5,ロケン

次の日、僕はいつも通り朝8時30分にホームルームへと足を踏み入れた。今日もしがない一日が始まるが、この教室には椿がいる。僕の選んだ、愛おしい椿。

「皆、おはよー……う」

教室に入った僕を見て、嬉しそうな椿の顔が飛んできて……来なかった。

教室は、異質な雰囲気を醸し出していた。皆、まるで汚物でも見るかのような目付きで、教室に入ったばかりの僕を一瞥する。何があったというのだろうか。僕は、何もやましいことなどしていない。あの写真だってスマホごと処分したし、昨日はキス以上のことはしていない。まして、見られているわけがない。

「どうしたんだ、皆?」

視線が、冷たい。小さい頃に触ってしまったドライアイスの様な、痛くて冷たい目が、僕の体に集まっている。

「先生ってバカだよねえ」

1番後ろの席の、派手目な女子生徒が口を開いた。

「何だよ、バカって〜」

冗談だろうと、軽く受け流す。正直、あのギャルに馬鹿とは言われたくないのだが。

「だって、恩田椿ちゃんと援助交際してるんでしょう?」

教室が、今まで以上に凍り付いた気がした。今、この馬鹿は何と言った。僕と、椿が、援助交際?何を言っているんだ。

「ゆみちゃんのスマホ取り上げて得意面してたらしいけど、スマホで写真を撮るなんておバカなことを、学年一位のゆみちゃんがするわけないじゃない。ゆみちゃんは、普通にカメラで撮ったんだって。偉いよねえ、校内でスマホを使わないなんて!」

心臓が、徐々に苦しくなっていく。恋煩いなどでは無い、本物の息苦しさだ。

「いや、でも、あいつは盗撮を……」

「先生、ゆみちゃんは写真部なんだよ?写真部は、校内でも校外でも、好きな時に撮影ができる。そういえば、スマホを使うのも許されているのに、ゆみちゃんはわざわざ自前のカメラで撮ったんだよ。しかも、一眼レフ!どこの報道カメラマンだよって!」

クラスが、このギャルに合わせて笑い声をあげた。

「見てよ、先生。画質綺麗すぎて2人の顔見えちゃってるよねえ。これ、相当やばいんじゃないの?教師失格じゃん」

終わった……。人生、終わった……。

「でも、ゆみちゃん優しいから、この写真は他の先生には見せないって言ってくれてるよ」

「本当か!」

「まあ、条件はあるけどね」

どんな条件なのだろう。この馬鹿の言葉に屈するのは耐え難いことだが、それでも、僕は……。

「……何でも言ってくれ」

ギャルは、気味の悪い笑みを作ると、教室の隅で蹲っていた椿の手を取った。

「私たち、今すごくストレスが溜まってるの。だから、今すぐにでも怒りの捌け口が必要なわけ」

「ああ、そうだな」

「そこで、椿ちゃんをストレス解消道具にするの。椿ちゃんとの援交をバラされたくなかったら、先生はこの行為を見逃し続けて」

やられた!

高校のガキに、しかも頭の悪そうなやつに上手にとられてしまった。ここで素直に見逃せば、僕は良い若手教師として、今後もキャリアを続けていくことができる。しかし、見逃すということは、心を打ち明けてくれた椿を裏切ることになる。

自分を取るか、椿を取るか。

「ほら、先生、早く決めてよ。このまま、淫行教師として世間から批判を受けてもいいの?援交がバレたら、保護者からも教師からも生徒からも迫害を受けるんだよ。それに比べたら、椿ちゃん1人の犠牲で済む方が、断然楽じゃない?」

そうなのだろうか。

これで、良いのだろうか。

「例え椿ちゃんから恨まれたとしても、椿ちゃんはどうせ忘れるだろうし大丈夫だよ。でも、世間は忘れないよ。先生がしたこと全て、記憶し続けるんだよ、死ぬまで」

ちらっと、椿の方を見た。祈るような目で、僕のことを見ている。お願い、先生、素直に従って。私一人の犠牲で済むなら、大丈夫だから。きっと、椿ならこう言ってくれる。椿は、心の広い人だから。

「いいだろう。お前らの行為を見逃してやる。その代わり、僕と恩田のことは他言無用だぞ」

クラス中に、歓喜の声があがった。よかった。皆、喜んでくれている。椿だって、クラス替えまでの数ヶ月を待てばいいのだから、きっと大丈夫だろう。

「先生」

ギャルが、騒がしい生徒たちを背景に僕の肩を叩いた。

「なんだ?」

「本当に、クズだね」

このたった数文字の言葉が、僕の心臓深くまで、痛みを伴って刺さっていく。

クズ。

僕は、クズ?

だったら、どうすれば良かったんだ。

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