第2話 子狐
生後十日。
川を覗き込むと、真っ白な毛玉にひっついたつぶらな水色の瞳が、見つめ返してきた。
あ、魚みっけ!
「よっしゃー!」
ばっしゃーん。
飛び込むと、あたりまえだが魚は散りじりになって逃げてしまった。
残念。
ぱしゃぱしゃ泳いでいると、精霊たちが集まってきて、私を陸に引き上げた。
「クウ様、いけません」
「魚はわれらがとりますゆえ」
「自分でとりたいの!」
ぶるる、と体をふるって水気を飛ばす。
魚はまあ、取れなかったけど、楽しかったしいっか。
「クウ様、風邪を召されてしまいます」
「クウ様」
「クウ様〜」
森の精霊たちは私を取り囲み、あたたかな風を起こした。
あっという間に体はかわいていく。
「あったかーい!」
喜んでしっぽを振っていると、精霊たちは得意げに言った。
「クウ様は大切な存在ですゆえ」
「我らがしっかりお世話いたします」
「はいはい。よろしくね」
あ、魚発見。
私はしっぽを振り回して、再び小川に飛び込んだ。
◆
「どらいあど、しっぽがふたつになっちゃった!」
この世界に生まれてどれほどの時間が経ったのかは分からない。
けれどすっかり小さな狐としての生が板についた頃。
ある日、森の中で走り回って遊んでいると、私のしっぽが、なんと二つになってしまった。
ぱっかーん、と割れてしまったのである。
「あらあら、クウ様も成長されたのですね」
ドライアドはいつものように微笑んで、私を抱き上げた。
私を抱く腕は、なんだか少し弱い。
「大丈夫ですよ、クウ様。これはあなたが成長された証です。ほら、見て」
「?」
ドライアドがしっぽを手に取った。
私は振り返って、自分のしっぽを確認する。
「あれ?」
しっぽの先に、なんだかキラキラとした石がひっついていた。
それは今までなかったもので、なぜか二本とものしっぽにひっついている。
一つは私の瞳と同じ空色。もう一つはメロンシャーベッドみたいな色。
しっぽを振ると、ちろりん、と不思議な音がした。
それと同時に、私は淡い光に包まれた。
びっくりして目をつぶってしまう。
「!」
目を開けると、私は人間の子どもになっていた。
白くて長い髪と、ふっくらとした小さな手が目に入る。
「みて、どらいあど! にんげんになっちゃったよ!」
「ふふ。クウ様、人の姿になってもかわいらしいですね」
ドライアドは私の頭に生えた真っ白な耳と、二本のしっぽをみて、笑っていた。後から知ったのだが、これは力をうまくコントロールできない子どもがやってしまう失敗なのだった。
ドライアドは私の頭を優しく撫でて、言った。
「クウ様。あなたが幻獣と呼ばれるのは、その身に神様から頂いた強い力を宿し、森の生命力によって生まれた、特別なお子だからです」
「?」
「あなたはこれから、この地を守らなければなりません。そしてどうか……この地に住む人間たちも、守ってあげて。人と私たちが少しでも仲良くできるように」
「えーやだぁ! くう、にんげんきらいだもん」
私は人間が好きじゃなかった。
あいつら、森の中へ入ってきては、獣たちを殺し、木を斬り倒していく。
私やドライアドが頑張って綺麗にしているこの領域に侵入してくるやつは、みんな嫌いだ。
私は縄張り意識が人一倍強いのである。
「あらあら、困りましたねぇ」
ドライアドはぷくうう、と膨れる私のほっぺをつついて、苦笑した。
「私は、人間も獣も、それぞれの領域で幸せに暮らせればいいと思っているのですけれど……」
「にんげんはひどいことばっかりするもん」
「それじゃあ、クウ様はどうして、この間人間の子を助けていたのですか?」
ギク、とした。
なんで知ってるんだ。
森の中で迷って泣き喚いた人間の子どもがいたから、出口まで案内してあげたのだ。
「……だってうるさかったし」
「あら、そうだったのですか?」
「にんげんなんて、だいっきらい」
関わるとロクなことがないんだから。
そう言ってむくれていると、ドライアドは困ったように笑いながらも、私を優しく撫でて言った。
「いつかきっと、私の言っている意味が分かります。どうか、人間とこの森を守ってください」
人間は嫌いだ。
でもドライアドは好きだったから、仕方なく答えた。
「……わかったよ」
「ありがとうございます、幻獣様」
ドライアドの胸はいつだってやわらかくて、あたたかい。
私はドライアドと森の精霊たちに見守られながら、幸福な幼少期を過ごした。
いつ思い出しても、幼い頃の思い出は美しく、光に満ち溢れていた。
葉っぱからこぼれ落ちる水滴。
今にも飛び立とうとする蝶。
生い茂る葉っぱの隙間を縫うようにして降り注ぐ、光の雨。
そして、大好きな空の青。
私は前世の記憶を持ちながら、新たに『幻獣』として生まれ変わった。
そしておそらく、ここは前にいた世界とは違うのであろう。
けれど私は満足だった。
深い森の奥でひっそりと精霊たちと暮らす日々は、何よりも幸福だ。
成長して、しっぽの数が増えていくにつれ、私は世界のことを、私自身の幻獣としての役割を、理解するようになった。
そして森の奥にあった大木が枯れ、私の母代りであったドライアドが消えてしまったあとも、静かにこの森を守り続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます