19.裁き

 歪な音を響かせながら、石造りの壁は崩れ落ちていく。

 ──俺の放った拳は、マグニコアではなくその後ろ。独房の壁を突き破っていた。

 その衝撃で独房の一画はぽっかりと風穴を開け、涼しい夜の空気が頬を撫でる。


「ふ、ふふ。良く耐えたな。やはりお前には、私は殺せないのだろう」


 勝ち誇った笑みを浮かべながら、マグニコアは俺を見やる。しかしその顔は、すぐにでも崩れ去った。

 苦虫を噛み潰したような、苦悶の表情を浮かべる俺を想像したのだろう。だが、俺はそんな顔をしてやらない。

 俺はマグニコアと全く同じ、勝ち誇った笑みを浮かべて言う。


「俺はアンタを殺さない。神の裁きとやらを下すのは、俺の役目じゃないんだ」


「な、何を……」


「──先ほどの話は本当なのだな、マグニコア」


 突如、独房に重苦しい声が聞こえる。それは俺が風穴を開けた壁の向こう側から響いていた。

 もうそれで幾ばくかを察したのだろう、マグニコアは錆びた風車のように機械的な動作で首を外へと向けた。

 そこに立っていたのは、ゴダマを含む十一人の大司祭達。全員が、蒼白の顔を浮かべていた。


「何故、だ。……何故だッ!? 何故お前達が此処に居るッ!?」


「ゴダマが連れて来たんだよ。お前の本音を聞くためにな」


「あ、ぐッ……!? 父上が、どうして……!!」


 狼狽えるマグニコアを余所に、ゴダマは二つの閉じた瞼を開いてマグニコアを凝視する。

 この親子の関係は俺にはわからない。だが言えるのは、ゴダマの視線。これは、少なくとも愛する我が子に向けられた物ではないという事だった。


「父上ェッ!! 貴方は、貴方はこの極悪人と繋がっていたというのかッ!?」


「それは否だ。私は奴に“脅迫”され、この場に居たに過ぎん」


 マグニコアが必死の形相で俺を睨み付ける。

 俺はそのゴダマの言葉に呼応し、精一杯の悪役顔を創り上げた。


「そういう事だ。極悪人である俺がどういう手段を取るのか、察せられなかったお前の負けだ」


「ち、違う。違う違う違う違うッ!! 違うぞ、断じて私は違うぞ!! 私も、この極悪人に脅されて……!」


「醜い言い訳は止せ、マグニコア。先ほどのお前の独白を聞いて、それを信用するほど我らも愚かではない」


 ゴダマが言う。他の住人の大司祭達もまた、一様にしてマグニコアを睨み付けた。

 ──奇しくもそこに、ハト派やタカ派といった違いは無い。


「わた、しは……! 私は、皆の為に……!」


「皆の為に、彼女に暴力を振るったのか」


「それ、は」


 言いよどむマグニコアの視線が、リスティへと向けられる。

 凄惨な状態のリスティは、これだけ大きな音が鳴り響いたとしてもピクリとも動かない。マグニコアからの暴力を受け衰弱しきっている事は明らかだった。


「──この異端者を連れて行け。後日正式な裁判を執り行い、裁きを下す」


 ゴダマ・リュミエール・アラキス。公国の名を冠する最高司祭が、言う。その言葉には、血の繋がりを一切感じさせない冷徹な色が籠っていた。

 俺は掴んだマグニコアを乱暴に投げつける。受け身の取り方もわからないマグニコアはごろごろと不格好に回転しながら、大司祭達の足元に転がった。

 数人の大司祭が暴れるマグニコアを取り押さえ、引きずっていく。


「ち、父上、父上!! 私は貴方の背中を追ってここまで来たのです!! 魔物を、魔族共を放置する事が、本当に民を救い上げる事だと思っているのですかッ!!」


 喉が裂けんばかりのマグニコアの問い。

 ゴダマは暴れるマグニコアの傍まで寄ると、マグニコアの頭を右手で掴み上げる。そして目を見開き、告げた。


「──どうでも良い」


「……は?」


「我ら光教の司祭の務めは、“光教の威光を民に理解させ、存続する事”にある。弱者を救おうが、魔物を屠ろうが、光教の利になるのならば何でも良い」


「何を、言って……」


「貴様がやろうとした事は、光教の信用を失墜させ、存続を脅かす恐れがあった。それさえも分からぬ愚か者だと言うのならば、もう貴様は私の息子でも何でもない。後日下される裁きを待っていろ」


