第3話 霊能者たち

「わかりました。ちょっと待っててくださいね」

そう言って看護師・斎藤さんは部屋を出て行った。

あたりは静まり返っている。

カーテンの隙間から窓が見えて目をそらす。

いるのか?

何が?

あの映像に映っていた木崎美佳なのか?

それとも木崎美佳の格好をした何かなのか?

わからない。考えたくもない。でも何か考えていないと怖くて叫び出しそうだ。

目が、合ったからだろうか。

ディレクターのところに行かず俺のところに来たのは、編集作業中に拡大して確認していたからなのか?

撮影した会社はもうないらしい。

霊媒師の伊賀野トク子は死亡、木崎美佳は行方不明の可能性があって、そしてさっき確かにそこにいた。

何年も前の姿で。

人間じゃない。

それはもう間違いない。

もしかしたら全部ドッキリで今にもディレクターが「大成功!」と書かれたプラカードを持って入ってくるのではないか。

か弱い下請け企業の編集マンをビビらせて皆で笑って大成功。

そんなアホな企画ではないか。

だとしたらどんなに救われるだろうか。


「…………」

そんなわけないか。

実際に気絶して救急車で運ばれたのだ。

都合の良い笑い話になるわけない。

そんなことを考えていたら少しは気が紛れた。

と、斎藤さんが入ってきた。

「来てくれるそうです。車で30分くらいだって」

「ああ…良かった…のかな…ありがとうございます」

30分もかかるのか。

充分短い時間だが俺は少し不満だった。

現実逃避も30分はもつまい。

何かしていないと恐怖でおかしくなりそうだった。


「あの…心当たりは……」

斎藤さんがそう呟いた。

「あります……ね……多分アレかなっていうのが」

30分ここにいてくれるつもりなのだろうか。

非常に助かる。

「お聞きしても?」

「はい。俺もよくわかってないんでうまく説明できるかわからないんですが、聞いてください」

「はい」

そうして俺は出来る限り詳細に話した。

映像制作の下請けをしていること。

よくある心霊映像DVDを担当したこと。

追加で渡されたのが数年前に撮影されたお蔵入り映像で女の子が取り憑かれて除霊するシーンがあったこと。

ものすごくリアルな映像で除霊中に女の子の目がカメラを見て、目が合ったような気がしたこと。

少なくとも映像の中では除霊は成功したようだったこと。

その後、霊媒師が急死して女の子も行方不明になったらしいこと。

それに気づいたのが昨日で、それからなんだかおかしなことが続いていること。

そしてついさっきベッドや部屋が大揺れになって、行方不明になったという女の子に腕を掴まれたこと。


全てをじっくり話し終えると斎藤さんのスマホが鳴った。

どうやら30分経っていたらしい。

助かった。

何も起きなかった。

「はい…はい…ええと……」

斎藤さんは勤務中だからか、カーテンに隠れるようにスマホを耳にあて小声で話している。

そういえば周りでは爺さん婆さんが寝ているのだった。

自分のことで精一杯で周りで人が寝ているのを忘れていた。

斎藤さんに説明してる時も結構大きな声だった気がする。

クレームが来なければいいのだが。

斎藤さんがスマホを差し出してきた。

「あの…お話があるって…」

どういうことだ?

スマホを受け取り耳に当てる。

「……もしもし?」


「…………」

電話の向こうでフウとため息をついているのが聞こえた。

「ああ、はじめまして、斎藤さんの友人の笠根かさねと申します。西東京の方明寺ほうめいじというお寺の者です」

「どうも、お世話になります。前田と申します」

「前田さん、誠に申し訳ないのですが、私はそちらに伺うことができません」

笠根と名乗った人物は突然そう言って、またため息をついた。

「来れないって……ど、どういうことなんですか?……なんで……」

「前田さん、恐ろしいのはわかりますが、どうか落ち着いて聞いてください。これはあなたの命に関わることだ」

笠根さんはゆっくりと、しかしはっきりと言葉を続ける。


「前田さん、あなたは大変危険な状態になっています。その窓に張り付いてるのは仕方ないとして、ソレはなんとかなるモノかもしれません。それ以上に前田さんには何か恐ろしいモノが憑いている」

笠根さんの言葉の意味がよくわからない。

やはり窓の外にいるということか。

「私が見ているものをお伝えしますけれども、今私は駐車場にいるんですが、夜間の出入り口から入ろうとしたんですが、入れないんです」

笠根さんの言葉が意味不明とまではいかないまでも乱れているように感じる。

「狐が一匹…入り口の前に座ってます…ちょこんと……ただそれだけなんですが……入れないんです……怖くて………」

なんだそれ……狐?……入れないって?

