたすら神社で清めを行いました。
神主さんやシズ婆さんが祈祷してくれたり、教わった祝詞を自分で唱えて祈ったりしました。
一週間の間、皐月や家族との接触も絶ってひたすら祈祷と修行です。
滝に打たれる為に山へ入る時は数名の神職さんが連れ添ってくれました。
ある日、拝殿の縁側を雑巾掛けしていると、不意にあの時の恐ろしい記憶が蘇ってきました。
大法要の日、お寺の境内で女の霊に捕まり、あと少しで殺されそうになった光景を思い出しました。
不思議なことに体が震えてくることはありませんでした。
恐ろしいとは思うのですが、その恐れを客観的に捉えられていました。
あの時の恐れを乗り越えたのだと思います。
子供心だったので漠然とした思いですが、安心を得た、そう感じました。
そしてその時なぜが奥にある本殿の方から甘い匂いが漂ってきました。
あ、神様が見ていらっしゃる。
私はそう考え御神体に向かって深くお辞儀をしました。
その後も熱心に雑巾掛けを行い、縁側に腰掛けて一休みしていると猛烈な眠気に襲われました。
風邪を引くから寝てはいけないと思いましたが、私はその眠気に勝てず体を横たえました。
気がつくと私は本殿の真ん中に正座していました。
御神体の方を向いて一人で座っているのです。
「ケイタ」
後ろから声がかけられ、振り向くと本殿の入り口に人影が立っているのが見えました。
後ろから日が差し込んできていて、その人物は影になって顔が見えません。
神主さんのような格好をしていましたが、所々に赤や緑の刺繍のような飾りがついていて、神主さんよりも格好良く見えました。
そのシルエットを見たとき、髪をおかっぱにしているので女の子かと思いましたが、よく見るとちゃんと男性であることがわかりました。
「ケイタ」
その人物はその場に立ったまま再び私の名前を呼びました。
声の感じから兄と同じくらいの歳の男性だと思いました。
「はい」
と私は応えました。
「私の不始末の始末をお前達に託す。よいか」
気がつくとその人物は私のすぐ前に立って私を見下ろしていました。
細面の男性でやはり兄と同い年くらいの青年でした。
無表情ですが不思議と恐ろしさを感じさせないその人物に私はまた「はい」と応えました。
「皐月は可哀想だ。お前が支えてやるのだよ」
そう言ってその人物は私の頭に手を置いて何かを囁きました。
何と言っていたのかは思い出せません。
目を覚ますと私は縁側に大の字になっていました。
その夜、神主さんにそのことを伝えると、もう家に帰っても大丈夫と言われました。
相変わらず足の痣は消えませんでしたが、痛みは引いていました。
翌朝、私は神主さんとシズ婆さんに挨拶し、学校に登校する皐月と一緒に歩きながら話をしつつ家路に着きました。
家に帰ると母が待っていてくれました。
母はその日仕事を休んで、一日中、祖父母と一緒に私と話をして過ごしてくれました。
町を覆う怪異の影は薄まることなく、町の空気を暗く沈めています。
しかし私は不思議と晴れやかな気持ちで過ごしました。
師走を迎え日々の生活がややせわしなくなりだした頃、篠宮神社で清祓いの儀式が執り行われました。
シズ婆さんが祭主となって私を清める祈祷をするのです。
足の痣は消えることがなく、氏子さんは1週間前に首を吊って亡くなっていました。
神主さんではなくシズ婆さんが祭主になったのは、神主さんは氏子さんの葬儀などで手が足りなかったのと、自分が行うよりも、霊感のあるシズ婆さんの方が適任と、当の神主さんが祭主を辞退したからでした。
今度は妙蓮寺の住職さんや僧侶の人達がゲストとして清祓いに参加しました。
まず皐月が神楽を舞いました。
本来であれば神楽を舞う必要はないのですが、私のことを神様にお願いしたいと言って、皐月が強く申し出たのでした。
神楽殿ではなく拝殿で舞う皐月の姿を、私は白い着物を着て正座した状態でぼんやりと眺めていました。
昨日は怖くて仕方ありませんでした。
今日の清祓いで決定的なことが起きるかもしれない。
もしかしたら私はあの女に連れ去られるかもしれない。
そうなれば生きては帰れないだろう。
それが恐ろしくて夕べは母の布団で母にすがりついて泣きました。
兄も祖父母も同じ部屋で寝ました。
そして今朝、水風呂で体を清めて白装束に着替え、同じように巫女装束に身を包んだ皐月に連れられて拝殿に入りました。
皐月は巫女舞が終わった後、御神体に拝してから私のそばに座りました。
それからシズ婆さんによる祈祷が始まりました。
事前に説明されていた内容は以下のようなことです。
私についた穢れを祓うための祈祷を行う。
怨霊が何かしら仕掛けて来るならそのまま怨霊調伏の祈祷も同時に行う。
神道的には怨霊調伏の祈祷などないので、神主さんでなくシズ婆さんが祭主を務める。
怨霊を封じている間、私もその場を動いてはならない。
などなど。
