屏風の虎・落

 なんだったのか、と問うには落ちず。

 これこのように、と語るに落ちる。


 即ちこれより、此度こたびの怪談の落ちをつけるとする。




「――――結論から言えば、あれは生霊の類だったわけだ」


 クーラーの効いた涼しい部屋の中で、ベッドに腰かけたクラムは二人に語り始める。

 クラムの家の、クラムの部屋。

 三人がいつも集まる、日常の象徴。

 締め切った窓の外から、それでもミンミンとけたたましい蝉の声が聞こえた。


「生霊、というと……その、例のナオトって人の?」


 棒アイスを舐めながら、胡坐をかいて座るコータローが相槌する。

 武田ナオト。

 あの虎の描き手にして、事件当日の朝に交通事故を起こして入院していた人物。


「そうだ。優れた芸術家が精魂尽くして世に送り出した作品には、魂が宿ると言うだろう?」


 それは、洋の東西を問わない信仰だ。

 “今にも動き出しそうな”、なんて使い古された賛美。

 例えば、瞳を欠いた竜の絵に瞳を書き入れたところ、まさしく竜が生を得て天へと登ってしまったという伝説がある。今で言う“画竜点睛”の由来だ。

 西洋でも、精魂込めて作り上げた美女の彫刻が女神の加護で生命を得て作者と結婚したという神話があるし、近現代においても命を持つ被造物をテーマにした映像作品がいくつもある。

 ……一休さんの逸話に登場する、“屏風の虎”だって似たような話だろう。

 文字通りに、のだ。

 優れた芸術家が、心血を注いだ作品というものには。


「曰く、ナオト氏は極度のスランプだったそうだな。美大進出。周囲からの期待。美大ともなれば、己以上の才覚などいくらでも見当たるだろう。その差に悩み、伸び悩み、それがまた不調に繋がる。悪循環だな」

「……で、虎か」

「ああ。欲望の解放、とでも言おうか……酔った勢いというのもあるんだろうが、素直に彼の魂が込められてしまったんだろう。強い光に弱かったのは、グラフィティが強い光を受けると劣化するからか。単純に怪異だからかもしれんが、他の怪異に会ったことがないのでわからん」


 あの虎の絵には、まさしく魂が籠っていた。

 そのために、宿ってしまったのだ。

 武田ナオトという男の魂が注ぎ込まれ――――動き出してしまった、というわけだ。


「……しかし、なぜ虎になって人を? よもや食人願望でも……?」


 そう問うのは、同じく棒アイスを舐めながら部屋の隅でぺたんと座るテラ子だ。


「まさか。彼の中にあったのはごくありふれた……抑圧からの解放願望だよ」


 曰く。

 虎になりたかったのだ、という。

 力強く、気高く、美しく、気ままで、自由な虎になって、世界を駆け回りたかったのだ、と。

 責任もしがらみもなにもなく、ただ自由に大地を踏みしめて、駆け回る。

 それは奇怪で突拍子もなくて、けれど誰でも持っているような、本能への希望だ。

 何も考えず、自由でいたい――――そんな、誰にでもある欲求。


「だいたい、彼は人を喰ってはいない」

「え、そうなのか? だって夜な夜な人を襲うって……」

「そのウワサが流れたということは、生存者がいるということだ。死人に口無し。死者は怪談を語れん。そもそも、死人が出たなら警察も黙ってはいまいよ。ナオト氏としては、じゃれついているつもりだったんだろうな。現に、我々もしばらくは遊ばれていただろう?」