「前田さん……あなた何か神様を怒らせるようなこと……しませんでしたか?」

するわけがない、と言おうとしたが、俺の頭にはあの時の光景が蘇っていた。

「子供の……頃なんですが……入っちゃいけない山に……入りました」

また電話の向こうでため息が聞こえた。

「それが原因かどうかわかりません。そして窓に張り付いてあなたを伺っているモノが関係しているかも不明です。それでも私が近づこうとすると、狐が睨んでくるんです。それが……非常に恐ろしい」

笠根さんはふざけているわけではないようだ。

話し方は落ち着いているが切迫した声色が混じる。

そこにいるモノを刺激しないようにしているのかもしれない、そう感じた。


かつて山で出会った狂った神様、あの狐目を思い出して全身に鳥肌が立った。

あの目がまだ俺を見ているのだろうか。

手を伸ばして再び山へ連れ戻そうとしている、そんな想像をして身がすくんだ。

笠根さんの発した「恐ろしい」という言葉が俺を飲み込んでいた。

全身が震えて冷や汗が背筋を伝う。

「どう……すれば……」

「前田さん、落ち着いてください。私がそちらに伺えないので、あなたにこちらへ来て欲しいのです。動けますか?」

「えっ?」

「おそらくあなたはこちらへ降りて来られるはずです。私は駐車場にいますから、正面玄関から出て駐車場まで来てください」

「えっ?……あ…はい……すぐ行きます」

「冷えますから上着を持って出て来てください。一旦切りますね」

そう言って笠根さんは電話を切った。

斎藤さんにスマホを返して「ちょっと行ってきます」と言った。

斎藤さんはスマホを受け取りながら「はい…あの…私は仕事があるので行けませんが…気をつけてください」そう俺の目を見て言った。


駐車場に行くと背の高い男性が待っていた。

スラリとした、というかガリガリのノッポ。

少しウェーブのかかった黒髪を真ん中わけにしている小綺麗な男で、年は40そこそこだろうか。

坊さんというから坊主頭の袈裟姿を想像していたが普通にTシャツにジャケットという姿だった。

電話での弱気な会話からなんとなく情けない容姿を想像していたのだが、真逆の、むしろ格好良いとさえ思えるなかなかのイケメン僧侶だった。

駐車場にはその男しかいなかったので迷わず近づいていく。


「前田です、どうも」

と頭を下げるとその男も高い位置から頭を下げた。

「笠根です。お電話で失礼しました」

笠根さんは間をおかずに続ける。

「とりあえずここから離れましょう。あそこの夜間出入り口のところにいる狐が見えますか?」

歩きながら薄く照らされた小さな出入り口を指差す。

恐る恐るそちらを見るも何もいない。

「いえ、見えません、どこですか?」

「入り口のど真ん前ですよ。パッと見で見つからないならやはり前田さんには見えないんでしょう。むしろ私に現れて威嚇してる可能性もありますね。アレがとてつもなくヤバーい奴です。そして——」

少し移動して病棟の上の方を指差す。

「あそこが先ほど前田さんがいた病室のあたりです。窓の外には足場なんてない。そこにへばりつくような感じで中を覗き込んでいる霊がいました。今は見えません」

そう言いながら笠根さんは駐車場から正面玄関の方へ歩いていく。

俺は笠根さんを追って移動する。

車寄せの端まで来てようやく笠根さんが立ち止まった。

俺は笠根さんと向き合う形で立ち止まる。


「改めましてはじめまして、笠根と言います。西東京の方明寺という寺でお坊さんをやっております」

そう言ってまたブンと頭を下げる。

背の高い彼が腰を追って礼をするとブンとかブォンとかの効果音が聞こえそうな迫力がある。

「前田です、ええと、いきなりのお電話に対応していただきありがとうございます」

俺も改めて挨拶をする。

「まずは簡単に自己紹介を。私は普通のお坊さんでして、こういったことを生業にしているわけではありません。あくまで僧侶としてできる範囲のことをやっているだけです。斎藤さんとはこちらの病院に入院した際にお知り合いになりました。彼女はこういったことで散々ご苦労されてきているので、たまにこうしてヘルプに来たりしているわけです」

