出逢い(破)


    ◆



 目覚めると、そこは真っ白な空間だった。

 天井一面が照明となっていて、白い壁と床とを照らしている。飾り気のない無機質な空間は、自分の居場所を失わせようとする。


「起きたか」


 聖剣は声のする方へ視線を向ける。『剣豪』が飾り気のない椅子に腰掛けていた。軽装で、腰の後ろに小さな短剣と鞘を装備している。片手に持っていた皿を壁面備え付けの作業台の上に置いて、聖剣のほうへ近づく。


「身体の調子はどうだ」


 聖剣は違和感の正体に気づく。

 ゆっくりと「右手」を持ち上げ、視界の前で指を滑らかに動かしたり、「右手」の掌と甲を裏返す。

 ベッドに横たわった体勢から半身を起こす。聖剣の肌は白磁のように輝いていて、自身の片手でもう片方の腕の肌を軽くノックする。金属のような、キンと甲高い音が響く。


「人工の肉体、でしょうか」

「義体だ。『本体』は胴体にある」


 自身の喉から発生される自身の声に新鮮な気持ちを覚える。

 『剣豪』から手向けられた手鏡で、聖剣は自分の顔を見る。端正な顔立ちの少女がそこにいて、深く青みがかった光沢のある長い髪を背中に垂らしている。

 見下ろすと、煌々と蒼く輝く結晶体が、白磁の身体の中央、胸の間に埋め込まれている。この胴体部に『刃の折れた聖剣の柄』が収納されていると理解する。


 手に力を込める。

 磁器のような硬質の腕に光が宿る。一瞬だけ白く輝く光を放ったが持続せず、仄かな光が宿る程度に収まる。この身体でも力が発動できるその事実に、聖剣は疑問と興味を隠しきれない。

 『剣豪』は先程の席に腰掛け、置いていた皿を手に取る。銀色の匙で料理をすくって口に放っていく。聖剣が言葉を探しあぐねていると、先に彼のほうが語りかけてくる。


「そういえば名前を聞いてなかったな」

「はい、私は──」

 『剣豪』からの問いに答えようと、聖剣は記憶を呼び起こそうとする。

 その瞬間に記憶領域にザッピングのようなノイズが発生する。意識が遠のいて、作り物の頭部で目眩を覚える。


「申し訳ございません。本体の破損により記憶と機能を喪失しています」

「謝る必要はない。そうだな……無銘でいいか」


 無銘。刀工の銘が刻まれてない名無しの剣や刀の総称。確かにその名称こそが一番相応しいのだろうと認識する。

「承認しました。マスター、あなたを私の所有者として登録します」


 匙を動かす『剣豪』の手が一瞬だけ止まる。


「マスター……ちょっとそれは予想外だな、じゃあ俺の番だが」


 そう言いかけた瞬間、『剣豪』はに感づく。

 『剣豪』は自身の懐を探り、首からかけた紐を引張り出す。紐には細長い赤紫色の結晶と繋がれていて、怪しく明滅している。


「直接見たほうが早いか」


 『剣豪』は皿を傾け、流し込むように残りの料理を全て頬張る。やおら立ち上がり、白い壁の一部に触れると、境目の無かった壁面が横にスライドして開かれる。

 無造作にその空間を探って灰色の布を引っ張り出し、無銘の元へと投げて渡す。


「動けるなら一緒についてきてくれ。義体の性能をテストしたい」


 無銘は投げ寄越されたマントで全身を覆い隠す。ベッドから恐る恐る降りて、白い床の上に二本の足で立ち上がる。一歩、二歩と歩いて、歩行の感覚を確認する。


 無銘が視線を戻すと、『剣豪』はすでに武装を整えていた。光沢を消した軽装の黒い鎧、腰の左右に二振り、背部に斜めに掛けた一振りの剣を装着し、背中には飾り気のない大剣を袈裟懸けに背負っている。

