幕間 魔法使い




    ◆



 雨の音が洞穴の中で反響する。

 勇者は兜と鎧を脱いで傍らに置いて、聖剣を鞘ごと外し、肩にかけるように抱えて腰掛けている。


「■■、■■■■■■■」

「─。────」

「■■■■■」


 勇者が何かを語りかけているが、雨の音にかき消されて聞こえない。意識を集中させようとするほど余計に声は小さくなり、勇者と聖剣の姿が遠のいていく。

「俺は何のために戦ってるんだろうな」

 勇者の最後の一言が鮮明に聞こえた瞬間、夢から現実へと引き戻される。



    ◆



 目覚めると、無銘は再びベッドの上に横たわっていた。

 自身の肉体の上にかけられた真っ白なシーツをめくる。自身の硬質な義体に人間のような皮膚でコーティングされている。関節部も覆われているため人間の肉体と大差ない。

 無銘は直前の記憶を呼び覚ます。『蟲』との戦闘で消耗した義体の修理と改良を行おうと『剣豪』が提案し、無銘自身がそれを了承し真っ白な部屋に戻り、指示通りに意識レベルを低下させた。

 そして今に至る。ベッドの側には『剣豪』が立っていてこちらを見下ろしている。


「おはよう無銘」「おはようございます、マスター」

「義体の表面を加工してみた。力を試してみてくれ」

「了解しました」


 右手に力を集中させる。

 想定通りに聖剣の光が宿るも、同時に黒い煙と焦げ付いた異臭とが発生する。解除すると右手首から先のコーティングが溶けて垂れ下がり、義体の硬質な手が露出する。無銘がしばらくそのままにしていると、重力に従って焼け残った手の皮が千切れ、ぼとりと真下の床に落ちる。

「やはり無理だったか」

「マスター、この義体の素材はオリハルコンの鎧と兜でしょうか」


 『剣豪』は一瞬だけ表情を変えるが、

「ああ。勇者の装備を再利用したよ」

「夢を見ました。おそらくこの義体が原因であると推測されます」

「つまり、記憶を思い出しつつあるのか」


 無銘は頷く。

 聖剣の刃を喪失により生じた記憶の欠落が、義体に馴染むたびに補完されていく。そのような推測を立てるのは思考の飛躍とは思えない。

 戦えば戦うほど取り戻せるのであれば、そこにこそ自分の進むべき道があると思う。


「マスター、私はあの人の記憶を取り戻したいと願います。ですからマスターのお気の召すままに使い潰してください」

「元からそのつもりだよ。じゃなきゃ修復しない」


 その時、扉の方向からノックの音が2回響く。『剣豪』が扉に近づき、横のセンサーに触れると横に静かにスライドして開かれる。

 魔性の美貌を持つ人だった。

 透き通るように白い長髪は背中を覆い尽くすほどに長い。長身で、夜闇を連想させる黒コートと帽子を身に着けて身体のシルエットが隠されている。左手に銀のジュラルミンケースを持ったままもう片手で帽子を外す。真紅の瞳が宿るその貌は、人の域を凌駕するほどに蠱惑的であった。


「やっほー、呼ばれて飛び出て参上したよ!」

「そうか」

「それが人を招いた態度かな!? ひどい!」


 口から出る言葉の軽さと外見の魔性が全く噛み合わない。声を聞く限りは女性のように思える。軽くあしらわれた魔性の人は無銘の姿を捉えると、大袈裟に腕を振るい丁寧に頭を下げる。

「やぁやぁはじめまして。私は『魔法使い』。以後お見知りおきを」

「始めまして。私は無銘です。マスターのご友人でしょうか」

「マスター……ああ、『剣豪』ね。彼がどのくらい思ってるかは知らないけど、私はそう思ってるよ」


 魔法使いとは役職であり固有名詞ではない。目の前の人物は三角帽も冠っていなければ樹木で構成された杖もローブも持っているわけでもない。

 魔法使いはまるで心を読んだかのように、肩をすくめる。

「狭間の世界で名前は大して重要じゃないんだ。みんな行った先々の世界で偽名を名乗ったり名乗らなかったり。だからみんな個人名ではなく、その在り方で呼ぶんだ。彼の場合は『剣豪』。名前の由来は……まぁ見ればわかるよね」

「頼む」


 『剣豪』は左腰の黄金の剣を抜刀し、テーブルの上に載せる。『蟲』との戦いのあった神殿に祀られていた片刃剣は、錆一つ無く全体を黄金に輝かせている。

 茶も菓子も出さずにこれかぁ、と魔法使いはぼやきながら黄金の剣を吟味するように観察する。


「攻撃じゃなくて防御主体の剣だ。だいぶ経年劣化している。相当に使い込まれたんだろう。大規模な防護ができたかもしれないが、これだと完全な修復は難しいし、フィールド展開を小規模にして使うほうが合理的だと思う」