「俺、殺されそうだったんだけど……」

「獲物が思いのほか抵抗するものだから、イライラしたんじゃないか。というか虎にじゃれつかれたら人は死ぬ。鬼ごっこのつもりでも、命の危険は避けえまい」


 酷く恐ろしい鬼ごっこもあったものである。


「まぁともかく――――そういうわけで、挫折した芸術家の傑作は魂を得て、彼が眠っている間に暴れまわっていたわけだ。願望の肖像アバターとしてな」

「夜な夜な現れていたというのは、ナオトさんの睡眠中にのみ現れる仕掛けだったから、ですか。さながら幽体離脱ですね」

「んで、交通事故で意識を失っていたからあの日は昼間にも出た、と……よく気付いたな、お前」


 その後、武田ナオトは意識を取り戻し、現在は入院中。

 今回の答え合わせは、本人に面会していくらか問い質した結果によるものである。

 武田ナオトは夢の中のことも、虎を描いた時のこともほとんど覚えていなかったが、けれど最近妙に夢見が良かった……と話していた。そりゃあ思うままに街中を駆け回っていたわけで、精神衛生には良好だっただろう。最高のストレス解消法だ。

 なお、彼の友人であった不良も大きな怪我はなく、無事であったようである。前述の通り、虎に殺意があったわけではないのでさもありなんといったところ。


「なに、簡単なことだ。虎の作者であるナオト氏と無関係という線は考えづらかったし、虎が描かれたという時期と、虎の噂が流れ始めた時期が一致する」


 ……毎晩、虎になっていたのだろう。

 夢の中で虎になり、コンクリートジャングルを駆け回っていたのだろう。

 時折見かけた人を追いかけ回して、遊んでいたのだろう。

 友人と飲み明かして、本能のままに虎を描いた、その日から。


「夜な夜な現れる怪異が昼間に現れる矛盾。交通事故の情報。明らかに意志を持つ虎の振舞い。彼の意識が眠っている間に虎になっていた――――と考えるのは、難しい推理ではないだろう?」


 無論、賭けではあったが。クラムはそう苦笑した。


 以上、種明かし。

 これにて怪談のである。


 屏風の虎は鬱屈を貯め込んだ画家の獣性であり、夢と突き付けることで虎は屏風に戻る。

 ビル群と密林の間を駆ける虎のアートは、元に戻っていた。

 なるほどそれは見事な虎で、今にも動き出しそうで。

 虎の欠けた虎の絵に勝るとも劣らぬ、生命の躍動に満ちた芸術であった。

 もう、虎が出るという噂は聞かなくなった。

 武田ナオトは己の本能に折り合いをつけ、また前に進んでいく。

 これにて綺麗に、語るに落ちる。


 ……あるいは。

 もうひとつ、気になる点があるとすれば。


「虎が描かれた当日……酒が入っていたとはいえ、居合わせた人物が揃って記憶が曖昧、というのがどうにも気になるが――――」

「……いやまぁ、それこそ酒のせいじゃねーの?」

「飲酒によるトランス状態、というやつでしょうか。昔の儀式とか、そういうので神様と交信してたと聞きますが」

「…………だな。これは俺の考えすぎだろう。忘れてくれ」

「つーかテラ子、マジでよくあの虎に蹴り入れられたよな……」

「寺生まれのTさんなので、行けるかな、と……」

「ネットに毒されすぎだろ。……まぁ助かったよ。テラ超えてペタ子だっけ?」

「誰がぺったんこですか。セクハラで殺しますよ」

「あれぇ理不尽じゃねぇ!?」


 ――――考えすぎ、なのだろう。


 武田ナオトは優れた芸術家だった。

 ……けれど、十人並の才人である。


 虎の絵には、鬱屈とした欲望と願望が込められていた。

 ……けれど、ありふれたストレスである。


 動き出す芸術品の怪談を、どれだけの数耳にしたことがあるだろう。

 の芸術家が、の魂を込めたから、虎が生まれ出でたというのなら。

 ……今頃世界は、芸術家の魂が変じた怪物で一杯になっているはずではないだろうか。


 なぜ、今回に限ってこのような。

 いったいなぜ、どうして、どのように――――――――






 ――――――――――――問うには落ちず。この怪談は、これにておしまい。




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問うには落ちず 斧寺鮮魚 @siniuo

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