そう一気に説明した。

俺も先ほど斎藤さんにしたのと同じ説明をした。

俺自身と一連の経緯をできる限り丁寧に、笠根さんから質問があれば補足し、子供時代の出来事から何から全てを話した。

時刻は22時になろうしていた。


笠根さんは組んでいた腕を解いてため息をついた。

「専門にやっていた方が亡くなったのであれば、アレも相当に厄介なモノなんでしょうね。狐にビビりすぎて見誤っていたかもしれません」

そう言って俺の目を見てから、肩のあたりや背後に視線を動かす。

探しているのだろう。

「何か見えますか?」

相談できる人に恐怖を吐き出して幾分か落ち着いたので思い切って聞いてみた。

「いや、今は何も」

笠根さんはあっさりそう言って懐に手を入れる。

「今日はもう退院できないでしょうから、明日なるべく早く退院の手続きをお願いします。迎えに来ますので連絡先を交換しておきましょう」

スマホを取り出した笠根さんと連絡先を交換する。

「今のところはもう何もないと思いますが、念のためコレを持っていてください」

そう言って箱から数珠を取り出した。

黒い小さな球が紐でまとめられた、手首につけるサイズの数珠だった。

「あの、御守りとか全滅だったんですけど…」

「大丈夫と思いますよ。前田さんのために今から直接念を込めますので、アレが何かしようとすればまず私の方に来るでしょう」

明日まで一晩の辛抱です、と言って笠根さんは数珠に向かって目を閉じて念仏のようなものを唱えた。

少しの間そうしてから数珠を俺に手渡す。

手にはめた数珠を眺める。

漆黒の球がわずかな照明の光を反射している。

なんだか高価そうな感じがした。

「では今日は戻ります。明日の朝またこちらに来ますので、なるべく早く合流しましょう」

そう言って駐車場へ歩き出した笠根さんに続く。

笠根さんが夜間出入り口の方を見て「狐さん、もういませんね」と言った。


笠根さんと別れたあと、俺は夜間出入り口から病院内に入った。

病棟まで戻ると斎藤さんが俺を見つけて近寄ってきた。

「どうでしたか?」

心配そうに聞いてくる、優しい人だ本当に。

「おかげさまでなんとかなりそうです」

そう言うと彼女はホッとしたようにため息をつき「よかった…」と言った。

惚れてしまいそうだった。

病室に戻るのは若干怖かったが、笠根さんの言葉を信じてベッドに横たわる。

あっという間に疲れが襲ってきて、何を考える間もなく俺は意識を手放した。


朝まで熟睡できたのは数珠のおかげだったのだろうか、翌朝目を覚ますと疲れは綺麗サッパリ消えていた。

起き抜けなのに思考は明瞭で何をすべきかすぐに理解して行動に移す。

朝の健康チェックと朝食を済ませて退院する旨を看護師さんに伝える。

医師の判断を仰がなければダメだと言われたが半ば強引に手続きをして俺は病院を出た。

時刻は9時。

笠根さんはまだ到着しないだろう。

「前田さん」

声をかけられて振り向くとちょうど夜勤明けの斎藤さんが病院から出てきたところだった。

「よく眠れましたか?」

朝の光を浴びて爽やかに微笑む斎藤さんにお辞儀をして挨拶する。

「おはようございます。昨夜は本当にありがとうございました」

「いえ、昨日は本当に私も怖くて、ナースコールが押された時、あ、ヤバイって思ったんです笑」

「あの時は本当に死ぬかと思いましたから、斎藤さんが来てくれて治まったから助かったんですよ」

「いえいえ、私じゃなくても治まってましたよ。ああいうのは基本的に人目を避けるんです」

「今は?何か見えますか?」

斎藤さんは昨日の笠根さんのように俺の周囲を目で探り「いいえ、なにも」と言った。

笠根さんが来るまで一緒に待ってくれると言うので病院を出たところにある喫茶店に入った。

朝だというのに結構客が入っている店内は賑やかで不安を払拭させる。

昨日は恐れに振り回されるようにあちこちの寺社を回っていたが、今日は朝から笠根さんを待っている。

しかも斎藤さんと一緒に。

大した変化だと思った。


しばらく話していたらヴヴヴとスマホが鳴った。

液晶には笠根さんの名前が表示されている。

出ると笠根さんの声がスマホから聞こえてきた。

