13.それはそれは醜悪な
少女が“姫巫女”と呼ばれるようになったのは、僅か八歳の頃だった。信仰国家リュミエール公国にて由緒正しき貴族のフロストバイン家に生まれ、将来は令嬢となる事は確実と言われていた。
しかし五歳の時、両親に連れられて行った教会で、彼女に内包された魔力量が常人の桁違いである事が判明する。その瞬間から、リスティリア・フロストバインの運命は大きく変わってしまった。
「君はこれから、この部屋で暮らすんだ」
自分の手を引くのは、尊敬する父でもなければ、愛する母でも無い。見知らぬ男性だった。
ゴダマ・アラキスと名乗った司祭は、リスティリアを個室へと案内する。
「ここは、どこですか? わたし、もうおうちに帰れないんですか?」
「君は女神に選ばれた人間なんだ。この場所で、神に仕えなければいけないんだよ」
男の言う言葉は、決してリスティリアを納得させる物ではなかった。
しかし貴族よりも教会が実権を握るこの公国において、例え国の宰相の娘といえども教会の決定から免れる事は出来ない。家族から隔離され、一人神殿の一室を与えられたリスティリアは、ゴダマの言う事に従う他なかった。
「やはり君は素晴らしい! このような力、今まで見た事が無いぞ!」
幼少期より教え込まれた回復魔法を使えば、ゴダマを始め様々な神官が喜んだ。
誰も頼る人が居ない環境において、リスティリアは少しでも自分を良く見て貰う為に回復魔法の修行に勤しんだ。
そして年齢が八歳に達する頃、熟練の魔法使いさながらの威力を彼女は行使して見せたのだ。
「ゴダマ様。私、友達が欲しいです」
ある時、リスティリアはそうゴダマに懇願した。
彼女は知っていたのだ。自分が住む神殿とは別の地区にある神殿では、同じ年齢の子供達が集められ、皆同じように勉強をしているのだと。
勉学が終われば共に遊び、そして共に同じ屋根の下で眠るのだと。
だがゴダマはゆっくりと首を左右に振った。
「いけないよ、リスティリア。君は“特別”なのだから、変な影響を受けてはいけないんだ」
「で、でも寂しいです。私、ずっと一人だから」
「ならばお人形を買ってあげよう。好きな動物を言ってごらんなさい」
リスティリアが懇願する度、少女の狭い部屋には人形が増えていった。だが様々な動物たちに囲われたとしても、リスティリアの心は潤う事はなかった。
どうせ目の前のコレは、布の袋に綿を詰め込んだだけの物。共に講義を受けてくれるわけでもなければ、ただの一言さえも返してくれない。
一年、また一年と独りで教会の教育を受け続けたリスティリアは人間味が薄れ、何処か人形のようになりつつあった。
「──リスティリア。君に、重要な任務があるんだ」
十三歳となった頃。教会の生活にも慣れ、寂しいという感情さえも忘れかけたリスティリアに、ゴダマは語りかける。
「安心してくれ。この任務は君にとっても嬉しい物だろうから」
「……何ですか?」
「君と共に学び、共に食事をする同級生が出来る。その子と、仲良くしてあげなさい」
突然の言葉に、リスティリアが固まる。青天の霹靂とは、まさにこの事だった。
どれだけ請うたとしても叶う事の無かった願いが、降って湧いたように現れたのだから。
冷めかけていたリスティリアの瞳に、光が戻る。
「ほ、本当ですかっ!?」
「ああ、本当だとも。君より三つしたの男の子だ」
「本当に、本当に友達が出来るんですか……!?」
「友達になれるかどうかは君達次第だがね」
リスティリアの瞳から零れる涙を、ゴダマがハンカチで拭う。
それを構う事などせず、大粒の涙を流しながらリスティリアは笑顔で行った。
「ありがとう、ゴダマ大司祭! 大好きっ!!」
顔をくしゃくしゃにしながら、今まで見た事の無い一番の喜びを見せるリスティリア。
その笑顔を見下ろして──。
ゴダマもまた、心からの笑顔を浮かべて彼女の頭を撫で上げた。
この思い出こそが、リスティリアの人生の中で何よりも輝いていた瞬間だった。
