17.聖者問答

「それでは、今日も講義を始める。ソレイユ、リスティ。教科書はちゃんと持ってきているね」


 石造りの神殿の一室。冷たい風が入る簡素な部屋に、二つの木製の机が並ぶ。

 そこには年端もいかない男女の子供が椅子に腰かけていた。

 彼らと対面に立つ禿頭の男は、クスリと笑う事も無く子供たちに背を向ける。


「では、二十ページを開きなさい。今日はこのリュミエール公国の発展について解説する」


 目の前の黒板に、石灰で文字を書いていく。

 ゴダマ・アラキス大司祭。教育係の一人であるこの男の講義に、ソレイユとリスティリアは真剣に耳を傾けていた。


          ☆☆☆


 扉を、開く。収まらない荒い呼吸をそのままに、俺は挨拶も無く部屋へと足を踏み入れた。

 縦横十五メートル程と、老人一人が使うにしてはかなりの広さを持つ部屋。しかし家具などは最低限しか配置されていないようで、簡素な雰囲気を漂わせていた。

 部屋の一画には、木製のベッドが配置されている。そのベッドに腰掛けるゴダマは、俺に鋭い視線を投げかけていた。


「……マグニコアの部隊の者ではないな」


 大股で近づく俺に対し、酷く冷徹な声でゴダマは言う。

 どうやって見抜いたのかは定かではない。……いや、考えてみれば最高司祭の部屋に無断で入ったのだ。普通の聖騎士では考えられない事だろう。


「なら、誰だと思う?」


「暗殺者や強盗の類にしては喧しい。貴様が正気とも思えぬが」


 夜中に突如入り込んできた無法者に対して、怯える様子を一切見せない。

 俺は昔から、表情を顔に出さないこの男が苦手だった。


「今は問答をする時間も惜しい。これで、分かるよな」


 俺はゴダマの前までやって来ると、兜を外す。

 俺の顔に、ゴダマは目を見開いた。


「き、貴様はッ……!!」


「まぁ聞け、ゴダマ。お前に伝えなきゃいけない事がある」


 あまりにも突然の事に、混乱しているのだろうか。ゴダマは俺のその言葉を前に、くぐもった息を漏らす。

 違う。この男の反応は、やはり


「今リスティは俺との繋がりを疑われ、捕縛されている。お尋ね者のビルグ・ワイズマンをかどわかし、この街を襲おうとしている俺に。この認識で間違ってはいないか」


「……ああ」


「それを始めに提唱したのは、アンタの息子でもあるマグニコア。これはどうだ」


「それが、どうした」


「結論から言えば、ビルグを使いこの街を攻撃しようとしていたのはマグニコアだ。俺とリスティは、何の関係も無い」


 始めこそ見て取れた動揺も、会話が進むにつれて落ち着いていく。ゴダマは俺がこの部屋に入った時のような、至って冷静な瞳を俺に向けていた。


「証拠はあるのか」


「後で見せてやる。その為にはアンタの協力も少しばかり必要になるんだが」


「……何故私が貴様の言う通りにしなければならないのだ。聖剣を盗んだ、貴様の言う通りに」


「あー、悪い悪い。聖剣は申し訳ないと思ってる。だけど俺も止むに止まれぬ事情があったんだよ」


「ッ!! 我ら光教の聖遺物を盗んでおいて、止まれぬ事情だと……!?」


 よし、ここまでは想定通り。

 なら後は、俺の勘が正しいかどうかを証明するだけだ。


「ああ、そうだとも。その事情は、アンタなら絶対に分かってくれる筈だ」


「そのような事があるわけ──」


「いや、ある」


 俺の断言する口ぶりに、ゴダマは言いかけた言葉を塞き止める。親の仇を見るような視線を俺に投げかけ、重苦しい声を発する。


「なら、聞かせてみろ」


「良いとも。アンタが三年間、心の何処かで燻ってたであろう違和感にも繋がる話だ」


「何……?」


「ゴダマ、アンタさ」


 俺の勘が当たっていれば、必ずゴダマは俺の言う事に耳を貸す筈だ。

 何せ、この男は。



「────」


「聖剣を持ってったのは悪かったよ。でも皆おかしくないか? 魔王を倒した俺を、極悪人だと言って殺しに掛かってくるんだぜ?」


 俺の言葉は、果たしてゴダマに響くだろうか。この賭けに成功しなければ、最悪なパターンだ。

 だが、もし成功したとするのならば。

 全てをひっくり返す、凶悪な切札と化ける。


「……やはり、か」


 目の前で静かに呟いたゴダマは瞳を閉じる。

