三人目の男

月浦影ノ介

三人目の男

1980年代後半の話である。


不動産業を営む平田(仮名)という男性の家に、三人組の強盗が押し入り、平田氏を縛り上げ、現金や預金通帳、クレジットカード、ブランドのバッグや腕時計など、金になりそうな物を手当たり次第に奪って逃走するという事件が起きた。

平田氏の妻と息子はたまたま外出中だった。夜遅く帰宅すると荒らされた室内に平田氏が手足をロープで縛られ、猿ぐつわを噛まされた姿で床に転がされているのを発見し、慌てて警察に通報した。平田氏に怪我はなかった。


平田氏は不動産業の他に消費者金融も手掛けていた。当時、日本はバブル期の真っ只中で、事業に成功した平田氏は豪邸を構え、高級車を複数台所有し、夜の街にもしょっちゅう繰り出すなど、傍目にも贅沢な暮らしを送っていた。それを強盗に狙われたのだろう。


三人組の強盗のうち、二人は覆面をしていたため顔は分からなかったが、残りの一人は何故か素顔を晒して平然としていた。

歳は平田氏と同じ五十代前半くらい。長身の痩せぎすな男で、青白い顔に無精髭を生やしていた。

平田氏を押さえ付けロープで縛り上げる覆面二人の背後に立って、ひどく冷ややかな恨みの籠もったような眼差しで、平田氏をじっと見据えているのが不気味であった。

奇妙なことにその男は、覆面の二人が室内を物色している最中にもそれには加わらず、平田氏の傍らに立って、無言のまま何かもの言いたげな表情で、平田氏をただひたすらに見据え続けているのだった。

やがて覆面の二人が、あらかた奪った現金やブランド物などを大きめのスポーツバッグに詰め込んで急いで部屋を出て行くと、その男も彼らに続いてゆっくりと立ち去った。


平田氏はその男にどこか見覚えがあった。

記憶を辿りやがて思い出したのは、遠藤(仮名)という名の一人の男であった。

バブル景気の波に乗れなかったしがない町工場の経営者で、あちこち銀行に融資を断られ、資金繰りに困って平田氏に金を借りに来たのが数年前のことだ。

しかし工場経営は上手く行かず、借りた金も金利が膨らむ一方で、結局は土地・建物の一切を平田氏に奪われる結果になった。

最後に顔を合わせたとき「お前を呪ってやるからな……」と恨みに満ちた表情で言い放った遠藤の姿を、平田氏はよく憶えていた。

ヤクザ紛いの違法スレスレの手段で商売をしていた平田氏にとって、他人の恨みを買うなどは日常茶飯事だった。その分だけ敵も多いが、しかし「呪ってやる」と面と向かって言われたのはそれが初めての経験だったので、なおのこと印象に残っていたのだ。

遠藤にも家族があったはずだが、その後の消息は知らず、別に興味もなかった。


やっと恨みを晴らしに現れたかと思えば、ヤツは端金を奪って満足するケチな強盗に成り下がっていた。生命までをも獲らなかったのはせめて情を掛けたつもりか。平田氏は遠藤に対し、怖れよりもむしろ侮蔑の感情を抱いた。


面も素性も割れたなら犯人逮捕は近いであろう。そう平田氏が予想した通り、それから一ヶ月と経たず犯人らは検挙された。

しかし捕まったのはいずれも犯行時、覆面を被っていた二人の男だけで、肝心の遠藤の姿はどこにもなかった。

それどころか驚くべき事実を、平田氏は警察から聞かされることになる。


遠藤という男は、とっくの昔に死んでいるというのだ。


そんな馬鹿な、と平田氏は呆れた。それならあれは俺の見間違いで、あの男は遠藤とはまったくの別人だったというのか?

しかし恨みを籠めて冷やかに見下ろす眼差しと表情は、紛れもなく遠藤その人だったという確信がある。

さらに驚くべきは、逮捕された二人ともが取り調べに対し、強盗に押し入ったのは自分ら二人だけで、その他には誰もいなかったと証言しているのだ。遠藤という男にも心当たりがない。

そしてそれを裏付けるように、平田氏の家から見付かった強盗のものと思われる靴跡は二人分のみで、そのどちらもが逮捕された二人の靴底と一致した。その他にも犯行と遠藤を結び付ける遺留品などは一切見付からなかった。

つまり三人目の男など、最初から存在しなかったことになるのだ。


まるで狐につままれたようだった。


思い返してみれば覆面の男らは遠藤に対し、一言も口を効かないどころか見向きさえもしなかった。それは彼らの目に遠藤の姿が映っていなかったからではないか?

(馬鹿な、それならあいつは幽霊だっていうのか)

疑り深い性格の平田氏は警察の捜査結果だけでは納得せず、自分で探偵を雇い、改めて遠藤の行方を調べさせた。

しかし調査結果は警察のものとまったく同じであった。


遠藤という男は死んでいる。平田氏に土地や工場、自宅などを抵当に差し押さえられてから約一年後のことだ。

妻子と別れ、警備会社のアルバイトなどで生計を立てていたが、それから間もなく癌が発覚し、やがて一人暮らしのアパートで遺体となって発見された。首吊り自殺であった。

遺体は郷里の兄が引き取った。

平田氏はわざわざ遠藤の故郷である岡山まで訪ね、そこで彼の墓を確認した。遠藤は間違いなく死亡していた。


墓の前にしばらく佇んでいると、ふいにあの恨みの籠もった冷ややかな眼差しが思い出され、すると途端に下腹の辺りに氷の刃を刺し込まれたような気分になった。

背筋が訳もなく震えだし、平田氏は墓に手を合わせることもなく、慌てて逃げるようにその場から立ち去ったのだった。



私はその話を、平田氏の息子だという人物から直接聞いた。五月の連休中の、安い居酒屋でのことだ。

「その後、お父さんはどうされたんですか?」

私の問いに、平田氏の息子は「死んだよ」と短く答えた。強盗事件から数年後のことだそうだ。

商売上のトラブルからヤクザに睨まれ、拉致されて殺された挙げ句、遺体は橋の上から川に投げ落とされた。ちょうど台風による大雨で川は増水しており、遺体は海の近くまで流されたという。

その事件は当時、新聞やテレビでも報道された。それから間もなくバブルが弾け、平田氏の自宅も会社も人手に渡った。

「まぁ、ずいぶん人様から恨みを買っていたからねぇ……。そういう意味じゃ因果応報、自業自得ってやつだろうよ」

平田氏の息子は口の端をわずかに歪めてそう呟くと、残りのビールを一気に飲み干したのだった。


平田氏は死の間際に何を見たのだろうか。彼がそこに遠藤の姿を目にしたかは、誰にも知る由のないことである。


              (了)

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