字句の海に沈む

佐倉奈津(蜜柑桜)

小さなお客さんの「注文書」

「あれ、たくちゃん」

 自宅の向かいの門に手を掛けたまま突っ立っている見慣れた姿を見て、響子は声を掛けた。湿気を孕んだ空気がたちこめる六月。梅雨前線が日本列島にかかり、どんよりとした雲が頭上を覆っている。

 手に持つ紙切れから目を上げた匠の顔色も、ちょうどその曇り空のようだった。

「どしたの? 入らないの?」

 匠は響子の家の向かいに住んでいる。帰宅時に遭遇するのは珍しくないが、玄関先で呆けていることはそんなに無い。

「あ、うん。いや入るところだったんだけど…」

 歯切れの悪い返事に響子はピンときた。

「何かあったんでしょう。取り敢えず聞こうか? 美味しいお茶貰ったから飲もう」

「よく分かる…よな。さんきゅ」

「たくちゃんの今月の新作ショコラと交換ね」

 自宅の鍵を取り出して、響子はにやっと上目遣いで匠を見る。

「…ちゃっかりしてやがる」

 そう言いつつ満更でも無さそうに、匠は響子の後について扉に入った。


 ***

「演奏会近くて散らかっちゃってるけど適当に座って」

 そう言って響子はぱたぱたとキッチンへ向かった。なるほど、座卓や椅子の上には楽譜が散乱し、ピアノの譜面台には色とりどりのメモが走り書きされた開きっぱなしのノートと色鉛筆が乗っている。

「生徒のレッスンに自分の演奏会と、ピアニストも大変だな」

「仕事があるだけありがたいよ。はいこれ。水出しミントティーなの」

 座卓に散らばった楽譜を退け、空いたスペースにグラスが置かれる。縁に金の唐草模様がついた響子のお気に入りだ。

「それはショコラティエも同じだな」

 匠も鞄から透明なプラスチックタッパーを取り出して蓋を開ける。どのみち響子用だったのでラッピングはしていない。

「あ、可愛い美味しそう。この葉っぱの形、ミント入り?」

「いや、初夏だから抹茶ガナッシュにビターチョコレート。他のも夏用」

「ほんとだ。綺麗。お花が多いね」

「ブライダルの注文が増える時期だから」

「なるほどー」

 一粒つまんで口の中に放り投げると、響子の顔に笑みが広がる。

「美味しーい」

 その様子が子供みたいで、匠は笑いながらグラスを傾ける。カランと氷のぶつかる音が涼しい。

「やっぱりたくちゃん天才的っ! で、どしたの?」

「ああ、今日受けた注文なんだけど」

 口の中に広がる爽やかな清涼感とは真逆の苦い思いを蒸し返しつつ、匠は先程の紙切れを座卓の上に広げた。響子はそれを覗き込む。




 おかしのおにいさんさまへ


 おにいさんのおかしをおやつにたべるのがすきです。こんどぼくのたんじようびにおかしをつくつてほしいです。こないだ はなよめさんになったいとこのみわちゃんがくれたおかしがきれいで ぼくもおかあさんもすきなのでそれとおんなしのつくれますか? ふわふわのにつつまれててきゆってりぼんがかわいいくてあけたらころころでてきちゃうやつです。ちいちゃいけどおつきくてつるつるんでちょぅとざらざらしてます ふうせんとかびぃだまみたいにいろんないろがありました。ぼくはあおがすきなのであぉがいいけど。おかあさんはぴんくがいいっていつてまいた、おとおさんはみどりがすきだからぁおだけじやなくてぴんくとみどりもいれてください。まんまるだけどまんまるじゃなくてちよっとうちのみい(みいはぼくのにゃんこのみけ。ふわふあでひっかくといたいけどさいきんはひっかきません。 ぼくとおかあさんとおとおさんのほかにわみわちゃんがすきです)のおめめににてます