 マグニコアの瞳から、光が消える。

 俺はあの男がどういう気持ちで大司祭の位に就いていたのかは知らない。奴の行いに、同情の余地は欠片も無い。

 だが、それでも。何の感情も宿らぬ声で、我が子に絶縁を告げるゴダマの姿を見て。

 俺はやはり、この男が好きになれないと思った。


「連れて行け。私もこの極悪人と少し話してから向かう。……余計な詮索は、不要だ」


 ゴダマの圧力に、大司祭達がたじろぐ。

 反論の一つも起こる事無く、大司祭達は抜け殻となったマグニコアを連れて大神殿へと戻っていった。

 風穴が開いた独房には俺とゴダマ、そして気絶したリスティが取り残される。


「まずは、リスティリアの治療をさせろ。話はそれからでも遅くはなかろう」


「勿論だ。俺も出来うる限り手伝おう」


 俺が提案しようと思っていた事を先にゴダマに口にされ、何となく気後れするもゴダマに追随する。

 倒れたリスティに、持ちうる限りの魔力を使って回復魔法を掛ける。

 ……せめて、傷跡が残らぬようにと祈りながら。


          ☆☆☆


 混濁する意識の中、リスティリアは過去に思いを馳せていた。

 幼き頃に両親から引き離され、まさに石の監獄とも呼べる神殿へ連れて行かれた。待っていたのは勉学、そして“立派な司祭”となる為の教育の数々。

 保有する魔力量、そして回復魔法の適正が高いというだけで、何故自分がこんな仕打ちを受けなければならないのか。神の近しい場所に在りながら、リスティリアは神を呪い続けた日々を送っていた。


「──リスティリア。君に、重要な任務があるんだ」


「安心してくれ。この任務は君にとっても嬉しい物だろうから」


「君と共に学び、共に食事をする同級生が出来る。その子と、仲良くしてあげなさい」


 その中で、リスティリアにとっての光はゴダマに他ならなかった。

 孤独に怯え、苦痛に苛まれ。“姫巫女”と呼ばれ祭り上げられる日々に差し込んだ一筋の光。

 自身の本当に欲してくれた物を、与えてくれた人物。


「──リスティの勘は、本当に良く当たるよな!」


 ふと、リスティリアの過去にノイズが走る。自分にとって最も煌びやかだった筈の記憶が歪む。

 あの瞬間が何よりも尊かった筈だ。独りでいる事を恐れたリスティリアに、ゴダマが手を差し伸べてくれたあの時が。

 しかし、それは。

 本当に、そうだったのだろうか。


「……ねぇ、■■■■君」


「何だい、リスティ」


 少年と少女が、夜空の下で語っている。

 その小さな肩にはそぐわない、重すぎる使命を背負わされた二人の姿。


「■■■■君は、■■なんだよね」


「そうらしいね。自分でも、よく分かってないんだ」


 少女が喋る特定の言葉が、まるで靄が掛かったかのように聞き取れない。

 どうやら少年には聞こえているようで、何でもないように返答している。


「どれだけ掛かっても良いからさ。──絶対、戻ってきてよね」


「……うん!」


 少女の言葉に、少年は屈託のない笑顔で答えた。

 一体この少女は、“誰”を待っているのだろう。

 そういえば自分にも、待っていたい誰かが居たような気がする。それが誰なのかは、皆目見当もつかないが。

 まるで酩酊めいていしているかのような、ふらつく感覚。しかしその中で、リスティリアは確かに“誰”かの声を聴いた。


『リスティ、リスティ!』


 ああ、それは先ほどの少年が少女を呼ぶときに使っていた名前だ。過去に、“誰”かが自分を呼ぶ時にもそう言っていたような気がする。

 もう少しで明確な答えを掴めそうなのに、掴めない。この声がする方に意識を向ければ、何とかなるような気がしてしまう。

 リスティリアは少女を、自身を呼ぶ声を頼りに記憶を掘り起こしていく。

 ──わたしをよぶのは、だぁれ?

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好感度“反転”、思った以上に地獄説 袋池 @fukuloike

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