07.初恋

 “反転の魔王”と名乗る、今代の魔王の誕生から二十年が経た。ゴブリンやオーガ、果てはドラゴンといった魔族を従えた魔王は、大陸北方の魔族領から大量の軍勢を率いて進軍を開始。それを止めるべく、二つの巨大な国家が防衛に当たった。


 大陸西方、人間やエルフ、ドワーフ達によって作られた城壁国家グランバルド帝国。大陸東方、人間と獣人によって構成された万寿国家ヒノモト。


 武の達人で精鋭を指揮し、策を用い、古より伝わる光の鏡を以て魔族の撃退に当たる。その作戦は確かに功を成す物の、尽きる事無い魔族の尖兵に一人また一人と人間達はその数を減らしていった。


 その年月、二十年。グランバルド帝国が誇る城塞都市の悉くは蹂躙され、自然の防壁である山岳に護られたヒノモトもまた、その戦火に見舞われていた。“反転の魔王”への道のりは遥か遠く、しかし人間達は着々と追い詰められていたのだった。




「いずれ、また新たな魔王が生まれるでしょう」




「その時が来るまで、この鏡の力で街を守るのです」




 光がある所、必ず影があり。──影がある所、必ず光がある。


 伝説に縋るしか道は無い弱き人々にとって、“その時”をどれ程待ちわびた事だろうか。そして、“その時”が一人の少年という形で目の前に現れた時。


 その当時の彼らは、一体どれだけ救われた事だろうか。




          ☆☆☆




 信仰国家リュミエール公国。神に最も近く場所であるこの地で、今から十一年前に女神の啓示が下されたと言う。


 『南方の一画、ラカシュの村にて齢十になる少年在り。その少年こそ、弱き子が何より待ち侘びる“太陽”の称号を授かりし勇者に他ならん』


 教会はすぐさま人員を派遣し、ラカシュの村から丁度十歳となった少年を見つけ出す。名をソレイユと名付けられた少年は、説明不足のまま半ば強引に教会によって引き取られる事となった。愛する両親から引き離され、不安に駆られる少年に当時の最高司祭は命ずる。


 己の命を賭し、“反転の魔王”を討伐せよ。この大陸全ての国々が、少年に援助を施す。だからお前はその期待に応え、我々を救うのだ。


 成人も迎えていない、か弱き少年。見知らぬ大人たちに囲まれ、為す術もなくそれを承諾せざる負えなかった事を、誰が力不足と嘲笑えるというのか。




          ☆☆☆




「──本日の講義は終了です。来週までに、今日の内容を全て暗記しておくように」




 少年ソレイユの前で、老婆の神官が冷たい声で言い放つ。


 教会に引き取られたソレイユがまず最初に叩き込まれた事。それは、“如何に光教が素晴らしいか”という事であった。




「……ありがとう、ございました」




 ソレイユは経典を畳み、思ってもいない言葉を口にする。老婆は満足そうに頷けば、教室から足早に去っていく。


 教会で未成年の少年少女に教育を施す事は珍しい事ではない。むしろリュミエール公国では光教の教育は最重要項目として掲げており、国民には義務教育を課している程である。しかし、ソレイユが講義を受ける時はいつだって独りであった。


