18.聖邪問答

 不穏な空気が、独房を包み込む。胸倉を掴まれたマグニコア・アラキスの額に、大きな脂汗が滴る。

 二つの目を大きく見開き、俺の顔を凝視する。口をパクパクと開閉させ、言葉にならない音を絞り出すその様は、まるで打ち上げられた魚のようだった。


「な、ぜ……!? 何故、お前が、こ、ここ、に……!!」


「不思議な事は無いだろ。俺を探していたのはアンタ達じゃないか」


「か、ひゅっ……!!」


 驚きのあまりに喉が鳴る。

 魔王を倒した力を持つ俺の殺意の籠った視線を浴び、マグニコアは更に狼狽した。


「ま、待てぇっ!! わわ、私を殺す、つもりなのか……!?」


「殺す程度で済まされると思ってんのか。リスティに暴力を振るっておいて──」


 俺の視線が、真横の牢へと向けられる。

 その中には鎖に繋がれ、俯くリスティの姿。淡く月光の光が差し込み、彼女の“痛み”が顕になった。

 非の打ちどころがない、まるで有名な芸術家が彫ったような美しい顔はもうそこにはない。不自然に出来た顔面の凹凸は、リスティがどれだけの暴力をその身に受けたかを如実に物語る。

 ピクリとも動かない姿を目の当たりにし、マグニコアを掴み上げる手に力が籠った。


「一体、彼女にどれだけ……!!」


「あ、あの女が悪いのだッ!! 私の、私の言う事を聞かないから……!!」


「うるせぇッ!! テメェは神にでもなったつもりかッ!!」


 俺の剣幕は更に強まっていく一方だ。

 マグニコアがリスティに暴行を働く可能性はあった。しかし、やはりあの場面で未然に防いでしまう事は、今後のリスティにとってマイナスにしか働かない。

 そう、自分に言い聞かせた。リスティを救う為に、俺はこの独房から逃げ出した。その結果が彼女の姿だというのならば──俺は、自分を許せなかった。

 まるで俺の怒りを嘲笑うかのように、ふいにマグニコアの口角が上がる。


「神……か。ふ、ふふ、ふふふ……!!」


 微弱に肩を揺らし、そして。

 マグニコアは俺という巨悪を前にし、精一杯に嗤った。


「ああ、そうとも。私は神になろうとしているのだ」


「何、を」


「魔物を駆逐し、弱者を救済するッ!! その先には、未来永劫の平和が約束された“人だけの世界”が広がっているのだから!!」


 急にまくし立てるマグニコアは、俺に掴み上げられていても尚、両手を振るい、熱弁する。


「この国の阿呆共は気づいていない! “反転の魔王”が死んだとしても、また次はやってくる! 大軍を率い、人間を皆殺しにしようと奴らは必ずやって来る!! ならば、ぬぁらぶぁッ!!!」


 常軌を逸した、血走った瞳がギョロリと俺を見定める。

 その瞳には光も希望も、宿ってはいない。


「私が阿呆共を束ね、奴らを皆殺しにする他あるまい?」


「……その御高説と、リスティに暴力を振るった事は別物だろう」


「ハッ! あの女は元々私と真っ向から対立していたのだぞ。神の裁きを受けるにふさわしいじゃないか」


「神の、裁きだと」


 マグニコアは嗤い、憂い、怒り。その表情をコロコロと一変させる。


「そうとも、そうとも! 神の裁きだッ!! 平和ボケした腐った神官共に、神の裁きを与えて教えてやらねばならない!! 魔物の醜さを、魔族の恐ろしさを!! この歪んだ世界を正さねばならぬと、気づかせてやる事こそが私の義務だろうッ!?」


「その為にビルグを使い、公国を襲わせたのか……!!」


「ふ、ふふ。ビルグから聞き出したのか? だが残念だったな。どれだけそれを説いた所で、他の司祭達を説得する事は出来ん」


 俺の問いに、尚ビルグは嗤う。


「あの馬鹿共は頭を働かせる事が出来ない。私が用意した餌をまるで小鳥のように喰らい、咀嚼する。既にお前とあの女の関係性は刷り込まれ、ちょっとやそっとじゃ心変わりはしない」


