10.有料の感想と、評価者の重要性

 コメント返信の延長になってしまう話なのですが、今回は「感想」と「批評」についてのお話です。


 以前からちょっと話題になっていることに「有料で感想を買うことの是非」というのがあります。


 これに関しては結構評価が様々で「感想を金で買うなんて何事だ」という評価もあれば「でもいい感想を貰えるのは大事だから、それに金を払うのはおかしくないんじゃないか」という意見もあると思います。それ以外にも色々な立ち位置があると思いますが、長くなってしまうので、今回は割愛します。



 まず、自分の立場を明確にしておきましょう。「有料で感想を買う(あるいは有料で感想を書く)」という行為自体に関して、「あり」か「なし」かの二択で言えば、自分は「あり」だと思います。ただ、これに関しては「ただし」という条件が一杯つくので、それについて詳しく書いていきます。


 大前提として、今、感想というものの取り扱いが難しくなっている印象があります。


 以前「主に小説家になろうでの感想は割と「主義のおしつけ」になっている気配がある。それは「それを聞き入れて人気取りをすることが当たり前という土壌」があるからではないか」ということを書いたことがあります。


 そんなこともあってか、割と「感想や批評を書き手が受け入れるべきか」ということが話題になるイメージがあります。それくらい「趣味の押し付け」に近い感想が多い、ということなのでしょう。


 それに加えて、「流行りのジャンル」と「そうでないジャンル」での二極化も凄まじいです。要は「こういう話なら読まれる、違ったら読まれない」という土壌が段々とネット小説全体で確率されている。


 本当なら評価やPVは、作品を評価する絶対的な指標であるのが理想です。だけど、現実問題としてそうはなっていない。ちょっと酷い言い方ですが「流行りのテンプレにのってるだけのつまらん話」が平気で数字を稼いでいるというのが現状です。


 そしてそれらが商業に乗っかったときの評価は「何故“なろう系”は嫌われるのか?(以下なろう系)」などで書いた通りですが、どうやら上記で述べた「アニメ化時のヘイト」以前に、書籍化の時点で苦戦する、というのが最近の実情の様です。


 いわばネット小説は悪い意味でガラパゴス化している、と言えるでしょう。



 少し前置きが長くなりました。そんな「虚像のような数字」を神格化してしまっている現状を考えた時に「流行りを度外視で評価をしてくれる人」の存在が求められるのはある意味必然なのかなと、自分は思っています。



 自分が良く引用する「場」の考え方というのがあります。


 例えば学校の授業で、多くの生徒が居眠りをしている。その居眠りをしている状況においては、実は「居眠りをしていない生徒」も、眠いという気持ちを持っている。それが目に見える形として表出したものだ。と、捉える考え方です(細かな部分は間違ってるかもしれません。専門家ではないので)。


 上記のような状態で、「居眠りを減らす」にはどうするか。要は「眠い」ということをみんなで共有するんだそうです。「暖かくてちょっと眠くなるな。皆で伸びでもしようか」って。そうすると、(しばらくしたらまた寝るのかもしれませんが)寝ていた生徒はちゃんと起きるのだそうです。


 この考え方で行くと、「有料の感想」は「きちんとした感想を書ける人が欲しい」という、創作界隈全体の欲求が形として現れたものなのかなと自分は思っています。


 そして、プロ、アマチュア問わず、「創作をきちんと批評できる人間」の存在はもっと評価をされていいと個人的には思っています。このあたりがきちんと議論をされていない、共有をされていないのが、今の創作界隈なのかなぁと思う訳です。


 もちろん、忖度になってはいけません。金銭を得られるとしても、その感想に忖度があったら台無しです。だって根底にあるのが「ちゃんとした感想が得られる場所」が欲しいというものですから。



 ちょっとジャンルが変わりますが、自分が知っているレビューサイトに「ラーメンデータベース」というものがあります。このサイトには様々なユーザーがラーメンのレビューを書き込んでいて、駅名や地名で検索をかければ、ラーメン屋の名前が出てきて、評価やレビューを見ることが出来る、というサイトです。


 このサイトにレビューを書いてもお金は得られません。だけど、皆がレビューを書き、その集合体が凄く「信ぴょう性があるもの」になっています。そこにお金のやり取りはありません。


 評価者が評価されることは重要ですが、金銭のやり取りがあれば「忖度」が発生する土壌になる可能性がある。ただ、誰も彼も「無料で批評を書いてくれる奉仕精神あふれる人」ではないと思います。


 上記の場合だと、評価対象がプロであるというのも大きいかもしれません。人間、アマチュア同士だとどうしても手心が加わるものなのではないかと思います。


 今、「忖度の無い確かな感想」が求められているのは間違いありません。そして、それは「プロ側の怠慢」もセットになっているような気がしてなりません。


 「なろう系」でも書いた通り、今、出版は数字を重視して、「ネット上での受けでしかなかった数を用いて商業で売り上げを上げようとしている」のが実情です。


 そして、その数字が「虚構」でしかないことが段々と明るみに出てきています。ネット小説で数字を出したテンプレ作品が、書籍で苦戦するのはその証左でしょう。


 読み手も馬鹿ではありません。段々と「飽きられている」のだと思います。そうなってくると、評価が下がるのは「ライトノベル」全体という極めてふわっとした枠組みです。


 その評価を覆すために必要なのは、やっぱり「数字では表しきれない部分をきちんと評価する評価者」であり「忖度の無い感想を述べられる人」なのではないかと思うのです。有料の感想というのはいわばその欲求の表れなのかなと思うのです。


 もちろん、問題はあります。今度は逆に、感想を書く側が上から目線になってしまう可能性も有ります。忖度の問題も付きまといます。だけど、これらの「しっかりとした感想の大切さ」に気が付いた動きは、今、きちんと議論されてもいいことのはずです。



追記

 今回は長くなりすぎるので自己判断で記事にしたのですが、もし「これについてどう思う?」みたいな話があったら、コメントなんかで教えていただければ(ある程度尺を用いて書ける題材であれば)こうやって書きますので、よろしければどうぞ。



【関連記事】

・「何故”なろう系”は嫌われるのか?」(URL: https://kakuyomu.jp/works/1177354054889523764

・ラーメンデータベース(URL: https://ramendb.supleks.jp/)

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