 勇者として台頭するソレイユに、余計な情報を与える事なかれ。適格に、完璧な光教徒へと洗脳する事こそが彼らの目的であったからだ。




「では、次の講義を始める。今回は光教の成り立ちから、古代文明までの遍歴を──」




 老婆と入れ替わりにして入室したのは禿頭の老人。遊び盛りの少年にとって、全く興味の無い事柄であったが、ソレイユはそれを脳の奥深くにまで叩き込む。


 自分がやらなければならない。自分が世界を救わなければならないのだ。


 ある種の強迫観念にも似た思いが、ソレイユを突き動かしていた。




「ああ、そうだ。今日から君には一人、同級生が出来る事になったよ」




 老人の言葉に、ソレイユは目を丸くする。一人だけ完全に隔離された空間で過ごしていたソレイユが何よりも欲していた物が、教師の口から飛び出したからだ。




「来なさい、“姫巫女”君。……いや、今日から君も生徒になるのだな」




「ご鞭撻の程、よろしくお願い致しますわ、ゴダマ大司祭様。──よろしくお願いします、ソレイユ君。私は、リスティリア・フロストバインというの」




 老人に促され入室したのは、自分よりも少し背が高い女の子の姿であった。長い水色の髪の毛が空を舞い、花のような香りが鼻孔をくすぐる。




「あ、その、僕は」




「ふふ、わかってるわ。……勇者として選ばれて大変だと思うけど、勉強は一緒に頑張りましょうね?」




 つい自分も釣られて笑ってしまいそうな程の、朗らかな笑み。


 神殿という石の折に閉じ込められ、不安で押しつぶされそうだった毎日に差し込んだ一筋の光。


 それは、確かに。確かに、少年ソレイユにとっての“初恋”に他ならなかった。




          ☆☆☆




「……ねぇ、ソレイユ君」




「何だい、リスティ」




 少年と少女が出合って数か月。その日の講義も無事に終了し、彼らは神殿の庭で星空を眺めていた。


 後方の神殿からは晩御飯を作っているのだろう、良い香りが立ちこめている。




「ソレイユ君は、勇者なんだよね」




「そうらしいね。自分でも、よく分かってないんだ」




「強いの?」




「わからないよ。司祭様が言うには、教会の勉強が終わったら他の国で修行するんだって」




「そう、なんだ。別の国に、行っちゃうんだね」




 少しだけ寂しそうに見える、リスティリアの横顔。


 何とか笑って貰いたくて、ソレイユは無理やりに笑顔を作って浮かべる。




「でも、大丈夫さ。すぐに強くなって、魔王を倒してみせるよ。そしたら、またこの南方に帰って来るからさ」




「……うん。でも、気を付けなきゃ駄目だよ。とっても、とっても危険なんだから」




「わかってるって。でも、僕は勇者だから。必ず、魔王を倒せるよ」




 まるで自分を励ますような言葉に、リスティリアが俯いて唇を噛む。




「私が“姫巫女”って呼ばれてる事、知ってるよね」




「勿論。リスティの年齢で、そこまで回復魔法の威力が強い人っていないんだろ?」




「うん。だから私は特別なんだって言われたの。ソレイユが来るまでさ、私もずっと一人だったんだ」




 ソレイユの目が見開く。


 年端もいかない少年少女にとって、神殿の教室はまさに石の監獄だ。やりたくも無い勉学を強要され、時として日々の生活にも口を挟まれる。それでも何とか講義を受け切り、卒業までこぎつけるのは苦楽を共にする友人の存在が必要不可欠だ。


 この神殿に連れてこられたソレイユは、僅か一か月も経たずとして心を閉ざしかけていた。目の前の、リスティリアが現れなければ。


 ──彼女は、一体どれだけの間を一人で過ごしたのだろうか。そして自分が居なくなった後、どれだけの虚無感を抱えるのだろうか。




「だから、嬉しかった。ソレイユが、“太陽の勇者”って呼ばれるくらい特別な人が神殿に来てくれて」




「僕だってそうだ。リスティがいなければ、僕は……!」




「ふふ、ありがとう。どれだけ掛かっても良いからさ。──絶対、戻ってきてよね」




「……うん!」




 ソレイユ、リスティリアはお互いの目尻に浮かんだ涙を茶化さない。


 別れの時はそう遠くない事を知っているからこそ、この一時を無駄な物にしない為に。




「そろそろご飯が出来上がる頃だから戻ろうか。今日は多分、野菜のスープだよ」




「げ、野菜かよ! リスティの勘は良く当たるから、希望は無さそうだなぁ」




 二人は小さく笑いあい、石の檻へと足を向ける。


 明日になればまた講義が始まるだろう。決して面白くもなければ興味もないが、問題は無い。何せ、二人は肩を並べて勉強する事が出来るのだから。


 独りでは、ないのだから。

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