「もしもし、おはようございます。昨夜は大丈夫でしたか?」

「はい、おかげさまで何事もなく無事でした」

「それは何よりです。私今駐車場に到着したんですが、前田さんどちらにいらっしゃいますか?」

「喫茶店にいます。すぐに出ますのでそのまま駐車場にいてもらえますか?」

「了解しました」

電話を切って立ち上がる。

斎藤さんも出る準備をしている。

二人分の会計を済ませて喫茶店を出る。


駐車場に行くと笠根さんが車から降りて待っていた。

昨日と同じようなシャツにジャケットというラフな格好だ。

「おはようございます。斎藤さん、お久しぶりです」

笠根さんがまず斎藤さんに話しかけた。

「お久しぶりです笠根さん、昨日はありがとうございました」

斎藤さんが丁寧にお辞儀をして言う。

「いえいえ、昨夜は顔も見せずごめんなさい。事情は聞きました?」

「ええ、先ほど喫茶店で」

「そういうわけなんですよ。斎藤さんから連絡をもらってオバケの類かと思って来てみたら超ヤバイのがいてビックリ、みたいな笑。いやあお恥ずかしい限り」

そう言って頭の後ろを掻く。

「それにお話を聞く限りじゃあのオバケも相当危険な霊みたいで、迂闊に飛び込まなくて正解でした」

冗談みたいな口調が最後は真剣なものに変わった。

斎藤さんも最初は笑っていたが、笠根さんが言い終わると真剣な面持ちにかわる。

「斎藤さん、あなたの仕事はここまで。これ以上はいけない」

「はい、あの、毎度毎度自分で連絡しておいて申し訳ないんですけど、あの、お気をつけて」

「無茶はしませんよ、できませんしね。私で手に負えなかったら本山の方にお願いすることになるでしょう」

そう言って俺をチラと見た。

「わかりました。前田さんもお元気で」

そう言って俺を見る斎藤さん。

これでお別れかと思うと少し寂しい気もする。

「はい、事態が片付いたらお礼に伺います。その時はお食事でも」

自分でも信じられないくらい簡単に軽口が出た。

こんな時に何を考えているのかと思われただろうか。

俺自身自分の軽薄さに驚いている。

大変な時だってのに、いや大変な時だからこそ、か。

恐ろしさの中で希望を求めるかのように俺は斎藤さんに好意を持ったのだろう。

斎藤さんは一瞬呆気に取られたようだったが、すぐに笑顔になり「はい笑…是非」と言った。


「いやあ、やるもんですなあ最近の若い人は」

車で走り出した直後、笠根さんが言った。

「こんな状況でねえ、あんなこと言えるなんて大した根性だ。もしかして前田さんてアレですか?女たらし?」

昨日の様子とは打って変わって笠根さんは楽しそうによく話す人だった。

「違いますよ笑。自分でもビックリしました。何も考えずにスッと出ちゃったんですよね」

「ははあなるほど。わかりますよーそういうの。私も別れた奥さんと出会った時はそんな感じでしたから」

などと実に軽い調子で話しながら青梅街道を西東京方面へ走らせる。

やがて街道を外れて生活道路をしばらく進み住宅街の中へ。

到着したのは何の変哲も無い閑静な住宅街の中にポツンと立つお寺だった。

「さあ、ここからはしかめっ面していきますよ?前田さんはお客様ですけど、ウチの住職は結構堅い人なんで、ヘラヘラしてると怒られますから気をつけてくださいね」

そう言って笠根さんは黙って車を境内に乗り入れ駐車場に停めた。

本堂脇の事務所の様な部屋に通され応接セットに座る。

本堂へは渡り廊下でつながっているようだ。

それほど大きな寺ではなく事務所も普通の居間という感じ。

黒い革張りのソファの居心地の良さを楽しむほどに俺は安心できていた。

なんとなく、寺に来れば安心という考えがあったのだろう。


ほどなくして笠根さんが部屋に入ってきた。

続いて住職らしき老人が入ってくる。

俺は立ち上がって一礼する。

老人は応接セットの俺の向かい側に立ち軽く頭を下げて「住職の宮内です」と言った。

宮内住職に促されて座り自己紹介をする。

それから一連の経緯を説明しようと思ったのだが、宮内住職の方から話を始めた。

「笠根からお話は伺っております。なにやら厄介なモンに憑かれておるそうで、さぞかしお大変なことでしょう。お察しいたします」

