*道の長手を繰り畳ね


※6年ほど前に書きかけていたもの。当時そこで力尽きたのか、唐突に終わります。




「あなたは、何をするつもりだったんですかッ」


 頭に血がのぼり、枢要かなめよみすの胸ぐらを掴んで壁に叩きつけた。衝撃で、壁際に置かれていたがらくたが崩れる。だが、嘉はわずかに呻いただけで何も言わない。

 そのとき、乱れた着物の首筋から覗く紅を見て、枢要は思わず息をのんだ。

 薔薇か椿のひとひらにも似たそれは、まぎれもなく鬱血痕である。慎ましげにみえてはっきりと存在を主張するその証は、どうあっても秘めごとを連想させずには済まない。激昂していた身体から、一気に血の気の引く思いがした。ぐらりとよろけながら後ずさる。

 枢要の視線に気づいたのだろう。嘉はわずかに目を伏せながら、さりげなく襟元を整えた。しかしそれ以上何かを取り繕おうと焦る風もなく、逆に蒼くなった枢要をひたと見すえる。

 あまりにも淡々としたその態度に、枢要の方が戸惑いを隠せない。動揺がそう簡単に収まるものでもなかった。自尊心の強い嘉が、かような手段を選んだということをどうしても信じきれないのである。

 しかし枢要は、嘉が見知らぬ男に口を捧げているところを見た。それとなく身体をすり寄せ、男の気を惹こうとしている姿も。

 そして極めつけは肌に浮かんだ紅である。鮮烈なその色はまごうことなき印として、はっきりと枢要のまなうらに焼きついた。

 その瞬間、枢要は唐突に、向かいあっている青年との間に長いときが隔たってしまったことを認識した。

 むろん、十五年越しに再会したあのときに、理性の範疇で呑みこんでいたことではある。自分と同じく少年から青年へと変貌した彼を目のあたりにして、しみじみと噛みしめもした。

 だが、胃の腑の底までは承知しきれていなかったのだ。それを思い知らされて、枢要は泣きだしたいような憤りに駆られた。


「枢要」


 嘉の口ぶりは変わらない。声自体こそ昔より低く落ち着いたものの、恬淡として物憂げな言い方は、憎らしいほど同じだった。

 枢要はうつむいて、ぐっと唇を噛みしめた。応えたくない。おさな子の甘えに似た反発心が、心にもたげた。甘えたいという欲求もあった。何だかんだ言って枢要に心を配り、年少者としての枢要をそれなりに受け入れてくれていたかつてのように、その背中に身を預けたい。

 顔を伏せていても、目の前の人の気配はわかる。嘉の静かなまなざしが突き刺さってくるのを、枢要はまざまざと感じていた。

 だがその視線はまったく色のないもので、何を思っているのか暗然として知れない。なじってほしいのか、糾弾せよと言いたいのか。あるいは何事もなかったようにかわして、普段の能天気な枢要に戻るよう仕向けたいのか。しかしどちらの選択肢を取っても、楽にはならないような気がした。

 非難したところで、嘉は決断を変えないに違いない。たとえ枢要が罵ろうが掴みかかろうが、おそらく無言の拒絶を返されるだけである。

 かといってなかったこととして受け流してしまうのでは、枢要の気が済まない。いや済まないどころか、いま目を背けた代償は静かに蓄積されつづけ、いずれ暴発して枢要と嘉の全てを喰い破るだろう。

 そこまで思慮したところで、ふともう一人の自分が微笑を浮かべた。

 ならば、もう一つの道を選べばいい。説得を諦めた素振りで献身しながら、彼の手綱を握ってみせる。淵へ向けられていた彼の耳目を塞ぎ、そこに赴こうとする手脚を捕まえて引き戻す。

 それは枢要個人の、まことに得手勝手な欲望である。しかし、かつての嘉は己の願望に忠実な決断を下し、その結果ここにいる。それならばこちらとて、同様にさせてもらってもいいではないか。

