掌編3.サバの水煮の缶詰 ―終末の味がする一口―

掌編3.サバの水煮の缶詰 ―終末の味がする一口―

 21世紀の最後の年の夏。


 「巨大な小惑星との衝突により、地球が砕けて消滅する」と世界連邦が発表したのは、その地球最後の日の約二か月前のことだった。


 長い間続いた戦乱によって荒廃していた世界は地球消滅の事実を粛々と受け入れ、ただ残された日にちだけを数えた。


 ある大国の内紛をきっかけに戦火が世界中に広がった結果、地球のほぼ全土は中性子兵器が大規模に使用された影響によってひどく汚染されていた。

 人類は自らの作りだした兵器によって滅亡するのだと、誰もがそう思っていた。


 しかし本当の地球の滅亡は、宇宙からやって来る巨大な小惑星によってもたらされるのだと人々は知って安堵した。


 ◆


『……惑星との衝突まで、あと四時間。小惑星の到達地点となる予定の南米の街には、続々と世界中から衝突を目撃しようとする観光客が集まっています』


 端末の画面に映る異国の雑踏の中で、ネットニュースの男性レポーターが現地の様子を伝える。


 極東の小国のさらに東に位置する小さな孤島にある辺境の軍事基地の司令室で、ユキオミはぼんやりと自分の端末で動画を見ていた。


 ユキオミが足を置くのに使っているデスクの前には司令室らしく立派な液晶モニターが設置されているのだが、それはとっくの昔に壊れていて使えない。あまりにも辺境の島なので、本土からの連絡もほとんどない。

 そのためユキオミは正規の軍人であるのだが、外部の情報のほとんどを個人所有の端末を使って得ていた。


 しかし、映像はレポーターが街の人にインタビューをしようとしたところで動きを止める。


(……また、見えなくなったな)


 読み込みのアイコンを表示させて停止した画面を、ユキオミは指で幾度か叩く。しかしユキオミの端末は古く、また基地のネットワーク環境も悪いので、動作は重く反応はなかった。


(まあでも、どうせどの動画も同じことを言っているだけだ)


 ユキオミは端末をカーキ色の軍服のポケットにしまって腕を組み、キャスター付の椅子の背もたれに身を預けた。


 地球の消滅まで残された時間を有意義に使いたいと思っても、辺境の基地の生活には面白いことはあまりない。

 さてどうしたものかと思っていると背後のドアが開く音がして、朗らかな声がユキオミの階級を呼んだ。


「少尉。そこにいらしたんですね。お仕事中ですか?」


 見れば、そこにはユキオミのたった一人の部下であるヤヒロが立っていた。


 同じ色褪せた軍服を着てはいても、いつも渋い顔をしていると言われるユキオミとは正反対に、ヤヒロは明るく優しげな人当たりの良い好青年だ。

 かつてはヤヒロとユキオミの他にも、基地には大勢の兵士がいた。しかし中性子兵器による汚染の影響で大勢が弱って死んでしまったため、今ではこの島に残っているのはこの二人だけである。


「いや別に、何かやるべきことがあるわけじゃない。お前こそ、その荷物はなんだ?」


 ユキオミはヤヒロの抱えている、段ボール箱を見て尋ねた。ほこりを被った、古い箱だった。


「これ、倉庫にあったのを思い出していくつか持ってきたんです。汚染の関係で食用禁止になってたんですけど、もう食べちゃってもいいですよね?」


 重度汚染注意のシールが貼ってある段ボール箱から缶詰を一つ取り出し、ヤヒロはその品質表示欄をユキオミに見せた。


「賞味期限の方も、切れちゃってますが」


「だがどちらにしても、もう食べてしまっても問題はなさそうだ」


 缶詰を受け取り、ユキオミは期限の過ぎた期間を確認して頷いた。 


 中性子兵器の残した汚染は、目には見えないし食べ物の味が変わるものでもないらしかった。たとえ汚染が健康に長期的な影響を与えるものだとしても、あと数時間で地球が消滅するのならむしろ気にするべきなのは味が変わる賞味期限の方だろう。


「それじゃあ、俺は談話室にこれを運びますね。少尉はゆっくりしてから来てください」


「ああ、わかった」


 部下らしく率先して動くヤヒロの後ろ姿を、ユキオミは椅子に座ったまま見送った。


 上官と部下といっても、ヤヒロもユキオミも二十歳を過ぎたくらいの年齢で歳にそう差があるわけではない。他の上官となるべき者が死んでしまったから上官になっているだけで、ユキオミには上官の役割はわからない。