よそ行きのアルカイックスマイルを浮かべながら淀みなく言う。

年の頃なら70手前だろうか。

禿頭に白い口髭のいかにもなお坊さんだった。

「はあ、これはどうも。どうにも私自身何が起きているのかあまり理解していないんですが、まあとにかく大変は大変でして、どうかお助けいただきたく……」

そこまで言ったところで話を遮られた。

「ここに滞在していただくのは構いません。ここにいるうちはあなたも安全でしょう。しかしこちらではそのぅ、お祓いや除霊といった類はやっておりませんで、笠根は多少心得があるようですが、原因を突き止めて問題を解決するとか、悪い霊を懲らしめて健康を回復するとか、そういったことはそれを手広くやっている寺などに任せることにしております」

泊めてやるが解決は約束しないぞということか。

言葉の端々というか宮内住職の醸し出す雰囲気に、迷惑だと思っているのが現れていた。

「構いません。安心できる場所があるというだけでもありがたいので、どうかよろしくお願いします」

迷惑だろうがなんだろうがこちとら必死だ。

宮内住職が直接的に断ってくる前に結論を出させてもらった。

「まあ数日…ぐらいだと思うんですよ」

まだ何か言いたそうにしている宮内住職に笠根さんが畳みかけるように言葉を繋ぐ。

「私が責任持ってちゃんとやりますから、ね?」

ウンンと唸って宮内住職は言葉を引っ込めた。

「ま、そういうことですから、ゆっくりしていってください」

よっこいしょと言って宮内住職は立ち上がり、部屋を出ていった。


宮内住職と入れ替わるように小太りの僧侶が入ってきた。

「おおタッキー、こちらが例の人」

タッキーと呼ばれた小太り僧侶が「ども」と言って軽く頭を下げる。

年若い僧侶で五分刈りの坊主頭に黒縁眼鏡、なんとも愛嬌のある顔に嫌みのない笑顔が好印象だ。

タッキーかよ、と思いつつ俺も会釈を返す。

「前田さん、彼は私の後輩の滝沢くん。滝沢くんだからタッキーね」

まんまじゃねーかと内心でツッコミを入れつつ「前田です」と名乗った。

「まあタッキーに関してはどうでもいいや。タッキー、伊賀野さんのこと何かわかった?」

「どうでもいいは余計でしょ笑。まあ、わかりましたよ。ていうか公式ブログに書いてありましたよ『伊賀野庵いがのあん』って。住所も電話番号もちゃんとあります。まずは電話からじゃないですかね」

「おお、やるねタッキー。さすが元オタク」

「今もオタクですけどね」

というフランクすぎる僧侶達の会話を黙って見ていたら、「じゃあ前田さん、電話しましょう」と言われた。

「えっ?どこに?」

「だから伊賀野さんのお寺ですよ」

「いや…だって…亡くなってるんじゃ…」

「娘さんの方は生きてるんじゃないですかね。書き込んだのも娘さんですし、まだ電話番号も載ってるし」

「ドメインが生きてるってことは誰かがお金を払ってるってことですから」

とタッキー。

全然僧侶っぽくない。

「タッキー、そういう専門用語は使わないでいいから。ITに明るくても僧侶じゃ意味ないから」

「いやいやいや笑。ドメインぐらい常識ですから」

「君の常識をお寺に持ち込まれても困るんだよ」

なにやら僧侶漫才が始まりそうな気配がしたので口を挟む。

「わかりました。とりあえず電話してみます」

「ああ、すいません。タッキーが調子に乗りまして。電話はとりあえず私がします。お寺同士仲良くってことで」

そう言って笠根さんはスマホを取り出して電話番号を入力する。

04から始まる番号だった。

程なくして相手が電話に出た。


「ええとはじめてお電話いたします。

西東京の方明寺というお寺の笠根と申しますが、伊賀野さんはいらっしゃいますでしょうか。

ええ、ええ、はい私は僧侶です。

はい、はい、ああ、お嬢様の、どうもはじめまして、ええ、ブログですね、見させていただいて、はい、誠に恐縮なのですが、その件でお話をお聞きしたくてですね、ええ、はい、そうなんです、その撮影にまつわることで、こちらで今現在対応しているところなんですが、はい、はい、いえ私ではなく、こちらにいらっしゃる方で、はい、ああ本当ですか?助かります。