 ──勝った。確信した俺は、畳み掛けるように言葉を紡いだ。


「“反転の魔王”は死ぬ間際に一矢報いたんだ。勇者としての能力で魔法が効かない俺には通用しない。だからこそ奴は、俺以外の全てに呪いを掛けた」


 ゴダマは食い入るように俺の言葉に耳を傾ける。

 そうだとも、アンタは三年前からずっと不思議に思っていた筈だ。


「呪いの内容は単純だ。<太陽の勇者>を好ましく思っていればいる程、逆に憎らしく思ってしまう。──いわば、好感度“反転”だ」


 我ながら突拍子の無い話だと思う。寝こみを襲われて聞かされるにしては、随分と不出来なお伽噺だ。

 だがゴダマはその話を馬鹿にする事も無く、ただ口を開いた。


「何故、この話を私に?」


「だってアンタ、


 俺の言葉に、初めてゴダマが反応を見せる。

 静かに、嗤ったのだ。


「ふ、ふ……なるほど。“反転”とは言い得て妙だな。確かに、ゼロを反転してもゼロのままだ」


 十一年前、この教会に下された天啓により俺は勇者となった。半ば誘拐のように連れ去られ、魔王を倒すべく様々な教育を施された。

 光教を信仰する者達は、基本的に皆善人だ。弱者の救済を掲げたこの宗教に、やり方の違いはあれど信念は皆一つ。だからこそこの教会に連れてこられた俺に、神官や司祭は同情の眼差しを送っていたものだった。

 しかし、それでも。幼き俺は分かっていた。

 このゴダマ・アラキスという男は、勇者として選ばれた俺に何の感情も抱いてはいないのだと。


「三年前、アンタは驚いた事だろう。俺は魔王を討伐した筈なのに、急に周囲は俺を極悪人と認識しだしたんだ。俺が湖に溺れたリスティを助けた事や、持病の発作で倒れたアンタに応急処置を施したこと。俺がこの場所で過ごした思い出が、全て悪い話に仕立て上げられていた」


 魔王の呪いはあくまで“反転”。俺を良く思っていた者は悪く思う、悪いと思っていた者は良く思う。その作用こそが呪いなのだ。

 だが、元がゼロであればどうなるか。呪いは呪いとして機能のしようが無く──その効果は、顕れない。


「だが私はお前の事を憎らしく思っているよ、勇者。何せ聖剣を持ちだしたのだから」


「それは魔王を倒した後に起こった事だ。皆が俺の勝利を願い、魔王の討伐を願っていたあの時間。魔王が呪いを掛けたあの瞬間。その時まで、アンタは俺に対して好きも嫌いも無かった。そうだろ?」


「──見事な物だ。十年前の段階で、そこまで私を見抜いていたか」


「……わかるさ。何せ、アンタは」


 思わず口から出そうになった言葉を、飲み込む。この言葉は、恐らく必要な言葉ではないから。


「いや、いい。話を最初に戻すそう。リスティは俺の事を本気で極悪人と思ってる。だから、俺と繋がってるなんて事はないし、ビルグとも面識は無い」


「ふん、そんな事は百も承知だ。お前が証明するまでも無く、ビルグを使いこの街に害を為そうとしたのはマグニコアだろう」


「なッ……! アンタ、分かってたのかよ!?」


「無論だ。あの娘に利が無さすぎる。だが、あの場はあれで収める以外は無かった。次の定例会ではマグニコアを追及するつもりだ」


 つらつらと言葉を並べるゴダマが、嘘をついているようには思えない。いや、恐らくは本当に実の息子であるマグニコアを疑っていたのだろう。

 だが、この男は一つ失敗をしている。


「遅すぎる。マグニコアは、アンタが寝込んでいる内にリスティを消すつもりだ」


「な、何!?」


「恐らく奴は、アンタがそう思ってる事すら考えているだろう。余計な詮索をされる前に、このままリスティを有罪にした方が話は早い」


「奴にそんな権限は与えていない!!」


「アンタはどうしてあの場をこの形でいさめた? ……わかるだろ。他の司祭達は、リスティと俺が繋がってる方が分かりやすいんだ」


 初めて俺の言葉に強く反応を示したゴダマは、忌々しげに舌打ちをする。


「……他の全員を納得させるだけの証拠があるのだろうな」


「それを今から作るんだ。アンタは俺に協力してくれればいい」


 ゴダマはやはり最初と変わらぬ、鋭い目つきを俺に向ける。

 そして大きく息を吸い、吐いた。そうとも、アンタは俺に


「聞かせてみろ。私は、何をすれば良い」

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