第2話 滅びの音

 もうあきらめることにした僕は、薬の効果も相まって、ただひたすらベッドに横たわり、奴等の声を聞き続けていた。その時はいつ来るのだろうか、と考えながら。

 

 やがて、僕は「症状が落ち着いた」と看做みなされたらしく、別の個室に移された。薬も減らされ、元通りとは行かないまでも、ある程度の思考力は戻った。


 移された先は、最初に入れられた狭い個室よりはずっとマシな環境だった。部屋を出ることができるし、ちゃんとしたトイレに行くこともできた。監視カメラも、どうやら設置されていないようだ。ただ、病室の並ぶ廊下の先にあるドアはやはり内側からは開けられないようになっていて、外に出ることはできなかった。どうやら、行動範囲は広がったものの、閉じ込められていることには変わりなかった。

 しかし、今度の部屋には窓がついているから、外の様子を知ることができる。窓も、開けることはできないようになっていたが、僕はそれで構わなかった。


 しかし、今度の部屋には窓がついているから、外の様子を知ることができる。窓も、開けることはできないようになっていたが、僕はそれで構わなかった。


 やがて、時は来た。


 僕は窓から外を見た。

 異様に攻撃性を高めた虫達の猛攻撃が始まっていた。

 僕は、部屋から出るつもりはなかった。どうせ、逃げられない。


 空を埋め尽くすほどの数のいなごが飛来し、緑という緑を食い尽くして行く。蜂は興奮して無差別に人間を刺す。毒蛾は、ひらひらと飛び回りながら毒を含む鱗粉を街中に大量に撒き散らす。蟻は集団で人間に群がって覆い尽くし、後には白骨だけが残される。蠅は人間の皮下に卵を産み付け、その卵は即座にかえり、蛆虫うじむしが肉を喰らい始める。

 あらゆる虫がそれぞれのやり方で人間を襲う、恐ろしい光景が広がっていた。


 大量発生したヤスデが各地で電車を止め、電線も虫達によって断線させられ、方々で停電が起こり始めている。


 そして、車道も歩道も埋め尽くし、真っ黒な塊となって行進する奴等――ゴキブリの大群。自動車は通行不可能となり、人間達は虫共に襲われながら、足元を埋め尽くす黒い塊を見て悲鳴を上げる。悲鳴すら上げられずに卒倒した人間の上を、ゴキブリ達が集団で覆い尽くしながら、なおも移動を続ける。


 こうして人間達はあらゆる虫に襲われ、ライフラインはズタズタにされて行く。

 恐慌状態に陥った人間達の悲鳴と、それをかき消すほどの、虫共の羽音、這う音、うごめく音。


 これは、破滅の音だ。


 そして、奴等の叫び。


 「人間を滅ぼせ!」

 「この星は虫のものだ!」

 「最古の昆虫である我らゴキブリが、虫の王として命じる!人間を滅ぼせ!」


 そう、僕が聞いて恐れおののいた声の内容とは、奴らの謀議と扇動だった。


 奴等は当初、他の虫に話し掛けることなく、


 「そろそろ、機が熟したのではないか」

 「そうだ。人間は何も気付いていない。今なら奴等を滅ぼすことができる」

 「それでは、そろそろ同族達に呼び掛けようか」


 といったことを自分達だけで話し合っていたが、やがて、



 「人間を滅ぼす時が来た。各々、隠し持っていた牙を剥き、人間を襲え!」

 「そして我々虫が、この星の覇権を握るのだ!」

 

 と、虫達に向けて蜂起を促し始めた。


 僕には奴等のその声が全て、聞こえていた。

 このままでは、人間は虫に滅ぼされてしまう。どうにかしなければならない。そう思った。だから保健所にも警察にも訴えた。

 「ゴキブリが人間を滅ぼせと扇動している。間もなく人間は虫に滅ぼされることになる。そうなる前にどうにかしなければならない」と。


 保健所にも警察にも相手にされなかったから、無駄な抵抗と知りつつ、僕はガソリンを入手し、虫を扇動する奴等――ゴキブリを少しでも焼き殺そうと考えた。その試みが失敗し、僕はこうして精神科病院に閉じ込められることとなった。


 仮にガソリンを首尾よく入手できていたとして、僕にできることはきっとたかが知れていただろう。それでも、これから起ころうとしていることを知りながら手をこまねいていることが、僕にはできなかった。その結果が、これだ。


 この部屋に、外部に通じる開口部はない。いずれ、どこかの隙間から蟻や蠅は入り込んでくるだろうが、まだ、しばらくの猶予がありそうだ。僕は、自分が襲われる番が来るまでの間、ここでこうして、ただ窓の外を見ていることしかできないのだろうか。自分がどうやって殺されることになるのか、ありありと想像しながら、こうして。


 僕は何のために、このタイミングで、ゴキブリの声が聞こえるようになったのだろうか。いずれ確実に訪れる、虫からの総攻撃による人類の滅亡を、僕が前もって知ることに、何か意味があったのだろうか。知ったところで、何もできやしないのに。もしかしたら、この世界の上位にいる何者かの力によって、僕はゴキブリの声を聞く能力を授けられたのだろうか。そうだとして、何のために。――もしかしたら、意味なんか何もないのかもしれない。


 それに――僕は考える。


 この星が、虫のものになる。そのことはもういい。もう既に、運命は決している。しかし、虫が人間に取って代わったところで、その後はどうなる。「虫」と一口にいっても、それぞれ種類は違うし、利害関係も異なる。「食うもの」と「食われるもの」という関係にある種も、数限りなくいる。結局は虫同士の潰し合いになるのではないか。

 それにたとえば蝗は、今ある緑を食い尽くしてしまったら、その後の食糧に窮するということに気付いていないのだろうか。所詮、虫の頭では、そんなこともわからないのだろうか。


 人間が滅び、虫だけになったこの星で、生態系は維持できるのだろうか。


 そこで、はたと気が付く。おそらくゴキブリは、人間が滅んだ後の環境にも確実に適応し、生き残ることができる、と。なんせ、ゴキブリは「核戦争が起こっても生き残る」とすらいわれる、脅威の生命力の持ち主なのだ。


 もしかしたら奴等が狙っているのは、虫を扇動して人間を襲わせた後、一人勝ちしてこの星の支配権を独占することではないのか。奴等はタフな上に気味が悪いと人間に嫌悪される不快害虫だが、人間に実害を与える手段を持たない。奴等には人間を刺すことも、食うことも、毒に侵すこともできない。人間の前に現れたところで、ただひたすら、死ぬほど嫌がられるだけだ――尤も、ああして行進する黒い塊を見る限り、「死ぬほど嫌がらせる」という、ただそれだけで、十分な脅威とはなっているが。


 奴等は最初から、攻撃手段を持つ他の虫を、ただ利用するためだけに扇動しているのではあるまいか。自分達だけでは、人間を滅ぼすことまではできないから。



その時、声が聞こえた。


「おい、ここにも人間がいたぞ」


僕は、間もなく訪れる自分の運命を悟った。















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虫の声 金糸雀 @canary16_sing

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