はい、住所ですか?ええと、よろしいでしょうか、東京都西東京市〇〇、〇〇—〇、陽明宗ようめいしゅう方明寺です。

はい、はい、お待ちしております、ありがとうございます、ええ、はい、それではよろしくどうぞ、失礼します」


ほんの数分やりとりして電話を切った笠根さんは、

「すぐに来てくれるそうです、先方が到着するまで何もするなとのことです」

と言った。

なんと、電話一本でそこまで話が進むとは。

「件の霊のことだとわかった途端えらい剣幕でしたよ。若そうな女性なんですが、お母さんの仇打ちなんでしょうかねえ。とりあえず話を聞きたいそうですが、あの剣幕じゃあすぐに除霊とか言い出すかも」

タッキー、と呼びかける。

「本堂を使うかもしれないから住職の了解もらってきてくれる?それと僕らも色々準備しといた方がいいだろうね」

わかりました、と緊張の面持ちで飛び出していくタッキー。

場の空気が一変していた。

「前田さん、もしかしたらいきなりバトルかもしれません。腹ぁくくっといてくださいね」

そう言って背中をバンと叩かれた。


忙しげに準備をする笠根さんとタッキーを見ながら俺は応接ソファに体を預けている。

頼もしい気持ちと共に不安が押し寄せてくる。

いきなりバトル、とはすぐに除霊を行うということだろう。

あの映像のように、今度は俺が本堂の真ん中に正座して首を垂れる側になるのだろうか。

あの時の木崎美佳はぐったりというか、朦朧としていたようだった。

俺もあんな風になるのだろうか。

怖い。

窓の外を見ると昼の日差しが明るく庭を照らしている。

全て解決すればいいのだが。

いや、解決してくれなくては困る。

手首につけた数珠の感触を確かめながら、ぼんやりと庭を眺めていた。


伊賀野和美いがのかずみが到着したのは午後3時を回った頃だった。

真っ黒な車が砂利を踏みしめる音を響かせながら境内に入ってきた。

中から5名の男女が降りてくる。

先頭にいるのが伊賀野女史だろう。

1人だけスーツ姿で、そのあとに黒い袈裟を着た僧侶達が続く。

笠根さんが待ち構えていた玄関で話し声が聞こえ、続いて複数人分の足音が廊下を進んでくる。

笠根さんに続いて部屋に入ってきたのは若干派手な化粧をした女性だった。

年の頃は30代中頃、かっちりしたベージュのパンツスーツに肩まで伸びた黒い髪にはゆるいウェーブがかかっている。

お洒落してます!という風貌の女性の後ろには先ほど見たとおりの袈裟軍団が硬い面持ちで続いていた。

見るからにきらびやかな伊賀野女史はしかし、部屋に入るなり俺の顔を睨みつけてきた。

笠根さんが紹介するのを待つこともなくツカツカと歩み寄ってくる。

掴みかからんばかりの勢いで近づく伊賀野女史に面食らって少し後ずさる。

と、伊賀野女史が俺の前に仁王立ちする形で立ち止まった。

「あなたね。はじめまして伊賀野と申します」

そう言って丁寧に頭を下げた。

「ど、どうも、はじめまして前田と申します」

威圧感とお辞儀のギャップでさらに面食らいつつ俺も頭を下げる。

「ご存知でしょうけれどあなたに憑いている霊には私も因縁がありますので、是非ともお話を聞かせていただきたいのです。よろしいですね?」

「もちろんです。俺…私もこの事態が片付くならなんでもする覚悟です。よろしくお願いします」

「ありがとうございます。では、座らせてもらっても?」

そう言って笠根さんに視線を飛ばした。

この部屋に入ってわずかに1分足らず。

あっさりと主導権を握った伊賀野女史は返答を待たずにソファに座った。

なんだこの人、怖えな。


笠根さんも俺の隣に腰を下ろし、黒袈裟軍団は伊賀野女史の後ろに控えるように立っている。

タッキーがいそいそとお茶を配って回るのを気にせず伊賀野さんが口を開いた。

