112. 旧交

【前回のあらすじ】

ケイ「目立つのはどうにか最低限で済んだな……」

――――――――――


 日も暮れて、コーンウェル商会の皆と夕食をともにして。


 馬車の近くにテントを張り、アイリーンに連絡しようかと思ったところで、ケイに来客があった。


「よう、来たぜ」


 酒の壺を片手に掲げた、三十代前半の男。四角い顔が印象的だ――茶色の髪を短く刈り上げて角刈りにしているせいで、尚更そう見える。人好きのする笑顔に、夜番の篝火の明かりが濃い陰影を投じていた。黒っぽいくりくりとした瞳が、薄暗い中でもケイをしかと捉えている。


 自称"公国の薬商人"こと、ランダールだ。


「本当に来たのか……」


 ケイは驚きを隠さずに出迎えた。『あとでお前んトコ訪ねるからよ』とは言っていたが、こんなにすぐやってくるとは。


「さっき言っただろ? 積もる話も色々あるし、まあ呑みながら話そうや」


 テントの外、切り株にどっかと腰を下ろしながら、ケイに木製のゴブレットを勧めてくるランダール。


「お気持ちはありがたいが、今は断酒中なんだ」


 しかしケイが軽く手を挙げてそれを押し止めると、きょとんとした顔を見せる。


「なんでまた?」

「妻が妊娠中で、酒を断っててな……その苦しみを分かち合うために、俺も飲まないことにしてるんだ」

「へえ! 結婚してたのか。それに赤ん坊とはめでたい……っていうかおい、まさか妻って、あの嬢ちゃんか?」


 ランダールは目を丸くして身を乗り出す。


「どの嬢ちゃんかは知らんが、アイリーンだ」

「へえー! はっはは、そいつはめでたい。おめでとうおめでとう。まったく、ケイも隅に置けないな!」


 うりうり、と肘で小突いてくるランダールに、「よせやい」と笑顔で応じながら、ケイは思った。


(俺が結婚してることも、アイリーンが妊娠してることも知らないのか……)


 公国には何もかも把握されてるんじゃないか、と思っていたが。上司は宰相閣下ではないのだろうか? もしくは現場の人間には、そんな細かい情報までは共有されていないだけか。……ケイの重要度を考えれば別におかしくはない。


(……あるいは、知らないフリをしているだけか)


 ケイの目には、ランダールが本当に驚いていたように見えたが、仮に裏稼業の人間ならば、ケイ程度を誤魔化すことなどお茶の子さいさいだろう。


 ただでさえ外国語環境では、ケイは母国語にほんごと違って、相手の言葉の裏に滲む、細かい機微を読み取れないからだ。


 しかしここで知らないフリをすることに、どんな意味があるかはわからない。


(まあ、どっちでもいいか)


 ランダールはどのみち、公子を守る側の人間なのだろうとケイは推測している。少なくとも公子を狙う曲者ではないだろう。ケイが気づくレベルの『不審人物』なら、早々に公子側の人員に処分されているはずだ。


 こうしてホイホイとケイを訪ねてこられる時点で白、と考えていい。


「仕事はもういいのか?」

「今は暇だからよ」


 さり気なく探りを入れたが、軽く返された。はてさて……


(いずれにせよ公国側の人員なら、"小鳥プティツァ"について知られるわけにはいかないな)


 あの通信用魔道具は危険すぎる。早くアイリーンに連絡を取りたいし、ここは聞きたいことだけ聞いて、さっさとお引き取り願おう。


「暇ならちょうどいいな、まあ呑んでくれよ。俺は人が呑んでるところを見るだけでも楽しくて好きなんだ」


 心にもないことを言いながら、「つまみもあるぞ」などと、香辛料たっぷりのジャーキーを差し出すケイ。


「え、そうか? じゃあ、まあ、仕方ねえなー、そこまで言われちゃなあー」


 ランダールは嬉々としてジャーキーを咥えながら、トクットクッ……と澄んだ蒸留酒をゴブレットに注ぎ始めた。


 今宵、ケイにこうして話をしに来たのも、何らかの意図があるはず。酒で口を軽くして……という魂胆だったのだろうが、こんな機会がなければ、ランダールの立場では早々酒など飲めまい。


「悪いなぁ、俺だけ」


 並々と蒸留酒を注いだゴブレットを掲げて、目を細めるランダール。お互い、予定調和という感じがする。酒でケイの口を軽くする、という建前で、ランダールも上等な酒を持ち出したのかもしれない。