 たべるところりこりでがんばってかむんだけどこりっておとがします。むずかしかつたらしかたないけどおにいさんわ いつもおいしいのつくれるので おにいさんのがほしいのでよろしくおねガいします。

 でんしゃのけしごむをかうのにもつかいたいからあまりたくさんはむりだけど おとしだますこしもってます。もしかしたらたりないかもしれないけどたりなかったらおてつだいのあるばいとをするのですこしだけまつてほしいです むしばになるからいつぱいたでたいけどたくさんはだめといわれたから、ぼくとおかあさんとおとおさんがおやつにたべるぶんくらいでだいじようぶです。あぉがいつぱいだとぼくはうれしいです。

 しゅんた




「うわ、なかなか芸術的」

 紙面に広がるたどたどしい筆跡に思わず声が上がる。

「常連さんの息子さんなんだ。いま一年生」

「その子からの依頼かぁ…ふふ、ちょこちょこ間違ってるね。『ほかにわ』とか『たでたい』…『食べたい』、かな?」


 びっしり書き込まれた「注文書」には、消しゴムで消した跡や後から書き加えられたような点や丸も多い。


「今日来て渡されてなぁ…」

「うわぁ、みわちゃんご結婚おめでとうございますー」

「そこじゃ無い」

「分かってます。このお菓子が何か、でしょ」

 折り方を工夫したのか、いろいろな方向に線がいくつもついた紙を伸ばし伸ばし、響子はうーん、と唸った。

「色とりどりで小さいんだよね。マープルチョコみたいなのかな?」

「いや、チョコとも限らないな。特にこの時期は」

 匠はタッパーの中から薔薇の形にあしらった薄紅色のメレンゲを摘まみ上げる。夏場はチョコレートの売れ行きが落ちるので、チョコを使わない焼き菓子や砂糖菓子も季節商品として毎年売りに出すのだ。

