14.正義と欲望

「──何せ、ビルグを動かしていたのは他ならぬ私なのだからなァ」


 マグニコアの声に、リスティリアが目を見開く。

 自分を陥れる所か、犯罪者まで使っていたとは考えもしなかったからだった。


「何故、何故そのような事を!? 貴方こそ、あの極悪人と……!?」


「滅多な事を口にするなッ!! 奴が居た事は私も計算外だったのだッ!!」


 リスティリアが思わず口にした言葉に、マグニコアが憤りの声を挙げる。

 しかし崩れた表情も一瞬、余裕の笑みを浮かべたマグニコアは続ける。


「召喚魔法の第一人者であるビルグを使い、魔物を使役させる。その魔物がこの公国を襲う事によって、人々は知るのだ。魔物の恐ろしさを。撲滅の有意義さを!」


「公国を、襲わせる!? 正気ですか、貴方はッ!?」


「無論正気だとも。南方は北方の魔族領から一番遠い為か、お前のように平和ボケした連中が多くて敵わんからな。良い刺激になるだろう?」


「い、一体どれだけの被害を出すつもりだったのです!?」


「精々外壁を壊し、何名かの住民に手を掛ける程度さ。我が聖騎士団が一丸となれば、魔物はビルグごと黙らせる事も出来るからな。被害の調整など容易く行える」


「目的の為に、罪のない人々を犠牲にするだなんて……!」


「何度も言うが、平和ボケしたお前達がどうかしている。魔物がいる限り、真の平和は訪れないのだからな!」


 腕を振るわせ、声高らかに宣言するマグニコアの瞳は、一切狂ってなどいなかった。

 ──マグニコア・アラキスもまた、ただの外道では無い。最高司祭であるゴダマの嫡男として育ち、光教の理念を叩き込まれた“特別”の内の一人だった。

 だが同時に人間の欲望を強く持つ彼は、圧倒的な“力”に惹かれていた。それを以て、正義を為す。暴力性を内包したヒロイズムに陶酔した、義憤の瞳がそこには在った。


「弱者を救済し続ける事に、意味など無い!! 弱者を生み出さぬ仕組みを、世界を創らなければ終わりは無いのだ!!」


「その為に民に犠牲を強いるなど本末転倒です! 光教の教えは、弱者を守り抜く事なのですから!」


「大いなる目標の為に、いつだって犠牲は付き者だ」


 自身を何処までも信じて疑わぬ瞳。その冷たい眼差しに射抜かれ、リスティリアは息を呑む。

 マグニコアはリスティリアを見下しながら、眼差しと同様に冷え切った声を響かせる。


「……私が何故この事をお前に話しているかわかるか? もうお前に、打つ手は無いからだ」


 心労で倒れたゴダマがすぐに復活する事は無いのだろう。いや、仮に起き上がったとしても、マグニコアは無理やりリスティリアを吊し上げる事が出来る筈だ。

 何せ、リスティリアが処刑台に立つに相応しい証拠を持っているのは、他でもないマグニコア本人なのだから。

 懐疑的な目で見られているリスティリアが犯人であるように仕立てあげる事など、造作も無い。


「お前は美しい。それだけで、価値がある。──だからこそ、私はお前を救済してやると言っているんだ」


「救、済……?」


「大人しく私の神殿に来い。そうすれば、一生可愛がってやる」


 一転する声色。その手を取らなければ、自分にどれ程の屈辱が待っているのか。

 想像するだけで身が震える恐怖と、目の前の醜悪なモノの所有物となる嫌悪感。その天秤が、心の中で揺り動く。


「わた、しは」


「不名誉を背負い、死にたくないだろう? 安心しろ、私が上手く言い繕ってやる」


 きっと自分の噂は、国内に居る両親の耳にも届いているだろう。例え教会を脱退したとしても、最早自分に帰る場所など何処にも無い。

 極悪人と通じ、魔物を使役し公国を襲おうとした。それは考えられる限り、最悪の行為だとリスティリアは認識していた。

 ──しかし、それでも。


「私は、貴方には従いません」


「……何?」


「例え貴方によって作られた不名誉を背負ったとしても、私は貴方にかしずきません!!」


 リスティリアは気丈な視線でマグニコアを睨み返す。


「お前の人生は、この公国で一生語り継がれるぞ。民を騙した、極悪非道な“姫巫女”として」