「まあ俺にはこれがあるからな、気にするなよ」

「なんだぁ、お前さんもしっかり呑むんじゃないか」

「これは仕方ないだろ」


 ケイが取り出したのは、うっすい葡萄酒の革袋だ。それをゴブレットに注ぐ。


 これはノーカンだ。酒ではない。アイリーンとの協定でも、そう定められている。度数がめちゃくちゃ低いので、『身体強化』の紋章で耐毒性も強化されているケイには、ほとんど水と変わらないのだ。それこそ樽いっぱいでも飲まない限りは。


 そも、行軍中は、常に清潔な飲み水が手に入るとは限らない。衛生上の問題から、エールやワインで水分補給も余儀なくされる。


 なのでこれは仕方ない。それにアイリーンの言う『酒』とはウォッカみたいな強めの蒸留酒のことだ。これはぶどうジュース。ぶどうジュースなのでノーカン。


「久々の再会を祝して、乾杯」

「太っ腹な近衛狩人殿に乾杯!」


 こつん、とゴブレットをぶつけてグイッと。


「かぁーッ生き返るなぁ~」


 ランダールはジャーキーをもしゃもしゃと味わい、そこに蒸留酒を流し込んで至福の顔を見せる。とても公国の裏の人員には見えないが……


 このまま、ただ酒盛りをして終わりともいくまい。


 ケイとしても、離脱したあとのガブリロフ商会の動向は気になるところ。


「それで、あのあとはどうなったんだ?」


 先手を打って、本題に入ってみる。


「大騒ぎだったよ。十中八九くたばると思われてたピョートルが蘇ったんだ」


 変わらぬ調子で答えるランダール。


「あんときの、ゲーンリフの慌てっぷりは見せてやりたかったな。アイツがお前さんにキツく当たってたせいで逃げられたんだ、と突き上げるやつが多くてな……自分らの態度は棚に上げてさ」


 ちょっと意地の悪い顔で、くつくつと喉を鳴らして笑う。ケイも思わず苦笑した。異民族への風当たりが強くて、あの北の大地での隊商護衛は、お世辞にも快い思い出とは言えなかった。


 そんな中でも、ケイには親身で接してくれたピョートルと、その仲間たちは一服の清涼剤だったが――


「ピョートルは、どうしてた?」

「自分が快復してることが信じられないみたいだったぜ。目を覚まして、事の顛末を聞いて、もっとケイに礼を言いたかったと後悔していたな」

「そうか……」


 そのとき、ランダールはふと思い出したように、杯を傾ける手を止めた。


「そういえば、俺もちゃんと礼を言ってなかったな。本当にありがとう、ケイ。お前さんがいなけりゃ、俺も今頃、異国の地で骨を晒していたところだ。本当に命の恩人だよ」

「どういたしまして。俺自身も助かりたい一心だったよ」


 馬賊との壮絶な騎射戦、その後の敵魔術師との魔術戦、さらに後味の悪い戦後処理やピョートルとの別れ――そういったものを生々しく思い出しそうになって、ケイは首を振って、ぶどうジュースを口に流し込んだ。


「……ふぅ」

「…………」


 夜空を見上げて、溜息をつくケイの横顔を眺めながら、ランダールは思案するように盃を傾けている。


「ピョートルも、もし俺がまたケイに出会うことがあれば、『心から感謝している』と伝えてくれ、って言ってたよ」

「そうか。……彼には随分と助けられたからな、恩返しができてよかったよ」

「……いやはや、デカい恩返しだ。アレに懲りて、ゲーンリフどもも、ちったぁ身内以外にも優しくなればいいんだがな」


 そうなるとは欠片も思ってなさそうな口調で、苦笑いするランダール。


「――それにしても、あれはいったい、どういうだったんだ?」


 そら来た。


「……いや、なに。薬商人としては、俺も興味があってよ」


 その設定はまだ有効らしい。


「どうもこうも、魔法だよ」


 ケイは何食わぬ顔で、懐に手を突っ込む。ひょい、とランダールに放ってみせたのは、缶入りの軟膏だ。


「これは?」

「【アビスの先駆け】をすりつぶした軟膏」

「えっ?」


 手の中の缶をまじまじと見つめ、フタを開けてみて、青白いクリーム状の軟膏に目を丸くするランダール。じっくりと観察する目つきが、完全に、『そのスジの者』になっていた。