「……俺は今、お前を殺す事だって出来るんだぞ」


「すれば良い。だがその時こそ、お前とあの女の関係は立証される。私には見えるよ、その後私はまるで英雄のように、神のように扱われる事だろう」


 ──典型的な自己陶酔。いや、その範疇を優に超える狂気の領域。

 この男には、大義が見えている。自身が大義と信じ込む、野望が渦巻いている。

 最早マグニコアに俺を恐怖する色は無い。例え自分がここで殺されようと、事は起こる。俺がこの国で撒いてきたように、マグニコアもまた種をまき続けていたのだ。


「極悪人ソレイユ。お前が素直に聖剣を返納し、私の靴を舐めて懇願するのならばあの女を生かしておいてやる」


「てめぇ……!!」


「大事なのだろう? 救いたいのだろう? ならば私に傅けッ!! 神を崇めた者にのみ、救済は下るのだからッ!!」


「──調子良い事言ってんじゃねぇぞ、この寝坊助野郎ッ!!」


 俺は奴の胸倉を掴み上げながら、もう片方の腕を振り上げる。それを渾身の力で以て、叩きつけた。

 俺のその姿を見ながら、やはりマグニコアの口角は歪んでいた。


          ☆☆☆


「立派な司祭になりなさい、マグニコア。それが、特別であるお前の使命だ」


 厳格な光教の大司祭を父に持つマグニコアの人生は、常に波乱の渦中に苛まれていた。

 “反転の魔王”出現直後、混乱した時勢で産声を挙げた男は常に司祭の見本となるよう徹底的に教育をされていた。

 マグニコアもまた、偉大な父の背中を見ながらそれを当然の事として受け入れた。


「父上、聞いて下さい! 本日付けを持って、私もようやく司祭の位に──」


 それはマグニコアが成人の儀を経て間もなくの頃。常日頃重ねた善行、そして圧倒的な知識量から異例の若さで司祭の位を賜った日の事だった。

 マグニコアは初めて、父親の笑顔を見たのだ。しかしそれはマグニコアに向けられた物ではなく、マグニコアでさえ知らぬ、幼い女の子に向けられた物だった。


「巷では君を“姫巫女”と呼ぶ者もいるらしい。……君は必ず、素敵な神官に成長するだろう。リスティリア、共に務めを果たして行こう」


 父ゴダマがリスティリアと呼んだ少女は、リュミエール公国の宰相の娘だった。

 神事とは縁のない、見知らぬ子供。“姫巫女”と称された美しい少女は、あれよあれよという間に人々から認められていく。

 異例の若さで司祭となったマグニコアを遥かに凌ぐ若さで、リスティリアは大司祭の位に上り詰めたのだ。

 人々の羨望、期待。一身に受ける少女の背を、男はずっと眺めていた。


「何故父上は私を見て下さらないのだ!! 神の意志を汲み、実行しているのはあの女ではなく私だというのに……!!」


 マグニコアの慟哭どうこくは、終ぞ誰かに届くことは無かった。

 父のように立派な神官になろうと勤め上げてきた人生。言葉で、感情で乗り越えられぬ“試練”に苦悶する嫉妬の日々。

 ──その彼が、暴力という分かりやすい力に縋るのは必然だったと言える。

 ただ命じれば、聖騎士は魔物を殺して回った。日に日に数字として増える戦果は、まさにマグニコアの努力を可視化した物に他ならない。


「私が、神となるのだ」


 今この世界に圧倒的に足りない物は、光。魔王という漆黒を照らす光なのだ。

 力を以て、弱者を救う。彼のその理念は、魔王が顕在していた戦時下においては正しい解答であったと言えるだろう。

 だがしかし、マグニコアは自身を超える圧倒的な光に飲み込まれる事になる。“太陽の勇者”と呼ばれた特別は、“姫巫女”と呼ばれる特別と共に成長し、そして。

 マグニコアという光を生んだ、魔王という漆黒を打ち払ってしまったのだから。

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