第3話 夜の散歩

 宝石国アリヤに来るのはずいぶん久し振りだが、しきたりはあまり変わっていない。

 例えば、皇族の子は同じ日に生まれた子供たちを従者にして育つとか、ほとんど女の子しか生まれないので皇女の一人が婿を迎えて次期皇帝にするとか。その婿の指名は天唱鳥カラヴィンカと呼ばれる皇女自身が行う。

 今は水晶キラン姫がそのカラヴィンカとされている。かつて王宮に仕える高名な占い師が誕生の日を予言したのだという。果たして、予言通りの日に産み落とされた姫君は水晶キランと名付けられ、天の遣いとして大切に育てられた。

 キランの婿に選ばれる者こそが、アリヤの後継者。

 そして選ばれたのが属国七峰国ウージティフィス王子というわけだ。

 明日の夜、皇女キランとティフィス王子の婚約が正式に成る。皇女は天の声を媒介する。媒介といっても、名を呼ぶだけだ。カラヴィンカと分かって以来誰の名前も呼ばぬよう育てられた皇女は、その時初めて人の名を口にする。それが天意による指名に他ならないと言われていた。

 天などというものが実在するのかしないのか、それもおれには興味のないことだ。ともかくアリヤのしきたりは大昔からそうなっており、そのためにティフィスがここに来た。

 だが、奴が本当に皇女と結婚するかというと、多分しない。

 おれが殺す予定だからだ。



 アリヤの王宮に幾つもある離れのうちティフィス王子にあてがわれたのは空石宮カッライスと呼ばれる建物で、その名の通りあらゆるものが空色の石で彩られている。真冬の雪景色の中で空石宮は、夜の底に打ち捨てられた青空の破片が吹きだまりに埋まっているような姿だった。その離れに、残り四人の用心棒と五人の従者、後見の大臣と彼の従者が一人。雪の吹きすさぶ屋外には天幕が張られ、七十人の護衛が交代で警備についている。

 次の一人を殺すのは夜明け前にして、おれは王宮内を巡っていた。今後のこともある。使える経路、間取り、深夜のうちに見ておきたいものは色々あった。

 正確に言うと、見たくないものに急に出会わないように、仕事のために見るべきものを見る、という口実でそれらを潰していく作業をしていた。古い離宮、小路と阿室あずまやのある庭、凍りついた池と渡り廊下、壁の燭台、塔の隙間から見える星空。

 吹雪が唸って足音を消し、風で足跡も消えていくのは大変都合がいい。おれは悠々とあちこちを見て回ることができた。

 そうして、黒玉宮ジエまでやって来た時のことである。

 黒玉宮は古来、弔いの時にだけ使われる離れだ。例えば皇帝を亡くした后が葬儀の間滞在して、あらゆる色彩から身を遠ざけ喪に服す。そのために昔の皇族たちは、茶や金の髪を黒に染めることさえした。壁も屋根も柱もすべて黒一色で造られたこの黒玉宮ではどんな歌舞音曲も赦されないし、食べるものさえ色を失わせるために炭を混ぜて作る。

 暗い、恐ろしい、悲しみの時にしかその口を開かない、死の宮。十分手入れはされているが、近付く者さえなく、王宮の主だった建物からも庭木などが目隠しになってよく見通せないかげの宮。

 その黒玉宮の外回廊に人影を見つけたのは、柱と柱の間、真っ黒な建物を背景にして白いものが浮かんで見えたせいだった。

 吹雪を透かして見ても真っ白な頭の子供だ。白い髪を長く編んでいる。頭しか見えなかったのは、草染めの服が影のように暗い色だから。引きずるように長いその服ごと、よたよたと外回廊を這い回るような動きをしている。皇族でも将官でもない。侍女やはしための類いだろうか。

 おれの足音は吹雪の声に消えてしまい、まるで聞こえないようだった。それでおれは、ほとんど見下ろすような位置まで近付いてから声を発した。


「何か探してるのか?」


 仕掛け弓のばねみたいに跳ね上がったその顔は何だか砂漠みたいだとおれは思った。恵みがれている。

 酸に洗われたようにひどく荒れた象牙色の白髪しらかみと、おれが見慣れた死体たちの肌にも近い土気色の顔をした娘は、この世の終わりじみた驚愕と恐れの表情で、おゆるしください、という形に唇を動かした。砂漠に撒き散らされた鮮血を思い出す。血が砂に吸われ乾いて消えていく時、こんな風だ。そういう色の唇だった。


「おれはあんたの主じゃないから、あんたが何をしていようが構わない。で、何か探してるのか?」


 言葉の最後を少しゆっくりと発音した。たいがいの人間はそれで、おれの誘導に乗る。おれの声には呪いの力があるからだ。

 娘は震えながら、えをさがしています、と答えた。

 声も砂漠のように完全にれていて、息の通る音がするだけだ。緊張でかすれて声が出ないのとは違う。独特にゆっくりした、唇の動きのはっきりした使い方は、そもそも声の出ない者のやり方だ。


「千切れて飛ばされた絵の、欠片かけらを、探しています」


 見ると、り切れた着物の袖の下で土気色の手が、何か紙の切れ端のようなものを握っていた。



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