蝕魔剣ダーインスレイヴ(7)



 剣豪は続けて言う。


「そいつは生きた魔剣だ。一度手に取れば最後、肉体は取り憑かれて捨てられなくなる。持ち主の血肉を喰らい続け、持ち主は生きるために別の誰かを殺し続ける怪物になる。魔剣を消せば魔素の吸収も止まり生み出したものも消滅する。それで終わりだ」


 無数の繭玉の中に浮かぶフェイの姿が、無銘の脳裏の記憶領域によぎる。それは今もまだ、洞穴の闇の奥にあり続けている。


「マスター、それだとフェイさんはどうなるのですか」

「もうダーインスレイヴそのものだ。魔剣が損傷していた偶然と、あの男が咄嗟にフェイと魔剣を切り離していたから、ここまで延命できていただけにすぎない」

「ですが、それでも何か、方法が!」

「いいよムメー。わたしはきっと、とっくの昔に死んでいたんだ」


 フェイは眼前に突き刺さったダーインスレイヴをどこか愛おしそうに眺める。全力で走り出せばその魔剣を掴めるかもしれない。それを阻むように剣豪が立ち塞がっている。


「なんでだろ……その剣を掴みたい、手にしたいって思ってる。けれどそうしたら、何もかもが壊れそうな気がして……おかしいよね。わたしには失うものなんてなかったのにさ」

「フェイさん……」

「ムメーにお願いがあるの。あなたの手で、全部を終わらせて。あの剣を破壊してほしいの。ムメーがやってくれるなら、わたしもいいよ」


 無銘は戸惑い、剣豪に視線を向ける。


「やらないなら俺が破壊する。強制はしない。お前が決めるんだ」

「……やらせてください、マスター。これはきっと、私がやらなければならない責務です」


 剣豪は黒い剣を鞘に納める。首を軽く振って、無銘を促す。


「ダーインスレイヴは生物の肉体を侵食する。だが<<生物でないなら>>話は別だ」


 無銘は剣豪の横を通り過ぎて、ダーインスレイヴに近づく。

 その骨ばった魔剣の柄を蒼い腕で握り、一気に地面から引き抜く。義体の身体は魔剣からの侵食を完全に遮断して無銘の手の内にある。


 無銘は目を閉じる。

 意識を集中させ、魔剣ダーインスレイヴに『聖剣』の光を注ぎ込む。

 無銘の蒼い髪と腕とが白熱するように光りだす。その力が伝播するように、魔剣の剣身が中央から輝き出し、全体が白き清浄の光に包まれる。

 魔剣が震えて軋み、怪物の断末魔のような叫びが鳴り響く。無銘の手から逃れようと大きく振動する。


 逃がしてなるものか。


 無銘の両手は、引き絞るように柄を強く握る。

 無銘はダーインスレイヴを上段に構える。仄暗い闇の奥に目掛けて、一歩踏み込む。


「ハァァァァァァァァァッ!!」


 無銘は叫び、魔剣を斜めに振り下ろす。


 魔剣ダーインスレイヴから放たれた白光は熱量を帯びながら、洞穴の内壁を突き進んですべてを焼き払っていく。闇の奥に潜む肉の繭玉も全てが白の光の奔流に飲み込まれると、塵一つ残さず消失していく。

 『聖剣』の光が焼いた洞穴の壁面は赤く溶融し、一部はガラス化している。周囲には黒煙が立ち上り、燻った火の粉が舞う。

 無銘の髪と腕から白い光が波のように引いて蒼に戻っていく。聖剣の光に耐えられなくなったダーインスレイヴは黒く焼け焦げ、脆くなった剣身は塵と化して無銘の手から崩れ落ちていく。


「ああ……ここで、終わりかぁ」


 フェイの身体も末端から黒く焦げていき、そして砂のように細かい粒になって崩れていく。少女の肉体は自重を支えきれずに膝をつく。崩壊は瞬く間に彼女の全身に広がり、肩から背嚢がずり落ちる。使えもしないガラクタがガシャンと音を立てて散らばる。

 少女の体内からダーインスレイヴの断片が落ちて、地に跳ねて砕け散る。

 フェイの頭部も半ば崩壊しかかっていて、その表情の全てを見ることは叶わない。わずかに残された顔の口元には、諦めのような微笑みが浮かんでいる。少女はどこを見るでもなく、虚空を見上げて、