 もしかすると本土からの連絡もなくほとんど見捨てられたようなこの辺境で、律儀に軍隊組織の上下関係を維持し続ける意味もないのかもしれない。


 だがそれでもヤヒロは部下として働き、ユキオミは上官として振る舞った。こうしたままごとのようなルールがなければ、この何もない孤島の基地での暮らしは退屈すぎたのだ。


 ◆


 島の面積の限られた土地に建てられた軍事基地は地下に倉庫がある狭い造りの建物で、コンクリートパネルの壁が寒々しくあまり居心地はよくはないという評判だった。

 しかし2階にある談話室は窓が広くちょうど海が見えるため、基地内でも比較的気分が晴れる場所としてユキオミもヤヒロもよく利用している。


 ヤヒロが食料を運び終える頃合いを見計らって、ユキオミはその談話室へと向かった。


 入り口のドアを開けると部屋はちょうど海に沈む太陽の光によって赤く染まっている頃合いで、ヤヒロは古いステレオセットに端末を繋いで音楽を流しているところだった。


 選曲は、ゆったりしたシンセポップの洋楽だ。


「あ、少尉。少尉はこういう曲、苦手じゃないですか?」


 ステレオセットを操作する手を止めて、ヤヒロがこちらを見て尋ねる。


「良い楽曲なんじゃないか。ほどよく調子が良くて、明るくて」


 ユキオミは革製の上等な方のソファに座って、曲を褒めた。


 ソファの前に置かれたスチールのローテーブルには、ヤヒロが倉庫から運んできた魚や果物などの缶詰が、所狭しと置かれていた。


「そうそう。缶詰の他にも非常食のクラッカーと、あと炭酸水もあったんです」


 ユキオミが席に着くと、ヤヒロも向かいの合皮のソファに座り、クラッカーの入っている箱を開けてユキオミに炭酸水の入ったビンを渡した。


「缶詰の具をこのクラッカーに載せて、飲みましょう」


「それは旨そうな提案だな」


 炭酸水を受け取り、ユキオミは本人比で微笑んだ。

 かつては安価な飲み物だったらしい炭酸水も今ではもう高級品であり、ユキオミは数えるほどしか飲んだことがなかった。


 各々に必要なものが行き渡ったところで、二人はそれぞれの炭酸水のビンのふたを外した。


「それじゃあえっと……、地球消滅のおかげで味わえる缶詰に」


 ゆっくりと言葉を選び、ヤヒロがビンを持ち上げる。


「最初で最後のごちそうに、乾杯」


 つられてユキオミも格好をつけたことを言って、お互いのビンを軽くふれ合わせてから一口目を飲んだ。泡をこぼす炭酸水のビンは、軽やかな音をたててぶつかった。


 もう人類が二度と見ることない夕日は、これ以上ないほど真っ赤に空と海を照らしている。

 時折波の音が響く中、どこかで聞いたことがある洋楽が無言の二人の時間を心地良く包んで流れていた。


(さて、どの缶詰からもらおうか)


 ユキオミはローテーブルの上から、一個目の缶詰を選んだ。ツナに豆、黄桃にみかんなど様々な種類の缶詰がある中で、ユキオミは「サバ・水煮」と印字された小さめの缶詰を手に取った。


 プルトップを引き上げて缶詰を開けると、ぎっしりと缶の中に詰まった薄茶色の身が油に浸った状態で姿を現す。

 ユキオミはそれをフォークでほぐして、一枚の四角いクラッカーの上に載せた。ただそれだけで、備蓄されたとうもろこしの粉を練ったペーストだけを食べる普段の食事よりも豪華な気がした。


(サバってほとんど食べたことがないから、この匂いで大丈夫なのかどうかはよくわからんな)


 独特の生臭さを嗅ぎながら、ユキオミは賞味期限のことを考えた。正面にちらりと目をやると、ヤヒロの方はシャケの缶詰を開けている。


 ユキオミもヤヒロも出身は内陸部の貧しい農村であり、魚を食べる機会がほとんどなかった。この島に来てからは海で泳いでいる魚を見る機会があったが、もうそのときには海洋も汚染が進んでいたため食べたことはない。


(だが多分、きっと魚っていうものはこういうものなんだろう)


 ユキオミはわからないながらに納得して、サバの水煮を載せたクラッカーを手に取り口に放った。

 するとどうやらサバの濃厚な風味であるらしい油の味が、ユキオミの舌の上にしっとりと広がる。


(これは多分、不味くはないんじゃないだろうか)


 繊維状にほぐれていくサバの身の濃い味とクラッカーの生地にまぶされた薄めの塩味がちょうどよく重なるのを、ユキオミは興味深く味わった。クラッカーはやや湿気っていたが歯ざわりは悪くはなく、サバの油が染みた部分も旨かった。


 どうやらシャケの方も満足のいく味だったようで、ヤヒロも明るい表情で顔を上げた。


「少尉。このシャケって魚の缶詰、しょっぱくて美味しいですよ」


「そうか。サバも臭みが強いが悪くはないぞ」


 炭酸水のぱちぱちとした刺激で口の中をさっぱりさせて、ユキオミは今度はフォークでサバだけをとって食べた。

 二口目のサバは少々パサついた部位もあったが、骨まですべてを食べ尽くすことができるくらいには煮込まれていた。


 やがて太陽は遠く彼方に沈んで宵闇がせまり、海は星空を映してほの暗く輝く。


「小惑星が落ちれば最後は地球もこの島も全部なくなるんですから、食べ残しは気にしなくても大丈夫ですよね」


 そう言って、ヤヒロはさらに黄桃の缶詰も開ける。


 もう島には、この上官と部下の二人以外は全員死んで誰もいない。


 残された者が死ぬまでただ朽ちていくだけの時間が過ぎて行くのなら、いっそ地球ごと全てが消え去ってしまったほうが綺麗なのではないかと、ユキオミは思う。


 不毛な戦争の結果重度に汚染された缶詰の味は、いつかはユキオミとヤヒロを殺すものだろう。


 しかし今夜は地球が消滅する夜であるので、二人はそのいつかの心配をすることなく最後のおいしさを終わるそのときまで味わった。

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偽王の晩餐と姫君の首 名瀬口にぼし @poemin

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