第一巻 首くくりの町/山に入れなくなった話
夜行列車【台湾にて書籍発売中】
第一作 首くくりの町
第1話 出会い
かなり古い話をします。
私が子供の頃に体験した話です。
新聞沙汰にもなった事件なので身バレを防ぐために適切な量のフェイクを挟んであります。
私は九州のある町で生まれました。
大都市まで電車で1時間ほどの小さな町です。
山に囲まれながらも大きな県道が通っていたり、なぜか大きな病院があったりして、それなりに活気のある町だったと記憶しています。
小学四年生の夏。
盆踊りが催されている神社に兄と一緒に遊びにいった時のこと。
私と兄は1つ違いの兄弟で、確か妹もいたと記憶していますが良く覚えていません。
なんせ小学生以前の記憶はあやふやで、私の記憶の限りでは最も古い記憶でも、私達兄弟は母親と祖父母の5人で暮らしていました。
おそらく幼い頃に母が父親と離婚した時に、妹は父親が連れて行ったのだと思います。
その盆踊りの会場には、小さな町には似つかわしくないほどド派手な櫓が組まれ、お囃子やスピーカーから流れるオバQ音頭などに合わせて皆が踊っていました。
私は兄と一緒に夜店を見て回り、母からもらったお小遣いのやりくりに苦心しながら楽しく遊んで回りました。
綿飴やたこ焼き、ソースせんべいなどで腹を膨らませたあと、私は踊りの輪に加わりたかったのですが、兄が嫌がったため私は夜店の脇で見よう見まねの振り付けで踊っていました。
しばらく夢中になって踊っていると、ふとどこからか視線を感じました。
左を見て、右を見ると、ベンチに座ったお婆さんが私を見ながらニコニコしているのが目に入りました。
お婆さんは座ったまま両手だけ盆踊りの振り付けに合わせて動かした後、私に向かっておいでおいでと手招きをしました。
お婆さんの元に行くと、「婆ちゃんの真似してみな」と言って再び盆踊りの振り付けを手で見せてくれました。
右へ左へ、両手をクルリと回しながら優雅に動かす踊りの所作はとても綺麗で、私も一生懸命真似をして手を振ります。
「上手上手。さあさ、足も動かしてみな」
そう言われてお婆さんを見ますがお婆さんは座ったまま。
今思うと足が弱っていたのだとわかりますが、当時の私はそんなこと気にするはずもなく「お婆ちゃんもやってよ」と言って困らせてしまいました。
ふとお婆さんが踊りの輪に向かって大きく手を振り、誰かを呼び寄せるような仕草をしました。
振り向くとこちらへ駆けてくる人影が見えました。
踊りの輪から抜けてこちらに駆けてきたのは私と同じか、ちょっと年上の女の子でした。
綺麗な浴衣を着て、踊っていたからか汗だくになっているその女の子は、私とお婆さんを見比べて、はて?という顔をしました。
「皐月。この子に踊りを教えてやってくれないかい?」
お婆さんはニコニコしながら皐月さん(以下敬称略)に話しかけました。
「いいよ!あんた誰?」
皐月は満面の笑みで私に笑いかけてくれました。
私は自己紹介をし、遠くで金魚すくいをしている兄を指差して一緒にお祭りに来ていることを伝えました。
「ふーん」
皐月は兄を見てそう言い、
「じゃあやってみよっか!」
と言ってその場で踊りを披露してくれました。
ちょうどスピーカーから炭坑節が流れて来たので、その音に合わせて右へ左へ上へ下へと手を振り足を運んで振り付けを見せてくれます。
夜店の電球に照らされたその姿はとても綺麗で、私はちょうど櫓を背にして神社の外側を向く形で皐月を見る位置にいたので、暗闇が後ろに広がる中で電球の光に浮かび上がった皐月の姿は幻想的で見入ってしまいました。
「どう?わかった?」
炭坑節を踊り終えた皐月が満面の笑みで聞いて来ます。
ボーッと皐月に見とれていた私は「えっ…あ…」みたいな言葉にならない変な声を出していたと思います。
正直あまり覚えていません。
「まあ一回じゃわからないよね!最初から教えてあげる!」
皐月はやたら元気いっぱいでニカッと笑います。
この笑顔が見たくて、私はその後も何度も神社に通うようになります。
そうして手取り足取り、最初から最後まで振り付けを教えてもらい、かなりの時間がかかりましたが炭坑節を踊れるようになりました。
「ちょっと待ってて!」
そう言って皐月はどこかへ走って行きました。
横を見るとお婆さんがニコニコしながら見ています。
「上手上手。もう踊れるようになったね」
そう言って手を叩いて褒めてくれます。
私は嬉しくて照れ臭くてなんとも言えない顔をしていたと思います。
そうこうしていると皐月が戻ってきました。
「最後にもう一回炭坑節をお願いしてきたから、次に炭坑節がかかったら一緒に踊ろう!」
と言って私の手を取り輪の方へと歩き出しました。
ちょうど兄が私の方へ歩いてきていて、皐月に手を引かれる私を見て驚いていました。
「篠宮じゃん。何してんの?」
兄はどうやら皐月のことを知っているようでした。
「小林じゃん。この子あんたの弟?踊り上手くなったよ!」
皐月はそう言ってニカッと笑いました。
ちなみに篠宮というのは皐月の苗字、小林というのが私達の苗字です。
しばらく輪の外で待っていると、スピーカーから炭坑節が流れ出しました。
タタンッタンッと手を打ち鳴らしている輪の中に入れてもらい、皐月の後ろで緊張しながら踊りが始まるのを待ちます。
兄が不思議そうに見ています。
「月が~出~た出~た~月が~出た~あよいよい!」
の歌に合わせて覚えたての振り付けを夢中で踊ります。
