11.邪法遠征-3

「まさか同じ相手に二度も“切札”を使う事になるとはな……!!」


 ビルグ・ワイズマンは漆黒のローブをはためかせ、“増加のグリモア”アクセルを開く。紫色に発光する魔導書は、まるで風に吹かれたかのようにパラパラとページが捲られていった。


「シャドウジャック!! あの男をペシャンコにしてやれッ!!」


 ビルグの掛け声が響くと同時に、俺を纏う悪寒が再度誘発される。第六感がうるさい程に警報を鳴らし、身体を突き動かしていく。

 右に、左に、前に、後ろに。止まる事無く避けていく矢先に、先ほどまで経っていた地面が次々とクレーターを作っていく。


「な、何故だ! 何故避けられる!?」


「シャドウジャック、か。確かにこいつは、“魔将軍”にさえも引けを取らない魔物だな」


 カテゴリ、アンデッド。無色透明の身体を持ち、手の持つ様々な武器を使い生者を刈り取るとされる最悪の魔物。死した暗殺者の無念が形を保ち生まれたと言われる魔物だが、この魔物自体に意志は無い。

 故に人間の敵である事は勿論だが、シャドウジャックの暗殺対象は魔族とて例外ではない。アンデッドとは意志を持たぬ現象のような存在である為、その被害はアンデッド以外全てに引き起こされる。


「アンデッドの使役、か。ユグドラシルでも認められない邪法だな」


 だからこその禁忌。強力な生命力と力を持つ不死の存在は、人間社会において不可侵の領域とされている。

 ユグドラシルでは研究対象でこそ許される物の、死者の魂を弄ぶ事を公に許可するわけにも行かず、表向きには禁止されている筈だった。


「知ったような口を……! 私の力を、甘くみるなあああァッ!!」


 強烈な烈風が吹き、木々を揺らす。ビルグが深く被っていたフードが外れ、その中から若い青年が顔を出す。

 その目は血走り、充血している。過度な魔力が注がれている事は、先ほどよりも更に光度を増した“増加のグリモア”アクセルを見れば明らかだった。


「……ッ!!」


 今日一番の危険信号が、脳内を駆け巡る。先ほどよりも数段早く、そして鋭い不可視の攻撃が俺を襲い始めた。

 一歩、二歩、三歩、四歩。動くに連れ、シャドウジャックの攻撃は更に素早く、激しさを増していく。


「ビルグ!! それ以上は、アンタの身体が保たないぞッ!!」


「黙れ、化物めッ!! さっさと殺されていれば、面倒な事は無かった物を……!!」


 叫ぶようなビルグの表情にも、限界の色が現れる。このまま魔力を使い果たせば、“増加のグリモア”アクセルに全ての魔力を吸い取られるだろう。

 そうなれば、良くて廃人。多くの場合は死に至り、最悪となればどういう結果を引き起こすのか想像する事も出来ない。それだけ危険な魔法の領域に、ビルグは差し迫っていた。


「くそッ!!」


 一瞬の隙を突き、剣をシャドウジャックの気配がする方へと振るう。しかし確かな手ごたえは感じられず、硬い皮に打ちつけられた刃は逆に刃こぼれを起こした。

 所詮市販の刃。七体のホーンビーストを斬った上に、シャドウジャック程の強力な魔物を仕留める事は難しい。こんな事ならば予備の剣を持ってくるべきだったと後悔もするが、誰がこんな最強クラスの魔物の存在を予期出来るというのか。