 『剣豪』は部屋の片隅に手を掲げる。空間に大きな歪みが発生し、名状しがたい光で彩られていた。掲げた手を胸元に戻して、結晶のネックレスをしまう。


「問題は?」「ネガティブ。いつでもいけます」

「そうか。……向こうについたら、いきなり始まる。注意しろ」

「了解しました、マスター」


 無銘と名付けられた少女は、『剣豪』と共に光の向こう側へと歩いていく。



   ◆



 空は暗い闇に覆われている。しかしそれは雲ではない。

 見下ろす大地にも影が蔓延るが、影ではない。

 その世界は滅亡の渦の最中にあった。

 荒れ狂ったような暴虐と形容すべきだろう。空だけでなく見渡すかぎりの大地が一面がどす黒い雲に覆い尽くされている。

 世界全てを喰らわんとするほどに、甲虫のような姿をした異形の怪物がひしめき合い、嵐のように蠢いている。一つ一つは人の頭ほどの大きさでしかないそれが、無数に存在している。


 形容するのであれば「蟲」と表現するべきであろう。


 残された陸地は、『剣豪』と無銘の周辺しかなかった。

 名も知らぬ山の頂、その一角には山肌を削られて建造された岩の遺跡がある。その周囲を蟲の大群が埋め尽くしている。岩で作られた門の正面に『剣豪』と無銘は降り立つ。


 無銘は壊れかけた記憶を辿るも、このような場所の記録は一切存在しない。

 無銘が空を見上げると、蟲の群れは光の壁に阻まれているように見える。背後の遺跡からドーム状に広がる壁が、無数にいる蟲の侵攻を食い止めている。


 『剣豪』は左腰に帯びた剣を左の逆手で引き抜く。刃は青く光りながら、その全貌が明らかになる。

 幅広の刃には直線で構成された幾何学的な文様が彫り込まれていて、線に沿うように光が浮かび上がる。『剣豪』は剣を軽く宙に投げて、順手で掴み直す。


 足場である地面を除く前後左右上、四方八方からの明確な敵意。


「来るぞ」


 『剣豪』がつぶやくと同事に、光の壁の一部がほつれ、蟲の大群が襲いかかってくる。前方の塊からの一つの群れが、百足のように長い群体となって迫り来る。


 無銘の目の前に飛び出た『剣豪』は、真正面から左手の剣を縦に振り下ろす。蟲の突進の勢いに合わせて振った太刀筋は、刃を通過していく蟲の群れを真っ二つに両断していく。分断された蟲の群れは山肌を転がり落ちていく。


「次!」


 今度は右後方、四時の方向から似た蟲の大群。

 無銘は咄嗟に右腕に力を収束させる。暗闇の中に眩い白の光が放出され、無銘の右上腕部が白一色に輝く。

 マントを翻し、右後方に飛びながら、無銘は腕を蟲の大群に向けて縦に振り下ろす。『剣豪』と寸分違わない構えで、蟲は勢いを利用され光の腕に分断される。しかし『剣豪』と違って、分断された蟲の死骸が蒸発して消えていく。


「そこまで動けるのか」

「無我夢中で。お気に召しませんでしたか?」

「想定以上だ。守るつもりが逆に守られたらしい」


 無銘は先程の蟲の攻撃の記録を呼び起こし、その軌道を確認する。蟲の突撃は真っ直ぐに『剣豪』に向かっていた。『剣豪』が握りかけていた大剣で反撃しようとしたが、無銘がその間に割り込んだ事実が浮かび上がる。