「名前は?」

「少し的外れかもしれないけど、デュランダル。聖剣でいいね」

「そうか。感謝する」

「礼ならこっちを見てからだよ」


 『剣豪』は黄金の剣を左腰の鞘に収める。それに続くように魔法使いは、片手に下げていたジュラルミンケースをテーブルの空いた空間に置く。二つの留め具を素早く外し、『剣豪』へ開いて見せる。

 ケースの中には透明なガラスの円筒が窪みの形に収まり、その円筒の内部には黒く細かい粒が詰まっている。


「彼女の分も必要だろうとね。使いこなせればいいけど」

 無銘は黒い物質を無意識に分析する。主成分は金属、超微細な粒子の形状は砂のようでもあり、角度によって様々な金属光沢を放ち黒にも鋼色にも見える。

「マスター、それは一体?」

「ナノメタルだ」


 『剣豪』は円筒の容器の蓋を開き中身を少し手のひらにこぼす。砂粒を握りしめたかと思うと、無銘へ振りかけるように手を開く。

 ナノメタルと呼ばれた粒子は一直線に宙を飛ぶ。無銘の剥き出しの右手に当たると、一瞬のうちに貼り付く。黒銀の膜は無銘の手に密着して、その思うままに自在に動かせる。無銘は試しに力を込めるも、黒銀のナノメタルは焼け落ちず、『聖剣』の光を帯びて白く輝き出す。

「思考や意志に反応して、形状を変化させたり操作することのできる金属だ。俺の鞘もそれだよ」

 黄金の剣を手に入れた時、『剣豪』の鞘の形が剣に合わせて変形したのを無銘は思い出す。


 『聖剣』の光を止める。を入れられたナノメタルは漆黒から蒼に変貌しており、見る角度によって虹の光沢がうっすらと浮かび上がる。蒸着されたナノメタルは全く抵抗もなく、無銘の意志のままに機能している。

 無銘の心に感情が沸き起こる。本来聖剣としての自身が持ち合わせていなかったはずの高揚が胸に宿る。身体のシーツを剥ぎ取り、裸体を晒して『剣豪』たちの元へ駆け寄る。


「マスター、非常に優秀な素材です。義体との親和性も最高です。是非全身コーティングをすべきかと。さらなる性能の向上と破壊力の増加にもなり得ると思います」

「あー、テンション上がるのはわかるけどさ無銘ちゃん。多分ナノメタルの使い方とは違うと思うし、ボディライン丸出しでそれはエロすぎるし、新しい融合で副作用も出るかもしれないから徐々にやっていくべきだと思う。急ぎすぎはよくない」

「……そうですか」


 無銘を嗜めつつ、魔法使いは『剣豪』に振り返る。

「もうちょっと彼女に羞恥心とか恥じらいとか教えてあげなよ君。……いやそういうの一番苦手そうだけどさ」

「これから努力する。まずは両腕だけのコーティングだ」

「感謝します、マスター!」

 駄目だこいつら。魔法使いは小さく呟き、額に手を当てて天井を仰ぎ見る。

「まぁそれはそれとして『剣豪』。気になる異世界があるんだ」

「ふむ」

「座標を教えよう。アルファの1.3427……」


 『剣豪』は魔法使いの言葉を聞きながら、首飾りの結晶を手中に握り眺める。

 細かに小さく動かし、赤紫の結晶が一定の角度に傾いた瞬間、内部から小さな煌めきが生ずる。

「見えた。感謝する」

「予知では『血肉を蝕む殺戮の魔剣』だとさ。まぁ対策していきなよ。せいぜい死なないように」

 魔法使いは空になったジュラルミンケースを閉じて持ち、帽子を被る。

 そして傍らに立つ無銘の元に近づき、愛おしそうに目を細めて片手で柔らかく抱きしめる。

 その動作に反応しきれず、棒立ちのままでいる無銘に、


「君ならきっと大丈夫さ。彼にとって相応しい人になれる」


 無銘の背中をトントンと軽く叩くと魔法使いは離れ、足取りも軽く部屋の入り口まで歩いていく。扉のロックを解除して開く。背中を向けたまま手を軽く振り、

「また会おう、聖剣の少女!」

 そう言い残して去っていった。

 無銘は閉じた扉を見つめ、蒼く輝く右手を見つめる。

 自分は聖剣であり、戦闘能力の向上と修復こそが最大の命題であるはずだ。それなのにあの人はなぜああいったのか、飲み込めないままでいる。

 立ち止まったままの無銘に、『剣豪』は拾い上げたシーツを差し出す。


「改修を続けるぞ。そしたらまた異世界にいく」

「はい、マスター」


 無銘はシーツを胸元に手繰り寄せて、ベッドまで歩いていく。




 【続く】

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