天使のマルが守る街~鬼ばばあとにゃんにゃんにゃん

恵瑠

第1話 ケンタと鬼ばばあ

 ケンタはぐいぐい引っ張られるままに、この街では誰も知らない人がいないくらい有名な「鬼ババア」に連れられて歩いていました。歩いていたというのとはちょっと違うかもしれません。鬼ババアはかなりの年寄りで、おまけに草履を履いています。そのくせやたらと足が速く、ケンタはどうしても小走りになってしまうのです。

 ケンタは学生服の上だけを着て、ジャージを履き、足が速くなるという噂の運動靴を履いていました。ママがケンタのために買ってくれたものです。けれど、速くなるはずの足は、鬼ババアの勢いに負けて、今にももつれそうでした。ケンタは、左の小脇に抱えた小さな段ボールを落とさないよう、それだけは絶対に離さない! と誓いながら鬼ババアに引きずられて行きました。

 どうしてこんなことに?

 ケンタは自分がどんな目に遭わされるのかと思うと気が気ではなく、出来ることなら鬼ババアの手を振り払ってしまいたいと思いましたが、年寄りとは思えないほどの力で右手を掴まれていて、到底逃げることは出来ません。そう悟ると、ケンタにはされるがままに着いて行くしかありませんでした。

 それにしても、鬼ババアはどこに僕を連れて行くつもりなのだろう?

 ケンタの背中ではランドセルがカタカタと音を立てていました。何しろまだ朝早く、吐く息も真っ白です。ケンタは事が終わり次第、まっすぐに学校へ行くつもりでした。それなのに、そこに突如として鬼ババアが現れ、ケンタがやろうとしていることに気づくと、それは恐ろしい顔になって「馬鹿もん!」と一言叫ぶと、そのままケンタの右手を掴み、ずんずんと歩き出したのです。

 確かに、ケンタには「悪いことをしている」という自覚はありました。だけれど、こうでもしないと、どの道最悪の結末しか残っていないのです。

「おばあちゃん、放して! 放してよ!」

 ケンタは自分を誘拐しようとしている鬼ババアに向かって、ようやく言葉を発しました。この叫び声を聞いた人が、気付いて警察へ通報してくれるかもしれないと思ったからです。でも、あいにく朝早くに家を出てきてしまったために、まだ誰も通りにはいません。まだまだ寒い季節でもあることから、窓もしっかりと戸締りがしてあって、ケンタがいくら叫んでも、どの家にもケンタの声は聞こえないのでした。

 ケンタがいた公園から鬼ババアに引きずられて十数分。ようやく鬼ババアが足を止めました。そこは「妖怪屋敷」と噂される鬼ババアの家。ケンタが物心ついた頃にはもうこの場所にこの家はあったので、詳しいことは知りませんが、とにかく子供たちの間では「妖怪屋敷」と呼ばれるほどに古い家で、その家をツタの絡まった生け垣がぐるりと囲んでいました。びっしりとツタが絡まった生け垣しか見えないとはいえ、不気味な雰囲気を醸し出すのにはそれだけで十分です。

 鬼ババアは自分のポケットから鍵を出すと、ケンタの手を掴んだまま鍵を差し込み、何度かグルグル回した後、引き戸になっている玄関を開けました。ガラリと派手な音がして、ガラスがビリビリと揺れました。割れるのではないかと思ったほどです。

 鬼ババアは何も言わないまま、ケンタを先に玄関の中へ押し込みました。ケンタの背後でガラリとまた音がして、引き戸が閉められたのだと分かりました。鬼ババアはケンタを逃がすつもりはないようです。

 ケンタはようやく自由になった両手で段ボールを抱え直すと、キョロキョロと玄関まわりを見渡しました。左側に木製の靴箱があり、その上には渋い花瓶があって椿の花が一輪挿してありました。その花の奥には額縁が飾ってあり、ケンタには読めない立派な文字が躍っているかのように二つ。もう一度視線を戻すと、玄関からまっすぐに伸びた廊下と左へ伸びる廊下があります。どちらもきれいに磨かれてはいますが、やはり年代を感じさせる板張りの床です。二つの廊下には全面にガラス窓がはまっているので、日差しが射しこんで、とても明るく感じました。

「上がんな!」

 鬼ババアは履いていた草履を脱いで、一旦廊下へ上がりましたが、もう一度くるりとこちらを向くと、その草履をきれいに揃えました。その所作に見とれていると、鬼ババアがまた鬼の形相で「上がんな!」を繰り返しました。

 ケンタはやはり諦めて靴を脱ぎ、鬼ババアがしたのと同じように靴を揃えました。その様子を見ていた鬼ババアが少しだけ表情を緩めたかのように見えたのですが、あまりにシワが多すぎて、ケンタにはその表情の変化が何を意味するのか全く分かりませんでした。


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