「では、まずあなたの現状を教えていただけますか?」

俺は頷いて、笠根さんにしたのと同じように事細かに説明した。

子供時代の神隠しの件まで全て包み隠さずに話した。

そこまで話すと笠根さんが口をはさんだ。

「それで私、昨日その病院に呼ばれて行ったんですが、その霊とは別の狐が見えたんですよ」

「狐、ですか」

「はい。病院に入ろうとしたら威嚇してきまして、それが怖いのなんのって笑」

伊賀野さんは思案するように腕を組んで話を聞いている。

笠根さんが続ける。

「私ね、むかーしむかし子供のころに、ふざけてお地蔵さんの像を傷つけちゃったことがあるんですよ。その時にかなりひどい罰があたりましてね。こう、『祟り殺すぞボケ』みたいな感覚がずーっとついてまわるみたいな。それがもう無茶苦茶怖い。その時の感覚に近かったんですよね、その狐が」

「前田さんが子供のころに体験した神隠し。それを引き起こした神様が狐目。符合するけど結論付けるにはもう少しといった感じでしょうか」

伊賀野さんが考えながら言う。

それからいくつかの質疑応答の後、伊賀野さんは彼女の側の事情を話し始めた。


「あなたが仕事で関わったそのビデオは、5年前に母が行なった除霊の様子を撮影したものです」

5年前、ブログの更新が途絶えた頃と一致する。

「私もその場にいました。最初は順調に、母の誘導通り霊が出てきて、母が名前を問いかけた時にもしっかりと答えていました。そのままいつも通りに除霊は終わった、はずだったのですが」

伊賀野さんは一旦言葉を切った。

「その霊はとても狡猾で、母にも嘘の名を答えていたのだと思います。除霊が成功したと思わせて気配を消し、母をやり過ごすことに成功した」

伊賀野さんは懐から煙草を取り出し、笠根さんに目配せをする。

「構いませんよ。今、灰皿をお待ちします」

そう言うとタッキーが動き、大きな灰皿を持ってきて応接机の真ん中に置いた。

伊賀野さんは煙草に火をつけフーっと長く煙を吐き出した。

当時を思い出しているのか眉間には皺が寄っている。

「除霊が終わって木崎さんの様子も大丈夫そうだったからそれで撮影は終わり。私達はなんの疑いもなく解散した。今思い出しても悔やまれるけど、母も私もまんまとしてやられたのよ」

そう言ってまた煙草を深く吸い込んで吐き出す。

口調が幾分か砕けているのは、煙草を吸ってリラックスしたからか、あるいは。

「それから何日か経ったんだけど、突然木崎さんがあんに訪ねてきたのね。庵っていうのは母が興したお寺。伊賀野庵というお寺ね。今は私が引き継いでる」

やはり娘の伊賀野さんが継いでいたのか。

だとしたらブログを更新しないのはいかんと思うぞ。

「と言ってもまだ修行の身だから、おおっぴらには活動していないけれどね」

考えを読まれたか、いや、誰でも思う疑問なのだろう。


「訪ねてきた木崎さんは最初は普通の様子だったんだけど、段々おかしくなっていって、話す言葉も滅茶苦茶になっていって、母がこれはおかしいと気づいたの。それでまたその場で除霊をすることになった。そこには私の他にも弟子達がいたから、全員で取り囲んでお経を唱えたり護摩を焚いたりね」

煙を吐き出しながら話す伊賀野さんは、かすかにイラついているようだった。

あるいは怯えだったのかもしれない。

「やっぱり最初は順調で、何人かの霊を取り込んでいたから1人ずつ剥がしていったわ。不動明王の真言なんかも使って無理やりに引き剥がしたり、もう順調もいいとこ」

フフと微かに笑ったようだった。

「でもそれじゃ前の時と一緒だから、除霊が成功したと見せかけて逃げられると思ったのね。それで母は取り憑いている大元の霊に名を名乗るようにいきなり迫ったの。意表を突いたり大声を出したりすると霊もびっくりして隙ができるから。で、それがまずかった」