「死ね、死ねえええええええェェッッ!!」


 喉が裂けんばかりに叫ぶビルグの両目から、血が溢れ出す。体温が過度に上昇しているのか、その身体からは赤黒い煙が立ち込めた。

 残された時間は、少ない。


「迷ってる暇は無ぇな……! ルナ、抜くぞ!!」


『そんな男、見捨てちまえば良いのにニャァ』


 剣呑な空気とは裏腹に、何処かのんびりとしたルナの声が響き渡る。

 俺は手に持った剣を捨てれば、腰から聖剣を引き抜いた。


「その、剣は──」


 思わず“増加のグリモア”アクセルに魔力を送る事を中断し、ビルグはポツリと呟いた。

 俺の手に持たれた聖剣は、淡く銀色に輝いている。まるで月の光を一本の剣に収めたかのような、幻想的な光。俺の込める魔力に呼応し、その刃は更に輝きを増していく。

 ビルグの魔力供給が中断された事で、シャドウジャックに明確な隙が生まれた。


「──だりゃああああああああァァッ!!」


 右肩から、左腹部に掛けての大きな袈裟切り。例え多少の予備動作があろうとも、使役と本能の境目に戸惑うシャドウジャックに避ける術は無い。

 まるで鉱石のように硬い皮と肉を、聖剣はいとも容易く切り裂いて見せた。

 無色透明の亡骸は、見えぬ血しぶきの音を響かせ──やはり、見えぬ亡骸を地に落とした。


「ひ、ひいいいぃぃぃぃぃぃっっ!!!」


 続いて断末魔のような叫び声を響かせたのはビルグであった。

 手に持った“増加のグリモア”アクセルを放り投げ、尻餅をついたビルグは後ずさる。


「聖剣、だと……! 貴様、まさか、まさかあの……!!」


「──人違いだと言って、信じてはくれないよな」


「勇者ソレイユだというのか……!? 何で、何でお前がこんな所にいるんだァッ!!」


「おい、忘れるなよ。お前に質問をするのは、俺なんだ」


 俺は聖剣のビルグの首元に宛がい、言う。


「全てを離して貰うぞ、ビルグ。死にたくなければ、な」


          ☆☆☆


 魔王討伐以降、三年間一切世に出る事が無かった俺を前にして最初はビルグも狼狽していた。しかし少しずつ落ち着きを取り戻し、最早自分に打つ手がない事を悟ったのか少しずつ全容を語り始めた。

 陽も落ち、辺りが真っ暗になった頃。ようやく俺は、ビルグの全貌を理解する事が出来たのだった。


「──なるほど。まさか、マグニコア大司祭の手引きとはな」


「あの男が持ちかけたのだ! “増加のグリモア”アクセルを用い、魔族の軍勢を作った上で公国を襲えば私が自由に研究できる場所を提供すると……!」


「大方それを討伐し、魔物撲滅の有用性をアピールするつもりだったか。お前はお前で、非倫理的な研究が大手を振って出来るだろうと? 最悪だな、お前達は」


「ふん、何とでも言うがいい! 私は人である前に、大いなる知識の……奴隷、なのだから……!」


 言うべき事を言い切ったビルグは、その言葉を最後に意識を途切れさせる。“増加のグリモア”アクセルを用い、あれだけ無理をした後に数時間と渡る尋問だ。無理も無いだろう。

 倒れたビルグを確認し、落ちた“増加のグリモア”アクセルに手を掛けた時、腰に差した聖剣から甲高い声が聞こえる。


『──ソレイユ』


 もう隠す事は無いと言わんばかりにルナが語りかける。

 現在は聖剣に身体を収容しており、黒猫という肉体さえもないルナの声は、聖剣から響いていた。


「どうしたんだ、ルナ?」


『恐らく、面倒な事になったニャ。というか、最悪の状況だニャ』


「い、一体何だよ?」


『ホーンビーストを追いかけた二人が、戻ってこないニャ』


「……ッ!! やべぇ、忘れてた!!」


 そうだ。逃げたホーンビーストの討伐を任せたルイスとクレドラ、二人の存在が完全に頭から抜け落ちていた。

 だが二人も聖騎士団第一部隊の戦士だ。慎重に行動すれば、大事に至る事は無いと思っていたのに。

 ……いや、だからこそ。


「──あまりにも、遅すぎる」


『ソレイユ、今すぐ麓に確かめに行くニャッ!!』


 すぐさま落ちた“増加のグリモア”アクセルを回収し、気絶したビルグを掴みあげる。聖剣を鞘へと納め、念のために刃こぼれした剣も回収し、一気に下山していく。

 あまりにも迂闊だった。ビルグを尋問する際、俺はライトという皮を被っていたか?

 それは、否だ。最早一度正体が割れた相手に、隠し通す意味は無いのだから。

 もしルイスとクレドラがホーンビーストの討伐が終わり、俺とビルグの会話を聞いてしまったとしたのならば。


「やっち、まった……」


 俺の不安は、見事に的中する。

 麓に止めてあった筈の三頭の馬は。


「こいつは、最悪じゃねぇか……!!」


 剣を突き立てられ、無惨に死した一頭を残し。

 他の二頭は、消え去っていた。

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