「できれば、もっといっぱい、冒険してみたかったな……」


 フェイは寂しそうに呟いて、消えた。

 少女だった塵は、焼き焦がされた洞穴の中に霧散して、後には静寂だけが残った。



    ◆


 

 無銘は義体に虚脱を覚え、膝から倒れそうになる。

 駆け寄った剣豪が身体を支えて事なきを得る。無銘は体勢を立て直そうとするも、どうしても足の感覚が覚束ない。

 剣豪は無銘の足と背中に手を回して、軽々と抱き上げる。


「俺たちのやることは終わった。帰還する」

 

 剣豪の血まみれの右手にはネックレスが握られて、赤紫の結晶が僅かに煌めいている。

 剣豪は無銘を抱きかかえたまま、右手を小さく振る。眼の前の空間に光の裂け目が現れる。あの光の裂け目をくぐることは、この砂漠からの離脱を意味することを無銘は理解している。

 赤紫の結晶に剣豪の血が滴るのを見て、無銘は口にせずにはいられなかった。


「マスター、あの村落の人々はこれからどうなるのでしょうか」


 無銘の問いかけに反応し、剣豪は答える。


「あの村に<<保存食>>がどれだけあるかは知らんが、これからどうするかは奴ら次第だ」

「……彼らの生きる術を私達が奪い去ったようなものです。彼らが滅びてしまったのなら、私達が元凶ではないでしょうか?」

「やらなかったらもっと苦しみが続くだけだ。遅かれ早かれ滅びるならば、最小限の犠牲に留める」

「……わかりません。わからないのです。マスター。私達がやったことは、本当に正しかったのでしょうか?」


 剣豪は一瞬の沈黙の後に、再び右手を小さくすばやく振る。光の裂け目は音もなく閉じてその場から消える。


「マスター、帰還するのでは?」

「見せたいものがある」


 剣豪は無銘を抱き上げたまま、踵を返す。洞穴の出口へと続く通路へと足を踏み出す。静寂に包まれた空間に剣豪の足音だけが響き渡る。


 洞穴を焼いた火の燻りが次第に小さく弱くなって消えると、ダーインスレイヴの洞穴は完全なる闇の中へと閉ざされた。



   ◆



 剣豪が無銘を抱きかかえたまま洞穴の長い坂を登りきると、無銘の視界が唐突に開かれる。

 大気と砂に充満していた魔素の反応も同様に消失して、吹き荒れていた砂塵は消え去っている。クレーターの外周には砂に埋れた廃墟の都市が広がって、穏やかな風が砂をさらさらと運び払っていく。風に流されるように雲の黒く濃い箇所が薄らぎ、雲の切れ間から光が差して、砂漠を照らした。荒廃した砂漠の廃墟に陰影が際立つ。誰かが生きていたであろう無常が顕実している。


 滅びを思わせるその光景は、どこか美しく感じられた。


「この世界がいずれは滅びるにしろ、探せばまだ生き延びられる場所はあるかもしれん。奴らは勝手に生きて勝手に死ぬだけだ」


 無銘は無性に感情が高まっていく。言語化出来ない思いが思考領域に溢れてくる。『聖剣』に心なんてあるはずがないのに、どうしても言葉にせずにはいられなくなった。


「フェイさんに……世界をもっと見せてあげたかったです」


 ずっと希望を求めて旅することを望んだ少女は、その願いを叶えることなく無銘の手によって消し去られた。自身の存在によって荒廃し続ける世界で、少しでも皆が幸せになれたらと願った少女は、この世界のどこにもいない。

 そのことが無銘にとって、どうしようもなく悲しく思えてならなかった。


「何が正しいのか私にはわからないけれど、この気持は正しいのだと信じたいです」

「それでいい。自分の中に正しさを持て」


 剣豪は赤紫の結晶を小さく振るって、再び光の裂け目を空間に生じさせる。剣豪はただその光景を見せるために手間を取ったのだろうと無銘は気づく。誰にも称賛されない戦いを続けるこの人の心の支えは何なのか。


「マスターは、何のために戦っているのですか」


 剣豪は吐き捨てるように言う。


「俺は勇者じゃない。誰かを救うつもりもない。ただ世界を滅ぼした奴らを滅ぼすだけだ」


 剣豪は無銘と共に光の裂け目に入る。光の裂け目は一瞬で閉じて、その世界から二人の痕跡は完全に消え去った。

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異世界剣豪と聖剣少女 ナタ @natal5

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