 一度落ち着きを得てしまえば、腹は決まった。

 枢要は、先までかたくなに伏せていた顔を上げた。目の前の人と視線が交わる。枢要は息を整えてから、不自然にならぬよう注意を払って口を開いた。


「……あれも、商いのうちですか」


 目的を果たすための、という言葉を暗にひそませて問う。それを汲みとったのだろう、嘉は静謐な目をして頷いた。

 その姿を見て、枢要の顔に脱力した微笑が浮かんだ。半ばは本心から、半ばは自らが決めた茶番のはじまりとして。


「あなたはどうあっても、諦めないんですね」

「……」


 無言は肯定。今さらだったかと自嘲して、枢要は嘉の前にす、と右手を差し出した。嘉の瞳に、いぶかしげな色が滲む。


「嘉さん。ぼくと、取引をしてくれませんか」

「……お前が、客になるというのか」

「そうです。あなたを手折らせてください。その代わり、ぼくはあなたの駒となる」


 一歩も引かないという構えを見せて、きっぱりと言い切った。嘉はすぐにはいらえをせず、探るような目を向けてくる。

 少しでも揺らぎを感じさせれば、必ず拒まれよう。枢要はひそかに神経を張りつめながら、嘉の反応を待った。

 彼は、枢要の奥にひそむ深淵を見出そうとするかのごとく、瞳を覗きこんでくる。いくら覚悟を決めたとはいえ、その冴えざえとしたまなざしにさらされるのはつらいものがあった。

 枢要の限界が近づいたころ、嘉はようやく目線を外してかすかに息をついた。退けられるのか。そう思った枢要がすがるように彼の名を呼ぼうとしたとき、差し出していた右手を強く引かれた。

 衣ずれの音とともに、嘉の息づかいを間近に感じた。口を吸われている。枢要は寸の間動けなくなったが、すぐに受けとめて気息をあわせた。

 目を閉じれば互いの境界は消えうせ、相手のぬくみだけが感覚のすべてを占める。なぜだか、妙に安らいだ心もちになった。


「……よろしくお願いします。《しち》さん」


 唇が離れたのち、枢要は嘉の屋号を呼んで、改めて右手を差し出した。今度は、ためらうことなく握り返される。その掌の感触を思うかたわらで、枢要の脳裏には一人の少年の姿が浮かんでいた。

 淵へ消えたかの人の存在は、今も嘉を惹きつけている。それを思うと、枢要はいまだ分の悪い立場にあるといえた。とはいえ、こちらとて諦める気はさらさらない。枢要は存外したたかな人間なのである。

 死なばもろとも、落ちなばともに。そう簡単に諦める心づもりではないが、万一のためにこの程度の覚悟は成っている。ついの行方が淵であろうと浮世であろうと、一つ蓮のうてなとうそぶいて奪わせはしない。

 枢要は脳裏にちらつく少年のおもかげを打ち消して、今度は自分から嘉の身体を引き寄せた。



 *



 帳場に上がったところで、ぐいと腕を引かれた。とっさのことに反応しきれず、嘉に抱きつくような形で倒れかかる。

 思わずあッと声が漏れたが、嘉の方はお構いなしにそのまま口を寄せてきた。ぬるりと舌が入り込む。嘉は口付けだけで翻弄させる手管を、よく心得ていた。気の逸らしようがない感覚に、思わず身震いする。

 だが、己ばかりが支配され高ぶらされてゆく感覚は、男としてあまり心地のよいものではない。してやられたという気になり、遅ればせながら負けじとこちらも咬みつき返した。

 彼の舌を押し返すようにして弄れば、ひるむことなく応えてくる。そうやって存分に貪り貪られたところで、嘉はふと猫のごとき気随さで顔を離した。つう、と唾液がなごりを引く。

 それから、今度は枢要の方に乗りかかるようにして上着を脱がせにかかってくる。肩を引き抜く所作は手慣れたもので、逡巡も緊張も感じさせない。

 それが終わると、次は襯衣シャツボタンである。一連の動作があまりにもよどみないので、枢要はまたもやりきれない思いを味わわされることになった。

 だが、それも承知で取引を持ちかけたのはこちらなのだ。そのうえ枢要とてこれから彼を手折らんとしているのだから、相手を非難する権利などありはしない。枢要は苦い澱を呑みこんで、嘉の袴の紐に手をかけた。