「これで、あれだけの傷を……?」

「いや? もちろん違う。あのとき使ったのは魔法薬ポーションさ」

「……ポーション」


 単語を反芻しながら、ランダールはどのような表情をするべきか、迷っているようにも見えた。


「ポーションを口移しで飲ませたんだよ。もっとも、あのときの戦闘と、ピョートルの治療で使い果たしてしまったけどな」


 その軟膏は余り物で作ったやつさ、と。


「俺とアイリーンは、昔【深淵アビス】に潜ったことがあってな。本当に運良く、材料が揃ってたんだ」

「そんなに貴重なものを、よく他人のために使ったな……」

「迷ったさ。でもピョートルは見捨てられなかったし、後悔はしてないよ」


 ケイは清々しい顔で言い切る。……とはいえ、ハイポーションの瓶は、本当に僅かながらまだ残してあるのだが。


「漢だなあ。……しかし、今回みたいな飛竜狩りに連れ出されるくらいなら、余らせといた方が良かったんじゃないか?」


 声を潜めて、冗談めかして尋ねてくるが、まだケイに手持ちがあるのか言外に探ってきているようでもあった。


 それを予測していたケイは、困ったような顔で肩をすくめて答える。


「たとえ温存しておいても、飛竜相手には役に立つとは思えないな。アレは怪我一つなく生き延びるか、黒焦げにされるか、八つ裂きにされるかの、どれかだよ」

「それもそうだ。……ま、ケイみたいな強弓の使い手がいてくれるってだけでも、俺みたいなは心強いよ」


 どこか白々しく、ランダールは笑って言った。


「……若手の腕利き薬商人が、支援してくれているのは俺としても心強いよ」


 ケイも白々しくそれに応じる。


「ところで、調なのか」

「まあ、ぼちぼちだな。俺も今は、からよ、独りで切り盛りしなくて済むってのは、まあ気楽っちゃ気楽な話だ」

「ああ、独立じゃなくなったのか……北の大地じゃ商品の薬を配りまくってて散々だったみたいだが、ランダールが破産したんじゃないかって心配してたんだ」

「おうおう、聞いてくれよ。ホントに酷い目にあってよぉ……あのあとも何だかんだと理由をつけられて、ほとんど薬を取られちまってさ、目的地のベルヤンスクに着く頃にはもう香水しか――」


 その後も、あくまで一介の商人としての苦労話を、ランダールはあれこれと聞かせてきた。


 ケイも興味深く聞いていたが、アイリーンに連絡したい気持ちがじわじわと高まってきたので、ランダールにぐいぐいと酒を飲ませて、空になったタイミングで「疲れたから休みたい」という理由で、お開きにした。


「ありがとうよ。美味い酒を独り占めにさせてもらって」

「なあに、久々に話せて楽しかったさ」


 強い蒸留酒を呑みきって、ランダールも流石に赤ら顔だった。少しばかりふらふらした足取りで、ケイに別れを告げる。


 ふと。


 月光の下、足を止めて、振り返ったランダールは。


「そんなわけで、俺にも今は頼りになる仲間がいるからよ。ケイも何かあったら話してくれや、助けになれるかもしれねえ」

「お、おう……覚えておくよ、ありがとう」


 あんまり関わり合いになりたくはないなぁ、と思いながらもケイは笑顔で答えた。


「まぁ、また何かあったら話に来るわ……それじゃあな」


 ひらひらと手を振りながら、ランダールは闇夜に消えていった――


(また何かあったら話に来るのか……)


 ケイは微妙に渋い顔で、その背中を見送る。


 暗闇に紛れたと判断したのか、先ほどの千鳥足はどこへやら、機敏な動きで足音もなく去っていく背中を――


 月明かりに篝火の光まであれば、この程度の暗闇はケイの前では意味を成さないのだが、ランダールは知る由もないことだ。


(面倒なヤツに目をつけられてしまった)


 強引に呼び止めたのはケイなので、自業自得といえば、それまでだ。


 ボリボリと頭をかいたケイは、何はさておき愛しのアイリーンに連絡を取るため、そのままモゾモゾとテントに潜り込むのだった――

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Vermillion ; 朱き強弓のエトランジェ 甘木智彬 @AmagiTomoaki

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