伊賀野さんの声が暗い響きを帯びた気がした。

「私が持っていた数珠がいきなり弾け飛んでね、びっくりして周りを見たら、皆の数珠や経本が飛び散ってて、木崎さんはもう滅茶苦茶で酷い有様だったわ」

微かに声が震えている。

「ビデオ観たならわかると思うけど、あの子、肩までしか髪がなかったでしょ?それが凄い伸びてて、正座したまま地面につくくらい伸びてて、私もうビビっちゃって、母を見たら必死に真言を唱えているけど、明らかにヤバそうだった」

また煙草に火をつけ吸い込み、長く長く吐き出す。

「周りからは物がバンバン飛んでくるし、庵全体が揺れてミシミシいってるし、母は鼻血出しながら真言を唱えてるし、これはダメだと思ったら、いきなり木崎さんが倒れたのね。気を失ったのかと思って恐る恐る近寄って確認したら死んでた」

死。

木崎美佳は死んでいたのか。

「振り返って母を見たら母も死んでたわ。正座したまま前に突っ伏して」

またフーっと煙を吐き出す。

その表情からはなにも読み取れない。

「多分母はやられちゃったんだと思う。それであの霊は満足して木崎さんから離れた。信じられないかもしれないけど、木崎さんね、腐りかけてたの。死後何日って感じ」

天を仰いで可笑しそうに言った。

「それまでは全く普通に生きてるみたいだったんだけどね。肌もボロボロになって匂いもするし、明らかに腐りかけの死体だったわ。あの霊が木崎さんに取り憑いて動かしてたんだとすると、とんでもないやつよね」

うんざりした様子だった。

俺はさっきから震えが止まらない。

「それで母を殺した霊は木崎さんから離れてどこかへ行っちゃった。私達なんか気にも留めずにね」

煙草の煙を吸い込み、吐き出しながら煙草を灰皿で揉み消す。

「多分あなたのところに行ったのね。予約済みだったみたいだし」

そう言って上目遣いで俺の顔を見上げた。


「……………」

なんだそれは。

滅茶苦茶じゃないか。

あの映像で見た伊賀野トク子は見るからに凄腕っぽかったし、お悔やみコメントの数からしても相当に信頼されていたようだった。

それがあっけなくやられたってのか?

今こうして目の前にいる伊賀野さんも何のつもりで来たんだ?

やられました宣言か?

俺はどうなる?

時系列だって滅茶苦茶じゃないか。

なんで5年も前の撮影中にカメラ越しで俺を見つけるんだよ。

何もかもが滅茶苦茶だ。


「だから私は必死に修行した」

伊賀野さんの声が変わった。

「恥を忍んで日本中の霊媒師に助言をもらったり、ボランティアで除霊の依頼を受けまくったりね。死に物狂いでやってたから力もついたわ。庵の皆も認めてくれてる。庵に不動明王をお迎えしたのは一昨年ね。それからは真言が面白いくらいに効くのよ。もう楽しくなっちゃって」

そう言って笑った。

目に異様な光りが灯っている気がした。

大丈夫なのだろうか。

どうやら逃げ帰ることはなさそうで、それはそれで安心した。

現状をなんとかしてくれるなら以前の経緯は正直どうでもいい。

お母さんの仇打ちに燃えてくれるならそれは好都合だろう。


「あなたの状態と経緯はわかりました。あとは私達がやりますのでご安心を」

伊賀野さんは背筋を伸ばしてそう言った。

毅然とした表情で口調も戻っている。

「笠根さん、前田さんを私達の庵にお連れしたいのですがよろしいですか?」

そう言って笠根さんを見た。

「ええ?……え、ええ構いません。こちらでも出来るように準備はしておきましたが、そちらでやる方が何かと良いでしょう」

笠根さんは若干肩透かしを食ったような表情だった。

ここでやるのを期待していたようだ。

そう思った直後、ガララッガシャン!と大きな音がして事務所の雨戸が閉まった。

ガシャンガシャンガシャンと次々に雨戸が閉まっていく。

「玄関を!」

伊賀野さんが叫び黒袈裟の1人が部屋を飛び出していく。

すぐに戻って来て「開きません……鍵は開いてるんですが……扉がビクともしません」と言った。

「……………」

沈黙が降りていた。

「どうやらここから出す気はないみたいね」

伊賀野さんが煙草に火をつける。

フウーッと長く煙を吐き出しながら「ここでやりましょう」と言った。

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