「私」はSNSで怪談漫画を発表しているアマチュアの漫画家。一時は本を一冊出すぐらいには話題になったものの、近頃はネタ切れ気味で調子が悪い。そんな中、同じ大学の卒業生が集まるオフ会で、常連の由美子さんという主婦からいくつかの怪談を紹介されるのだが……
中学生の体験談、戦前の田舎で起こった出来事、学生サークルのブログ、民俗学者の手記と紹介された話はいずれも不気味で、読んだ後に妙なもやもやを残すのだが、本作でそれ以上に不気味なのが由美子さんの存在なのである。
「私」が怪談を読み終わると見計らったように電話をかけてきて、次の話を読むようにやたらせっついて来る由美子さん。元からやや無神経で人の都合などおかまいなしという部分はあるのだが、話が進めば進むほどその勢いは増して常軌を逸していく……。
そうやって怪談のパートと由美子さんからの電話のパートが交互に重なって物語が展開されるわけだが、こうなってくると怪談が怖いのか、由美子さんが怖いのか、もうわからない。
そうして読者を恐怖と困惑に陥れた後に、最終的には思いも寄らぬ角度から衝撃を叩きこんでくる。複数のホラー要素をいくつも掛け合わせることで、物語の怖さを何倍にも増幅させる、作者の構成が光る一作だ。
(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)
これだけ映像作品が溢れている昨今で、ホラーを小説で楽しむ意義は何なのか?を再確認させてくれるような作品でした。
恐ろしい映像で怖がらせることはいくらでもできますが、文字媒体からじんわりと頭の中に形作られていく「怖い何者か」は、読み手の想像力を食い物にして肥大化していきますし、それは文章中に余白というか、想像の余地を上手く残すほどどんどん膨らむ気がします。
よくよく読んでみると物語内で明かされていることは実は少なくて、そのあたりの明かされない諸々(あれ、僕だけわかってないわけじゃないよね…?)のせいで読み終えた後にも想像を巡らせてしまい、結果としてもっと怖くなる、という。
と、ここまで考えていて、自分も「しらべちゃってよんじゃって」しているなぁと気づき恐怖。読者自身の行為を含めて完結させているとしたら、相当に周到な作品です…え、どうしてくれるのこの恐怖感…