 するりと解けた衣ずれの音が淫靡で、どこかいたたまれない心もちになる。しかしそれと同時に、どうしようもなく背筋に痺れが走ったのも事実だった。

 釦を外し終え、こちらの胸元に口づけようとする嘉をとどめる。逆に彼の着物をゆるめながら、その頸すじに唇を寄せた。名も知らぬ誰かが、その肌に一ひらを落とした箇所だ。

 舌で慰めるように舐め上げ、歯を立てる。嘉は一瞬息をつめる様子を見せたが、すぐに力を抜いてされるがままになった。そのまま咬み切ってやりたい衝動を抑え、痕を塗りかえるのみに留める。

 同様にして、確かめるように肌の上をなぞってゆく。嘉の身体がわずかに震えた。

 一通り肌理きめを辿ったところで、顔を上げた。見れば、点々と散るは椿か紅梅か。あられもない風情に咽喉が鳴るのを堪え、枢要はかすかに震える手でその肩を押した。

 抗うこともなく倒れたさまは、着衣の乱れもあってしどけない。開いたそこから覗く身体つきは骨ばり、肩の薄さとあわせて酷くくたびれた印象を受けた。その力のなさに、枢要は記憶と現実との齟齬を覚えて狼狽する。

 かつての嘉は、当然ながら枢要より上背があった。身体つきも、まだ少年から抜けきらないほそさはあったが、いずれ健やかに青年として成長してゆくのだろうという芯があった。

 あるいは年月の隔たりを越えたのちでさえ、しゃんと伸びた背はやはり枢要にとって揺らがぬものとして存在していたのである。だが、今はじめて、彼はこんなにも危うさを感じさせる人だったかと不安に駆られた。

 その逡巡を察したのか、嘉は焦れた様子で枢要の右手を掴んだ。指先に口を寄せ、戯れるようにやわく咬む。そのまま指を舐められ、幽かな声が漏れた。その反応に、嘉がこちらを一瞥する。静かなまなざしの奥には、試すような色がちらついていた。

 こうまで焚きつけられて、ぐずぐずと躊躇しているわけにもいかない。枢要は息を整え、ぐらついた己を振り払った。

 掴まれた右手はそのままに、左手を嘉の下肢へと伸ばす。くつろげた袴の隙間から手を差し入れ、下穿き越しにあらぬところを撫であげる。小さく息をのむ音がして、なすがままに任せていた右手の指を咬まれた。明らかな反応に嘉の余裕を突き崩せた心もちがして、わずかばかり溜飲が下がった。

 捕われていた右手をほどき、袴を完全にはだけさせる。乱れた着物の間から覗く胸に唇を寄せつつ、微妙な愛撫をほどこしてゆく。もどかしいであろう刺激に、嘉は小さく身じろいだ。その焦れったさを知りながら、枢要はわざと反応のよい箇所を外した。

 肌を合わせていると、感覚が鋭敏になる。自らとは異質な肉体が傍らにあるがゆえ、相手の変化もよく判った。

 嘉は一言も漏らしはしない。春を生業とする者のように強請ねだることも、悦楽にすすり啼くこともない。

 だが、触れる身体は徐々に熱を帯びてきている。こればかりは紛れもない、高揚の証だ。それをもたらしているのが他ならぬ自分であるという事実は、枢要の脳髄をぴりぴりと刺激した。

 乾いた唾をのみ下し、下穿きを取り去ってじかに触れる。ひくり、と嘉の四肢が反応した。恐れか愉悦か。しかしすぐに硬さは消え、こちらを受け入れる姿勢になる。

 抜き身を弄ぶと、彼の口から吐息がのぼせた。声にもならない空気の揺らぎは、それがために一層の艶を帯びる。ほのかな行灯に照らされ、密やかに眉をひそめたそのなりも、また。普段の凛然とした姿との隔たりが際立って、余計に匂い立つものがあるのだった。

