第8話 宴
護衛の兵にぐるりと囲まれ刃を向けられたまま
婚約を祝う宴だ。皇女キランとティフィス王子が並んで席についている。武器をすべて奪われて丸腰のおれがやって来たのを見てティフィスは席を立ち、こちらに近付きながら身振りで場のざわめきを抑えると、こう声を上げた。
「見よ、この男は私を殺すべく送り込まれた刺客だ。私の護衛たちを十四人も殺した。
私の祖国
この男に酒を!」
すぐ側に立つティフィスの声は晴れがましい音色でよく通る。なるほど次期皇帝に選ばれるだけあって、整った顔立ち、恵まれた体格、押し出しのいいその姿と堂々たる態度は宴の参加者たちを十分に惹き付けていた。
だがこの男は、他の候補三人を
ティフィスの子を
列国指折りの賢子といわれるウージのティフィス。
恐らくティフィスは
自分の欲だけが走る世界にティフィスは生きている。この男は何も信じてはいないのだ。
信じる?
では、おれはどうだ?
一体何を信じて今日までの長い日々を生きてきた? 天も人も信じることなく、ただ自分の頑丈すぎる身体だけをたのみに生きてきたのでは?
結局人間とはそんなものじゃないか。
……いや、今更おれを人間に含めていいものかな。
そう思った時、やはり席を立った皇女キランが、
昔ながらのしきたり通りだ。刺客が酒を与えられる際、杯を運ぶのは狙われた皇族の一番近しい者とされている。ティフィスを既にアリヤの皇族扱いするなら、杯を運ぶのはその配偶者となる皇女キランが妥当だ。
キランは髪の色も眼の色も姉さんに似ているのに、あの白髪頭に灰色の瞳の
あの腕輪はどのくらい長持ちするだろう、とおれは思う。普通の髪ではないものをしっかり編んだし
どこか離れたところで見ているはずのレアを、恐らくこの後かなりびっくりさせることになる。あの優しい子供にはあまり見せたくない光景だが仕方がないな、とおれは内心で苦笑した。
絶対に
こんな奴は、この衆目の中で惨たらしく死ぬのがお似合いだ。だからわざわざ捕まってやった。武器なんかなくても、ぐるりを武装した兵に囲まれていても、おれはおまえを殺せるよ、ティフィス。今、そのことを教えてやる。
向こうからキランが近付いてくる。まだ距離がある。ティフィスはおれを見てにやついている。ティフィスの手の動きで兵の一部が俺から離れ、動線を開ける。
「殺し屋殿、名を名乗るがいい。アリヤの歴史に書き留めておこう」
得意げなティフィスにおれは普段通り答える。
「名乗る気はない。おれはただ、おまえを殺す者だ」
その時だった。
あ、とキランが鈴を転がすような短い声を上げ、その身体がよろけるのが見えた。
居合わせた者たちが思わずキランに視線を注ぐ。
床に倒れ込もうとしている皇女と、
その脇に立っておれを真っ直ぐ見ている白髪頭の娘。
娘の手には玻璃の杯があり、
その手首にはおれの髪で編んだ腕輪がはまっている。
何やってるんだ、レア。またひどい顔色をしてるし、手が震えてる。早くその杯を離せ。遠ざけておけ。それは、
――にげて。
十歩の距離の向こうから唇だけでそう告げると、レアは一気に杯を
床を蹴って飛び出したが間に合わない。手が届かない。
レアは毒薬を飲み下した。
アリヤでは暗殺者を宴に招く。酒と偽って毒を与え、人々の面前で殺すのが古い習わしだ。
杯を運ぶ役目のキランに仕えるレアは、その杯に注がれたのが毒だと知ったのだ。
それをおれに飲ませないために。
もともと喉が
レアの手を離れた夜色の杯が薄い葡萄色の液体を空中に引きながら滑り落ち、磨かれた床に当たって砕け散った。
玻璃の小さな
引きずるように長い草染めの服、酸に洗われたように荒れた白髪頭、砂漠に
昨日、吹雪の夜の底で見たちいさな灯が。
馬鹿な奴。
そんなものじゃ、このおれは死なないんだ。
それなのに。
おれは顔をしかめる。
一瞬後には悲鳴の沸き上がるこの場に嫌悪を覚える。
誰も彼も邪魔だ。
そいつに
これ以上の呪詛を、聞かせるな。
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