「甘くてころころ…焼きメレンゲとか」

 匠の指先を見て、響子はもう一つ思いつくが、すぐに否定された。

「それじゃ食感と合わなくないか。こりって音がするんだろ。うちのメレンゲはどちらかと言えば、しゅわ、だな」

「金平糖とか。ちっちゃくてカラフルだよね」

「カラフルもカラフルだが、まんまる、ではないし、ちっちゃいけど『おおきい』に合致しない」

「うーん、丸くてつるつる…飴玉…? たくたゃんとこで扱ってないけど」

「それも考えたさ。しかし『ちょっとざらざら』とは離れるよなぁ」

 響子は紙切れを目の高さまで上げてじっと見つつ、タッパーに手を伸ばす。指に触ったリーフ型のチョコを「注文書」の文と見比べた。

「あぁしかも形が、みいの…」

「そうそれ。多分、猫の眼ってことは楕円形なんだよ」

 ミントティーを一気に飲み干し、匠は汗をかいたグラスで濡れた手をシャツで無造作に拭った。響子もグラスにちょっと口をつけ、髪の毛をくるくる指で弄ぶ。

「んー…絵で描いてもらったら解ったりしないかな? 次に来るときに描いてもらうとか」

 匠もそれは思いついたのだが、タイミングが悪かった。無意識に渋い顔になる。

「次に来るのが、お母さんのほうに頼まれた誕生日ケーキを受け取りに来る日なんだよ。誕生日に欲しいって書いてあるから、やっぱりその日にあげたいじゃないか」

「電話は!? お母さんに電話かけて、写真をメールで送ってもらう」

 匠はふるふると首を振り、響子の持つ紙の裏を指差した。その通りに裏返した響子も、「ああ」と納得する。



 ついしん


 おかあさんをびっくりさせたいので おかあさんにはないしょです。おとうさんはおしゃべりなのでおとうさんにもいわないでください。みわちゃんにはしゃべってもいいです



 何処で「追伸」なんて覚えたのか、注意深そうな字で書いてある。表を書き終えた後に思いついて加えたのだろう。


「みわちゃんの連絡先は流石に知らないよね」

 可愛らしさに笑ってしまうが、これでは全く解決しない。


「何か思いつく気もするんだけどな。市販で売っている菓子なら、絶対何処かで見ていると思うし。それに…」


 楕円形で丸っこくて硬い食感のお菓子。小さくてカラフルで。

 楽しそうな、きっと、子供が喜びそうな可愛い菓子だ。シンプルだけれど雑ではなくて。軽くて、それでいて中身があって、心が踊る。


「まるで響子のピアノみたいだな」


 いつも向かいの家から聞こえてくる、素直な音色。


「そう? でも私もこれ、なんとなーく、こんなイメージかなぁ…」


 そう言って立ち上がると、響子はグランド・ピアノの蓋を開けてフェルトカバーを匠に投げてよこした。椅子の上に積んだ練習用の譜面をそっと床に置き、座って指を鍵盤の上に構える。息を一つ吸って、吐くと同時に白い指先が鍵盤の上を踊りはじめた。


 バレエ《くるみ割り人形》から「金平糖の精の踊り」。舞台上でステップを踏む踊り手のように、響子の手が飛んで跳ねる。ころころと軽くつま弾く音に身体も動く。鼻歌でも歌うかのような微笑みが、煌めく響きと一緒に辺りに溢れそうだ。


 色とりどりに辺りに散らばる音の粒。お菓子のように無邪気で軽く、空気の中に踊る。


 瞬間、匠の目が醒めた。甘過ぎる砂糖菓子を食べた時のように。


 あらかた弾き終わると、響子はくるりと椅子の上で半回転した。

「しゅんたくんの説明を読むと、こんな感じなんだけど…でも金平糖じゃないもんね」

 心なしか頬を上気させて「ねぇ?」と首を傾げる。子供時代から変わらないその問いかけの仕草と謎が解けた喜びに、匠は吹き出した。


「え? なに」

「いや、それが正解」

「うそ、さっき違うって」

 いやいや、と手を左右に振ってみせる。スマートフォンを取り出して、検索サイトにアクセス。響子に画面を向けてやる。

「正解だよ。ドラジェだ」

「ああっ!」


 匠のスマートフォンに映った楕円形のカラフルな砂糖菓子。響子はぱんっと手を打った。日本語では『金平糖の踊り』と呼ばれているが、本来は「ドラジェ」、一般的にはアーモンド菓子だ。

「なるほど、だからみわちゃんか」


 ドラジェは慣習的に結婚式で配られることが多い。きっと参列した時のお土産にもらったのだろう。


「これはとびきりのドラジェ、作ってやらなきゃな」

 すっかり頭も晴れ渡り、鞄から取り出したノートを開いて思いつくままレシピを書き付ける。響子もピアノの椅子から飛び降り、四つん這いで匠の後ろにくっついた。


「うげろっ。なにこれ」


 ノートを読もうとした響子は、匠の肩に顎を乗せたまま蛙みたいな声を出す。


「なにってレシピだよ。材料と作り方と」

「こんなん読めない。しゅんたくんの手紙の方が分かるよ。たくちゃん宇宙人」

「フランス語なだけだろ。地球語だって」

 話しながらも匠の手は、すらすらとノートをフランス語のレシピで埋めていく。

「しょこらしるぶぷれくらいしかわかんない」

「勉強しろ」

「イタリア語とドイツ語なら分かるもん」

 ゴロンと床に寝っ転がり、手近にあったクッションをお腹に乗せて、響子はぐーっと伸びをした。

「あっそだ」

「ん?」


「正解のヒントのご褒美に、たくちゃんのドラジェ、私も欲しい」


 返事代わりに匠は微笑む。なにせ、初めからそのつもりだったから。


 Fin.




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字句の海に沈む 佐倉奈津(蜜柑桜) @Mican-Sakura

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