☆☆☆
リスティリアが投獄されて五日が経った。着込んでいた真白の修道服は薄汚れ、透き通るような水色の長い髪は所々が痛んでいた。
両腕は壁の手錠に縛り付けられ、さながら十字架に括り付けられているかのような姿勢を、彼女は五日間も続けていた。
「ゴダマ、様。……ゴダマ様と、話を、させて下さい」
「出来ません。ゴダマ様は、貴女の裏切りに心を痛められ、お休みしております」
絞り出すようなリスティリアの声を、無骨な男の声が返答する。
リスティリアはゆっくりと瞼を開く。目の前の檻の向こう側には、無骨な鎧を着た聖騎士が一人。この五日間の動向を見れば、恐らくこの男も第三部隊の騎士なのだろう。そう、マグニコア・アラキスの。
「私は、無実です。あの、極悪人とは、何も……!」
「貴女が何を言おうが、決断はもうすぐ下ります」
投獄されて一日目から、何度も声を張り上げた。しかし誰一人として、リスティリアの言葉に耳を貸す者はいなかった。
自分の無実をどれだけ主張しようが、自分を見張る第三騎士団の聖騎士は取り合ってくれない。それが数日過ぎて、ようやくリスティリアは理解したのだ。
マグニコア・アラキスは、自分を殺すつもりなのだと。
「──ご機嫌麗しゅう、枢機卿。いや、リスティリア・フロストバイン?」
リスティリアの脳裏に浮かぶ人物が、今まさに独房へと足を踏み入れる。
醜く口元を歪める男、マグニコアの姿だった。
「マグニ、コア様……!」
「おお、なんと労しい姿か。貴女のように美しい方をここまで放置するなどとは。私の部下には、少しお灸を据えなければなりませんなァ」
「やはり、貴方が……!」
「人聞きの悪い。たまたま貴女の見張りを私の騎士が担当しただけですよ。──不運な事に、貴方が処刑されるその日まで続くようですが」
「……っ!!」
ここまで醜悪な人間を、リスティリアは見た事が無かった。だらりと舌を伸ばし、下卑た笑みを浮かべるマグニコアは、まさに悪党と言える顔だった。
「おい、お前。席を外して人払いをしろ」
「……よろしいのですか?」
マグニコアは先ほどまでリスティリアの見張りをしていた兵士を一睨みし、舌打ちをする。
「何度も同じ事を言わせるな!!」
「し、しかし。この五日間で、あの極悪人が侵入した可能性も……」
「──三度目は無いぞ」
地を這いずるような、冷たい声。マグニコアの視線にたじろいだ兵士は、脱兎の如く独房を逃げ出していく。
「……これで良い。さて、リスティリア」
突如呼び捨てにされた不快感から、眉間に皺を寄せるリスティリア。
それに構う事無く、マグニコアは続ける。
「お前に二つの選択肢をやろう。一つは、このまま極悪人と繋がりがあったという最も不名誉な称号を抱えながら死刑となるか」
「ぜ、絶対に嫌です……!」
「二つ、私の神殿の独房で死ぬまで暮らすか、だ」
二本の指を挙げるマグニコアの瞳に、色欲の色が映る。五日間放置されたとしても、尚艶やかさを残すリスティリアに、マグニコアは更に醜く口元を歪めた。
「貴方は、本当に……!! どちらも御断りします! 正式な裁判を請求いたします!!」
「ふん、まだそんな夢物語を言っているのかね。無理だよ、無理無理。裁判が続けば必ず君は処刑台に送られる」
「な、何故です!! 貴方にそんな権限は……!」
「父上は今心労で倒れられている。その間に済ませてしまえば良いだけの話だ」
何でもないように語るマグニコアは首の骨を鳴らすと、石の檻を乱雑に開け放つ。
悠々と近づいてくるマグニコアに、リスティリアは恐怖から小さく息を漏らした。
「私は幾らでもお前が処刑される為の証拠を作る事が出来る」
マグニコアは右手でリスティリアの頬を掴みあげ──。
まさに、“極悪人”の笑みを浮かべて言った。
「──何せ、ビルグを動かしていたのは他ならぬ私なのだからなァ」
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