「この蟲は人間だけを狙う。見物してもらうつもりだったが、背中は任せた」


 『剣豪』は死角から来る蟲を振り返りながら切り払う。

 無銘は『剣豪』と背中を合わせる。相変わらず周囲には無数の蟲が蠢いている。


「策はありますか? 撤退も考慮に入れるべきかと」

「ある。しばらく斬り伏せるぞ」


 再びの蟲の襲撃に、二人は反撃に応じる。



     ◆



 千は下らない数の蟲を倒した頃だろうか。周囲の蟲の群れは一切減る様子はない。無銘の両腕に宿る光の刃が薄らいでいるが、構えを解かずに周囲を警戒する。


「申し訳ありませんマスター、活動限界が近づいています」

「そうか」


 『剣豪』も無銘と同等の蟲を切り伏せたはずだろうに、呼吸を乱すことなく左手の剣を構える。


 千や万を倒しても意味がない。たとえ爆弾などで爆破して局地的に空白地帯を作ったところで、増殖した蟲がすぐさまその隙間を埋め尽くす。

 生存と繁殖のための最適解として無限増殖を選択した。その結果が大海のように広がる無量大数の群れだ。一個の生命としての強さよりも、原始的な存在としての単純かつ増加しやすい生態を選び、生きとし生ける全てを喰らい続けた結果がこの姿であるのだろうと推測する。

 仮に一秒に一体ずつ倒したとしても、一億の敵がいるならば一億秒の時間を必要とする。そして一億を狩り終わった頃にはとっくに次の一億が増殖して待ち受けている。


 もう、終わりだと無銘は思う。


「いや、準備は整った」


 剣身に刻まれた光の筋に青白い雷光が迸っている。『剣豪』は剣を山肌に突き立て、両手を柄にかざす。

 刃が蒼の雷光を放ちながら砕け散る。不規則な破片ではなく、幾何学的なパズルのピースのように分散し『剣豪』の周囲に浮かぶ。


「こういう時なんて言えばいいんだったか……えっと……剣の名前……」

 微弱な光の壁が完全に消え去り、全方向の周囲から蟲が一斉に『剣豪』に襲いかかる。


「『グラム』」


 『剣豪』が唱えると同事に、青い雷光が爆裂。『剣豪』の周囲に迫った蟲を一瞬で消し飛ばす。『剣豪』を中心に、雷を帯びた剣の刃の破片が宙に浮いている。


「ハァッ!」


 『剣豪』は拳を握りしめ、宙に浮かぶ刃の破片を殴る。弾き飛ばされた破片は弾丸のように高速に射出される。

 破片は直線の軌跡を残して突き進み、蟲の大群に貫通する。その度に破片は物理法則を無視した角度で飛翔し、別の蟲の群れへ衝突を繰り返していく。


 目にも留まらぬ速さで拳を振るい、『剣豪』は全ての刃の破片を殴り飛ばす。最後に宙に残った魔剣の柄を勢いよく掴み取り、天に掲げて力を込める。


「滅びろ!!」 


 刃の破片は更に砕け散り、より小さな破片となって飛び去る。無数に飛び交う光線が、山頂の空間を覆い尽くしていた蟲へと飛び交い、まるで波紋が広がるように同心円状に雷光と共に消え去っていく。

 『剣豪』は役目を終えた剣の柄を放ると、石の床面にカランと音を立てて転がる。


「この魔剣は敵を捉えたら、全てを殲滅するまで自動で殺し尽くす。あの蟲の識別情報を教え込ませるのと、十分なエネルギーを溜める時間が必要だった」


 『剣豪』の言葉に促されるように、無銘は空を見上げる。

 蟲の大群は徐々に消え去っていくが、雷光の円が広がるにつれその消失の速度が落ちていく。剣の破片の一つ一つが蟲を突き破っていくたびに青い閃光を煌めかせ、蟲から魔力を略奪し、次の対象へと瞬時に飛び交っていく。魔剣は押し寄せる波の如く、完全自動の殲滅装置へと変わり果てていた。


「終わるまでしばらくはかかる。これで終わりだ。後は倒した蟲から力を吸って、終わるまで狩り続ける」

「どれくらいの時間が?」

「おそらく数年。ついてきてくれ」


 『剣豪』は振り向いて岩の門へと歩いていく。無銘もその背中を追いかけて、門の奥へと進む。


【続く】

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