第8話 宴

 宝石国アリヤのしきたりでは、皇族に差し向けられた刺客は宴の場に引き出されることがある。そのやり方も、宴に使われる銀星石広間エストーミカも、昔と大して変わっていないな、と思う。

 護衛の兵にぐるりと囲まれ刃を向けられたままティフィス王子の方に押し出されていくおれを、目を真ん丸にして見ている者がいる。皇女水晶キランの侍女たちの一番後ろにいるあの白髪頭の余りものレア。草染めの衣服の袖から覗く手首に、おれの真っ赤な髪で編んだ腕輪が見える。

 婚約を祝う宴だ。皇女キランとティフィス王子が並んで席についている。武器をすべて奪われて丸腰のおれがやって来たのを見てティフィスは席を立ち、こちらに近付きながら身振りで場のざわめきを抑えると、こう声を上げた。


「見よ、この男は私を殺すべく送り込まれた刺客だ。私の護衛たちを十四人も殺した。

 私の祖国七峰国ウージでは暗殺者は串刺しにして谷にさらし獣や鳥に喰わせるが、この宝石国アリヤではまず宴に招いて酒を与える習わしだという。ここはアリヤの王宮だ、そして今日、私は正式に皇女キラン姫の婚約者となった。そこで私はアリヤのやり方に従うことにしよう。

 この男に酒を!」


 すぐ側に立つティフィスの声は晴れがましい音色でよく通る。なるほど次期皇帝に選ばれるだけあって、整った顔立ち、恵まれた体格、押し出しのいいその姿と堂々たる態度は宴の参加者たちを十分に惹き付けていた。

 だがこの男は、他の候補三人をおとしいれ、一人は殺し、結婚の日まで決まっていた元々の許嫁を捨て、愛人と愛人に生ませた幼子をそれぞれ複数殺し、諸々の辻褄合わせと秘密保持のために七人もの人間から地位も身分も奪って遠国に追放しあるいは殺し、やって来たアリヤでは婚約すら成立していない時点で相手の皇女キランと関係を持った。

 ティフィスの子をはらんで殺された妹の仇を取りに来たという踊り子が、恐らくこの場のどこかにいるのだろう。同じようにティフィスを仇と恨む者がおれを雇った。自害した元許嫁の父親だ。

 列国指折りの賢子といわれるウージのティフィス。まがい物の好人物。

 恐らくティフィスは天唱鳥カラヴィンカの力を信じていない。だからこそ天意など待たずに工作に走ったし、会うなりキランを抱いた。

 自分の欲だけが走る世界にティフィスは生きている。この男は何も信じてはいないのだ。

 信じる?

 では、おれはどうだ?

 一体何を信じて今日までの長い日々を生きてきた? 天も人も信じることなく、ただ自分の頑丈すぎる身体だけをたのみに生きてきたのでは?

 結局人間とはそんなものじゃないか。

 ……いや、今更おれを人間に含めていいものかな。

 そう思った時、やはり席を立った皇女キランが、さかずきをのせた小さな盆を手にしてこちらに踏み出すのが見えた。

 昔ながらのしきたり通りだ。刺客が酒を与えられる際、杯を運ぶのは狙われた皇族の一番近しい者とされている。ティフィスを既にアリヤの皇族扱いするなら、杯を運ぶのはその配偶者となる皇女キランが妥当だ。

 キランは髪の色も眼の色も姉さんに似ているのに、あの白髪頭に灰色の瞳の余りものレアのほうが姉に近い気がする。同じ名で似たようなことを言ってくれたからか。おれを恐れない態度か。

 あの腕輪はどのくらい長持ちするだろう、とおれは思う。普通の髪ではないものをしっかり編んだしまじないもかけたから、何もなければ数十年は持つか。レアが天寿を全うするまで間に合うといいのだが。

 どこか離れたところで見ているはずのレアを、恐らくこの後かなりびっくりさせることになる。あの優しい子供にはあまり見せたくない光景だが仕方がないな、とおれは内心で苦笑した。

 絶対にこいつティフィスを殺したくなってしまったから仕方がない。

 こんな奴は、この衆目の中で惨たらしく死ぬのがお似合いだ。だからわざわざ捕まってやった。武器なんかなくても、ぐるりを武装した兵に囲まれていても、おれはおまえを殺せるよ、ティフィス。今、そのことを教えてやる。

 向こうからキランが近付いてくる。まだ距離がある。ティフィスはおれを見てにやついている。ティフィスの手の動きで兵の一部が俺から離れ、動線を開ける。


「殺し屋殿、名を名乗るがいい。アリヤの歴史に書き留めておこう」


 得意げなティフィスにおれは普段通り答える。


「名乗る気はない。おれはただ、おまえを殺す者だ」


 その時だった。

 あ、とキランが鈴を転がすような短い声を上げ、その身体がよろけるのが見えた。

 居合わせた者たちが思わずキランに視線を注ぐ。

 床に倒れ込もうとしている皇女と、

 その脇に立っておれを真っ直ぐ見ている白髪頭の娘。

 娘の手には玻璃の杯があり、

 その手首にはおれの髪で編んだ腕輪がはまっている。

 何やってるんだ、レア。またひどい顔色をしてるし、手が震えてる。早くその杯を離せ。遠ざけておけ。それは、


――にげて。


 十歩の距離の向こうから唇だけでそう告げると、レアは一気に杯をあおった。

 床を蹴って飛び出したが間に合わない。手が届かない。

 レアは飲み下した。

 アリヤでは暗殺者を宴に招く。酒と偽って毒を与え、人々の面前で殺すのが古い習わしだ。

 杯を運ぶ役目のキランに仕えるレアは、その杯に注がれたのが毒だと知ったのだ。

 それをおれに飲ませないために。

 もともと喉がれた彼女は、離れた所からは声で知らせることができないから。

 レアの手を離れた夜色の杯が薄い葡萄色の液体を空中に引きながら滑り落ち、磨かれた床に当たって砕け散った。

 玻璃の小さなそらが割れるようなその光景の向こうに、レアがゆっくりと倒れていく。

 引きずるように長い草染めの服、酸に洗われたように荒れた白髪頭、砂漠ににじんで消えてゆく血のような唇。

 昨日、吹雪の夜の底で見たちいさな灯が。


 馬鹿な奴。

 そんなものじゃ、このおれは死なないんだ。

 それなのに。


 おれは顔をしかめる。

 一瞬後には悲鳴の沸き上がるこの場に嫌悪を覚える。

 誰も彼も邪魔だ。

 そいつにみにくい声を聞かせるな。

 これ以上の呪詛を、聞かせるな。


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