「……っ! それでも、私は従いません。貴方に縋るという事は、私の信仰を踏みにじる事となる!」


 リスティリアは大きく息を吸って、吐く。


「私は光教の信徒です。弱者を見放さず、如何なる時でも手を差し伸べる。貴方のように自分の目的の為に他者を喰い物にする外道とは、違うのですッ!!」


 重いの丈を、ぶちまけた。

 ──マグニコアに、表情は無い。一切の感情が覗えない無表情に、啖呵を切った筈のリスティリアの額に冷や汗が流れる。


「……そうか。お前も、私を軽んじるのだな。父上のように」


 無表情のまま、マグニコアはリスティリアから離れる。

 しかし次の瞬間、振りかぶったマグニコアは助走をつけ、思い切りリスティリアの頬を殴りつけた。

 鈍い音が牢屋に木霊し、突然の痛みにリスティリアはうめき声を挙げた。


「何故私の言う事がわからないのだ、お前達はッ!! 魔族を放っておく事の、何処に理があるというのだ!! この私に、説明してみろッ!!」


 怒り狂う声を挙げながら、マグニコアは右手で、左手でと交互にリスティリアを殴りつける。

 血走った瞳には先ほどの高説から感じられた正義感などまるでなく、宿るのは怒気と狂気を孕んだ“魔族”のような瞳であった。


「何故ポッと出の貴様が枢機卿の位に就く!? 私は、私は特別だったんだ!! お前達のような凡愚共とは、全てが違う筈なんだッ!!」


 リスティリアを殴りつけるマグニコアの拳から、血が噴き出す。それでも尚、リスティリアを殴る手は止まらない。


「お前のようなクズが、何故私より上に行く!? 何故父上は私を見ないのだ!? 神の寵愛を受けるべきは、この私だろうッ!!」


 湯水のように溢れる罵倒と暴力は、更に加速していく。

 五分、十分、二十分。一体どれだけの時をそうやって過ごしたのか、最早マグニコアには分からない。

 しかし肩で息をするマグニコアは、ある時ようやく既にリスティリアの意識が飛んでいる事に気が付く。

 顔中から血を流し、ピクリとも動かないリスティリアを見下し、息を整えたマグニコアは言い放った。


「何だこの醜悪なモノは……。クソ、私はこんな物に執着していたとは。大義を見失ってはいかんな」


 一息つくと、立ち上がる。倒れたリスティリアの息を確かめる事もせずに、踵を返した。

 牢の扉を開き、閉める。着崩れた衣装を戻した所で──目の前で独房の扉が開く。先ほど追い返した騎士が、マグニコアを出迎えていた。


「……おい。私はお前に退席と人払いを命じた筈だが」


「ええ。私が戻ってきたのは、丁度今ですから」


「信用出来るわけが無いだろう!! 貴様、もしや私の話を盗み聞いていたな!?」


「いえ、本当です。それよりマグニコア大司祭。──その拳についている血は、一体何ですか?」


「貴様が知る必要はない。それよりも、名を名乗れ。お前を軍法会議で──」


 マグニコアが言い終わらぬ内に、騎士は機敏な動作でマグニコアの顔面を殴りつける。

 一直線から痛烈な拳を喰らい、マグニコアの身体は数メートルの距離を転がった。


「ぷ、ぷあぁっ!? き、貴様ァッ!! 誰に何をしたのか、分かってるんだろうなァッ!?」


 騎士はマグニコアの声を聴く事もせず、独房に入れば扉を閉める。そして、牢へと視線を向けた。

 中で意識を失っているのは、リスティリアだ。暗がりの為顔を覗う事は出来ないが、その身体の周りについた夥しい血液は、恐らくマグニコアのモノでは無い。

 騎士はそのままマグニコアの元まで歩き、そして胸倉をつかんだ。そのままもう片方の腕で、兜を外す。


「よう、マグニコア大司祭。よくもまぁ、やってくれたみたいじゃないか」


「────は?」


 マグニコアは、わかってしまった。

 生まれながら特別で、神の愛を受ける自分の胸倉をつかむ不届き者。

 その男の顔が、手配書で見た“極悪人”の顔と全く同じ物である事を。

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