3,トクベツ

萱草は、身に着けると憂いを忘れる、という中国の故事から、「忘れ草」と呼ばれているんだって。


そう教えてくれたのは、僕が1年だけ勤めていた高校の教え子である、恩田椿だった。

恩田は、彼女がまだ幼い頃に母親を病気で亡くし、以来父親と二人三脚で暮らしていた。思春期の難しい時期を父親と2人で過ごすことにストレスを感じていたのか、担任であった僕は、よく相談を受けていた。

「先生、私進学したいけどお金が無いんです。どうしたらいいんでしょう」

最初のうちは、このような進路の相談や学習の不安について、恩田は僕のいる体育教官室へ話しに来ていた。僕はもちろん進路の担当ではないし、担当教科も体育や保険であるので、まともに相談に乗れたことは無かったと思うのだが、僕の元から帰る頃には、恩田は満面の笑みになっていた。

それから数を重ねる度に、相談の内容は踏み込んだものへと変わっていった。

「先生は、彼女とかいるの?」

相談を受けてから1ヶ月ほど経つと、恩田の口調も自然と打ち解けたものになっていた。

「いや、いないよ。僕の恋人はこの学校の皆だからね」

当時20代後半であった僕は、よく女子生徒からこういった類の質問を受けていたが、いつも軽く受け流していた。若い独身教師は、女子生徒との交流には気を付けなければならないと、校長や周囲の教師に釘を刺されていたから。

「じゃあ、……ううん、何でもない」

恩田は、感情を殺すことに慣れていた。僕になら何でもぶつけていいよ、と言っても、曖昧な笑顔を返すだけ。僕は、それが何だか信頼されていないような心地がして、歯痒かった。他の教師や、恩田に近づいてくる幼稚な生徒とは違って、自分は恩田の特別だと思っていたのに。自分だけが、恩田をわかってやれる唯一の存在なのだと、信じていたかった。




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