途中間違えてしまい慌てそうになりましたが、よく見ると周りの人達も結構デタラメに踊っており、こんなもんでいいのかと納得してからは楽しくて仕方がありませんでした。
視界いっぱいに煌々と灯る提灯の灯り。
その赤い光と後ろの暗い夜空の中で音頭に合わせて夢中で踊る。
その何とも言えない高揚感と一体感に陶然となったのを覚えています。
まさに夢の中にいるようでした。
実際にその後、盆踊りの輪の中で踊る夢を何度も見るようになります。
はっきりと覚えているのはこの辺りまでで、その後の会話などは昔のことであまり覚えていません。
その一件ですっかり皐月に恋心を抱いた私は、度々皐月にお願いしては神社で踊りを教えてもらうようになります。
皐月は神社の分家の娘で神社からほど近いところに住んでおり、よく神社の手伝いをしていました。
お祭りの際に声をかけてくれたのは本家のお婆さん、今の神主さんのお母さんに当たる人でした。
後にわかったのですが、このお婆さんがなかなかの傑物で、名前をシズさん、シズ婆さんと呼ばれていました。
先代神主の家に嫁入りして来たのはいいのですが、家庭を守るのに徹するかと思いきや当の先代神主以上の力量でお祓いやご祈祷をこなすようになり、神主ではなく神様そのものに嫁いできた神嫁だと九州の神社界で評判になった人物でした。
そんなすごい人だとは知らずに、神社に行くたびにシズ婆さんの住んでいる家にもお邪魔して手ずから煮出した麦茶をご馳走になったりしていました。
兄と皐月は同じ学年の同級生で、盆踊りがきっかけで学校でも会話をするようにったそうです。
兄達が卒業して中学生となり、皐月は一段と女性らしく綺麗になっていきました。
中学に進学したことがきっかけだったのか、兄と皐月が付き合い始めました。
私としては失恋です。
しかしそれまで通り3人でよく遊んでいました。
時折兄と皐月がお互いを意識して黙ったりうつむいたりしているのを見て、最初は羨ましく感じていましたが、あまりに二人がウブだったので私は焦れて「いいからさっさと手ぐらい繋げよ」とか「いい加減キスしろよ」などと言ってからかったりもしました。
「ケイちゃん!もう!」
と皐月は怒るのですが、その怒った様子もまた可愛らしく見えて、私としては複雑な気持ちになったものでした。
「ケイタ(私)。お前あとで殺すからな」
兄も真っ赤になりながら遺憾の意を表明していました。
その日は3人で集まって神社の掃除をしていました。
翌週の盆踊りに備えて境内の草むしりやらなんやらをするのです。
皐月は分家の娘であり、中学卒業後は巫女の職に進むことが決まっていたので当然のこと、私達は皐月目当てに神社に通い詰めていたので神職さん達の覚えもめでたく、見習い小僧のような感じでお小遣いをもらっては神社のお手伝いをしていました。
数時間みっちり掃除してその日のやることは終わりました。
シズ婆さんの入れてくれた麦茶を縁側に座ってご馳走になっていたら、二人の人影が境内に入ってくるのが見えました。
二人はそのまま参道を外れて山の中に入って行きます。
やがてオラァ!やらアア!という声が聞こえて来ました。
決闘です。
私達の町ではなぜか、喧嘩をするときは神社で行うという慣習がありました。
体育館裏ではなく神社です。
当時の学校にはまだ番長のような制度があり、不良達の中にボスがいるのが普通でした。
「金森先輩だ」
と兄が言いました。
金森先輩とは私も兄もよく知る人物で兄の1つ上になります。
幼い頃はシンちゃんと呼んでよく遊んでいたのを覚えていますが、中学に入ってからグレ始め、なんだか疎遠になってしまった幼馴染です。
二年生の金森先輩が当時の番長だった三年生の生徒に決闘を申し込んだようでした。
金森先輩は地元の暴走族の集会に顔を出しているそうで、親達の印象はあまりよくありません。
暴走族といっても町に1つしかないので、他の暴走族と抗争を始めたりとか縄張り争いをするとかいうこともなく、あえていうならバイクに乗るときにヘルメットを着用しないというだけの、今思い返すとなんとも可愛く珍妙な集まりでした。
決闘は三年生の勝利で終わったようで、大股で歩き去る三年生の姿を見送ってから私達は金森先輩の元へ走りました。
「怪我してたら連れておいで」
と後ろでシズ婆さんが言いました。
決闘に負けた金森先輩は地面に胡座をかいてうなだれていました。
私達が近づくとこちらに顔を向けて舌打ちしました。
「チッ。見てんじゃねーよ」
力なく呟く金森先輩の傍に兄が近寄り肩を貸して立ち上がらせます。
「痛てて。ちょっと待て。ゆっくり……」
金森先輩はどうやら足をくじいていたようで、痛そうに立ち上がりました。
先輩曰く足をくじかなかったら負けなかったとのこと。
歩くのが辛そうだったので私も兄の反対側から先輩を支えてシズ婆さんの元へ連れて行きました。
シズ婆さんはすぐに湿布と包帯を用意して手当てしてくれました。
金森先輩はシズ婆さんに頭を下げて帰って行きました。
不良のくせに礼儀正しい金森先輩でした。
「アッちゃんは喧嘩したらダメだよ」
と皐月が兄に言いました。
アッちゃんことアキオである兄は「俺はそんなアホなことはしねーよ」と言っていましたが、生の喧嘩を見て少し興奮しているようでした。
そんな平凡な、全くありふれた田舎の夏、怪異は起こり始めていたのです。
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