後で聞いたことですが、シズ婆さんは現役の時にもお祓い的なことをやっていたそうです。
神道の様式をとっていましたが、儀式的には完全にシズ婆さんオリジナルだったそうです。
シズ婆さん曰く、神様のお力を少しだけお借りして悪いものを祓ったり消滅させたりしていたとのこと。
この時も私の清祓いとは別に、シズ婆さん式の怨霊調伏を予定していたようです。
清祓いが始まりました。
シズ婆さんが大幣を振って祝詞を唱えます。
聞きなれない大和言葉ですが、私のために神様に色々お願いしてくれているのがわかりました。
心地よく響く祝詞の旋律に恐れの心が和らいでいくのを感じました。
祈祷が始まってものの数分で異変が起こり始めました。
女に掴まれた足首がズキズキと痛み始めました。
正座していることができなくなり足を崩しました。
足首を見ると痣から所々の皮膚が破れて血が滲んでいました。
白い着物が台無しです。
皐月が私に寄り添い、シズ婆さんが祈祷を続けます。
神職さんが救急箱を持ってきてくれ、皐月が手当てをしてくれました。
シズ婆さんの祈祷は続きます。
足の痛みはひどくなり、額に玉の汗をかいて痛みに呻く私を母と皐月が支えてくれていました。
背中をさすってくれたり、手を握ってくれます。
祈祷の邪魔にならないように黙ってそうしてくれていました。
私の心には恐怖が沸き起こっていましたが、今さら引き返すことはできないことと、これを乗り越えないとどのみち生きてはいけないだろうという思いが強く、私は心を奮い立たせていました。
あの時乗り越えた恐怖は、その時になっても再び私を捉えることはありませんでした。
今も神様が見ていらっしゃる。
絶対に見ていてくださる。
なんせここは拝殿、神様の目の前にいるのだから。
そう強く心に念じて恐怖を振り払っていました。
足の痛みは相当なものでしたが、痛みに気が向かないほどに私は恐怖との戦いに集中していました。
痛みは仕方がないと思っていました。
恐怖に負けてしまうことの方が怖かったのです。
シズ婆さんの祈祷が熱を帯びたように感じました。
大幣を振るバサッという音が大きく聞こえました。
「ああぁぁぁああ……ぉ……ぁ……ぁぁああああ」
不意に大きくあの声が響きました。
いつもの苦痛に満ちたうめき声ではなく、怒りを主張するような声でした。
拝殿の中を飛び回るように音の出元が動き回っています。
その場にいた全員が視線を宙に向けて怨霊の居場所を探しました。
キョロキョロと顔をめぐらし、見つからないと分かると互いに顔を見合わせて頷いたりしていました。
私も声の主を探して拝殿の中を見回しました。
「これより怨霊調伏の祈祷を行う」
シズ婆さんの厳とした声が響きました。
再び大幣を振り祝詞を唱え始めます。
今度は先ほどとは違う雰囲気の大和言葉が聞こえましたが、その場では聞き取れず今となってはあまり思い出せません。
シズ婆さんが拝殿のなかを動き回りながら大幣を振りました。
普段から足が弱くて杖をつきながらでもゆっくりしか歩けなかったシズ婆さんでしたが、この時は驚くほど力強く歩みを進めていました。
後で聞きましたが、この時すでに半分以上神懸かりしていたといいます。
しばらくそうした後、不意に拝殿の一角に向かってつかつかと歩み寄り大幣を大きく振って大声で何事かを唱えました。
正確になんと言ったかは覚えていませんが、「姿を表せ」的なことを難しい言葉で言っていたと思います。
「ぉるルルろぉぉぇぇエぇぇ………!!!!」
うめき声というよりも喚き散らすような大声が聞こえました。
全員が飛び上がるほどの音量と迫力でした。
「うろたえることないさね。ここまで引っ張り出したんだからもう後一息さ」
シズ婆さんが優しい声色で私達を制しました。
さて、と言ってシズ婆さんが再び祭壇の前に立ちました。
御神体に拝してから再び祝詞を唱え始めます。
それきり私達に見えたり聞こえたりすることは起こりませんでした。
しばらくその状態が続きました。
シズ婆さんは祈祷を続け、私達は流石に疲れを覚えながらそれを見守っていました。
不意にシズ婆さんの祈祷が終わりました。
あたりは静寂に包まれ、怨霊の気配は消えていました。
「終わった……?」
誰かが呟きました。
御神体を拝したシズ婆さんがこちらに振り向き、椅子を持ってきておくれ、と言いました。
神職さんが電光石火の動きで持ってきた椅子によっこらしょと腰掛けたシズ婆さんは、
「祓えんかった」
と言いました。
「怨念が強いとか弱いとかいう話と違うわ。アレは私らの業そのものさね」
ため息混じりにそう言ってゆっくりと頭を振ります。
「神様も神様だ。こんなことになって心底悔やんでいらっしゃる」
そしてシズ婆さんは一連の災厄の、その全ての因果を語ってくれました。
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