 男が持つ色気にかようなものもあるのかと、枢要は高ぶった頭の隅で呟く。乱れ染めるのでない、転がり落ちる一歩手前で踏みとどまった危うさ。女のじらいとも違う足掻きが、こちらの神経をなおのこと毛羽立たせた。

 耐えかねるあまり手つきが乱れる。滑稽を自覚しながらも、気ばかりが急かれるようだった。春を知らぬ小僮でもあるまいしと独りごち、責める手に力を込める。指を動かすほどに熱は増し、程なく濡れた音が聞こえ始めた。勿体ない、とごく自然に考え、枢要は脚の間に屈み込んだ。

 口に含めば、嘉は声を噛み殺したようだった。乱れ散った着物を掴む指先を尻目に、彼の物を舐め上げる。歯を立て、ねぶり、滴る粘液を吸い取っては飲み下し。

 さすがに堪え切れなくなったのか、嘉の唇から小さく声が漏れる。背がしなう。枢要はそれに気を良くして、なおのこと責め立てた。

 触れるほど溢れてくる水音に、枢要の下腹にも熱がこごる。辛抱ならなくなって顔を離せば、嘉の眼とかち合った。いつも恬淡としていた瞳が、熱を含んで潤んでいる。

 だがそれでも、意識は冴えているらしかった。薬入れを取ってこいと指示されて、勝手知ったる店の中から持ってくる。嘉が小瓶を取り出したことで、用途が知れた。

 受け取って手に垂らせば、予想通りとろりとした油が零れ落ちる。指にまぶして後ろに触れた。冷たさにか、彼の体が一瞬震える。

 そこでわずかに躊躇が生まれた。嫌悪からではなく、経験のなさから来るものだ。学生時分に話の種として聞きかじったことはあるが、実際に男と肌を合わせたことはない。ばつの悪さと、彼を傷付けることへの恐れが枢要の動きを鈍らせた。

 嘉の視線が突き刺さる。欲に濡れつつも静まった瞳は、こちらの逡巡をいかに眺めているのか。見下ろしているのに見下ろされている心持ちがして、枢要は唇を噛み締めた。


「……怖気づいたか、」


 まさに今組み敷かれているとは思えないほど、冷徹な声だった。多少掠れてはいるが、そんなことは問題にもならないほど、重い。それは枢要の芯を揺さぶり、切れそうで切れなかった一線を断ち切った。

 どろどろに融かし、しゃぶり尽くして、奪ってやる。もうこれ以上、この身体を誰にも暴かせはしない。自分以外の何者にも。

 濡れた指を突き入れ、弱点を探る。俄かに荒くなった動作に眉をしかめつつ、嘉は口をつぐんで受け入れた。中を引っ掻きながら、その唇に咬みつく。息が上がっているのは枢要なのか嘉なのか。

 そのまま喉笛や鎖骨にも歯形を残していると、ふと何かの具合でそこを押さえたらしい。喉を絞めつけられたような鋭い呼吸が、嘉の口から迸る。

 その変化に気づき、枢要は愉しげに唇を吊り上げた。爪の先でくじるように触れれば、嘉の身体は本能的に逃げを打つ。渾身の力で振りほどかれる前に、膝で太腿を押さえつけ空いた手で肩を掴んだ。

 ぐり、と埋めた手に力を込めると、彼の喉が潰れた音を発した。いつのまにか瞳はきつく閉じられ、眦から涙が伝う。生理的なものだろうが、嘉がそんな醜態をさらしているというのは些か不思議な心持ちである。枢要は溢れるそれを舌で拭い、指を増やした。

 中をほぐすごとに、粘膜を擦る濡れた音が増してゆく。少しずつ広がりみせるその場所が、枢要の背にぞくぞくと悪寒にも似た痺れを走らせた。恐らくみっともないほど息が乱れているだろうが、嘉も大概似たようなものだ。汗ばんだ胸郭が、せわしなく上下している。

 しばらく弄ってから、頃合いかと指を引き抜いた。こちらとしても限界が近い。嘉がうっすらと眼を開く。


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