蝕魔剣ダーインスレイヴ(3)



     ◆



 裂け目の向こう側では相も変わらず、砂混じりの風が砂漠の上に吹き荒れている。


「マスター、傷は大丈夫ですか」

「ああ、問題ない」


 集落を去った無銘たちは、岩壁の裂け目の出口にまで到達し、しばしの休息を選択した。

 剣豪の左手には包帯が巻かれている。先程まで横一文字に刻まれた傷から血が溢れ出していたが、剣豪は白い包帯を取り出すと慣れた動作で素早く手のひらに巻き付け、手首に数回巻いて固定した。

 機械的な動作確認で左手の開閉を繰り返した名残に、白い布地に血液の赤が滲んで染まっている。しかし剣豪は些事であるかのように、自身の傷を無表情で見つめている。


「それよりもフェイの様子は?」

「先程からあの状態です。過度なストレスによる精神衰弱と推測します」


 休息を選んだ理由は、剣豪の傷が原因ではない。

 岩陰の隅で、フェイは虚ろな瞳を開いたまま膝を抱えてうずくまっている。集落を離れてからずっと塞ぎ込んでいる。

 剣豪はフェイに近づくと、目線を合わせるように呼びかける。


「案内をしてくれないか、フェイ」

「あの人達を救う意味って、あるのかな……なんであんなことしたのか、わかんない」

「人の行動全部に理屈があるわけじゃない。追い詰められると人間は普段と違うことばかりする。君は確か、皆を救いたいんだろ?」

「……うん、そうだね。わたしがやらなくちゃいけないんだ」


 フェイは勢いよく立ち上がると両手で両頬を叩く。頭を左右にブンブンと振るい、大きな背嚢を背負い直すと駆け出していく。無銘がさっと手をのばすも、それすらも振り払って砂漠へと飛び出していった。

 無銘は、隣に立つ剣豪に、自然と疑問を投げかける。


「マスター。あの集落の男性は、なぜのでしょう?」


 略奪目的の襲撃ならば無銘か剣豪を狙うはずだろうに、彼の凶刃はまっすぐフェイの元へと迫っていたと記録している。単純に自身の一番直近にいたからと、自身の同胞であろう人物を傷つけようとする行為は非合理だ。


「無銘さんはなぜ、あれほど簡単に悩みを振り切れたのでしょうか。私は、記憶の大半を失っていても人の在り方は覚えているはずでした。人間は、葛藤や感情があって行動をするものと認識しています。記憶と照らし合わせても、フェイの立ち直り方は早すぎます。あれではまるで」

「人間離れしすぎている、か」


 無銘の台詞を先回りするように剣豪は言う。


「ああいう奴はいろんな世界にいたよ。自分の命より自分の役割のほうを大事にするような、優先順位のわかってない奴ってのは」


 剣豪は砂漠ではない遠くを見るような目のまま、マントの襟口を伸ばして顔の下半分を覆う。


「ひとつめの質問の答えは……すぐわかる。フェイの後を追うぞ」


 そう小さく言うと、剣豪はマントの襟で口を覆い、砂漠へと歩駆け出していく。その背中を無銘は無言で付いていく。


 

    ◆



 砂塵舞う砂漠の霞んだ空に、直径数キロメートルに渡る鋼鉄のアーチが跨っている。アーチの側面に角度が付いた形状と周囲に点在する残骸から、円錐状の用途不明のパーツの残骸であると推測する。想像を絶する巨大な建造物か飛行物が落下し、分散した結果だろう。

 その鋼鉄の虹の下にはビル群の廃墟が広がっていた。


 朽ち果てたビル群の上部は強い衝撃を受けたように吹き飛んで存在しておらず、断面を晒している。崩れた建造物の瓦礫の山もまた風に運ばれた砂によってに埋もれつつある。

 その中央にある幅の広い道は、両側に並んだビル群の残骸によって砂の侵蝕から逃れている。薄く降り積もった砂の下には人工的に舗装された道の残骸が広がっていてる。


「わたし、この風景見たことある……初めて来る場所のはずなのに、どうして?」

「思い込みではないでしょうか」

「どこにいけばいいのか、わかるの。多分、あっち」


 フェイが指差す先には砂で霞んだ道路が広がっている。

 その道を塞ぐかのように、腐食した赤黒い肉体の獣が屯している。周囲を見回せば、赤黒い肉塊の獣が周囲を取り囲んでいた。


 ある獣は地を四足で踏みしめて、三叉に別れた頭部についた三つの眼球で此方を注視している。

 ある獣は両腕に付いた翼を広げ、不格好に羽ばたかせながら見下ろしてくる。

 ある獣は複数体の生物の上半身と下半身が入れ混じったような様相で、体躯を酷く歪ませながらゆっくりと迫り寄ってくる。

 その数は十数体。常人の三から四倍上回る大きさの獣たちが廃墟の影や上空から、理性のない瞳の集合体から本能を剥き出しに見下ろしている。

 

「マスター、戦闘準備を」

 無銘は防塵のマントを脱ぎ捨てる。身に付けている白いコートの袖口を捲り上げると、指先から肘まで深い蒼の金属光沢に包まれた腕が顕わになる。


「ムメーの腕、きれい!」

「はい、私も非常に気に入っています」


 『聖剣』の力を展開する。魔力の奔流を手先に集中させる。眩い閃光を放ちながら両腕が青白く輝き、炎のように揺らめく光が蒼い腕の周囲に纏わりつく。揺らめきは次第に安定して、輪郭の明瞭な光の刃が形成される。


「奴らが狙ってるのはフェイだ」


 無銘は目の前に放り投げられた何かを咄嗟に掴み取る。すると瞬間、手にした黄金の剣デュランダルに『聖剣』の光が伝播し、剣身は白金色に輝き出す。

 剣豪は右肩の鎧に無骨な大剣を乗せ、腰を落として大地を踏み締める。


「俺が援護に回る。突破しろ」


 フェイが球状の光に包まれる。周囲から獣の群れが猛烈な勢いで飛び掛かってくる。

 足腰に溜めた力を開放し、剣豪が後方から跳躍する。弾けるような速度のまま大剣を振り払い、空中の獣を一刀で両断。

 一方で無銘は、真正面から駆け寄った獣の牙を白金の剣身で受け止める。その刹那、上空から垂直に落下してきた剣豪の下突きが獣の脳天に突き刺さる。致命の一撃を受けた獣は力なく倒れ、無銘とフェイは再び走り出す。


 二人の後を追いすがる獣たちは剣豪の大剣によって屠られる。ビルの谷間を弾丸のように飛び交い、上空の獣を切り刻む。地上から迫れば重力を活かした急速落下の突きと振り下ろしで粉砕する。


 焦れた獣たちの注意は、前方を駆け走る無銘とフェイから、背後の剣豪の方へと寄せられる。

 獣たちは脚を止めて振り返り、地上へ着地した剣豪の方へ無数の濁った目を向ける。


「そうだ、それでいい」


 大剣を背負い、腰の鞘から二対の双剣を逆手で引き抜く。砂塵に覆われた空間の中で、赤と青の刃は内から淡く輝き出す。

 赤黒い獣の群れが一斉に剣豪へと駆ける。おぞましい悲鳴のような咆哮と地響きとが鳴り響き、無数の殺意と本能が剣豪へと集まる。


 砂塵舞うビルの廃墟に剣戟が響き渡る。土埃が辺り一帯を覆い尽くし、何も見えなくなる。

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