エピローグ


 ──よくお聞き。

 この森を焼いて出てた灰を、遠く、幻獣のいる土地へ捨てなさい。

 この土地にはこれから数十年、下手したら数百年、植物が育つことはないでしょう。病を呼び、争いを起こし、この土地は荒れ果てる。

 それでも諦めちゃいけない。

 お前たちが祈り続ければ、いつかまた、新たな大地にも種は芽吹くだろう。

 さあ、いきなさい。


 私は幼い少女の姿になると、村人たちにそう告げて、一定の期間だけ、村に結界を張った。今の私にできるのは、ここまでが限界だ。

 村人たちは、よほど余裕がなかったのだろう。

 私の言葉を信じたか、信じていないのかはわからないが、とりあえずこの場所から離れていくことにしたらしい。

 隣の村の助けをかりて、荷物をまとめる人々を見ながら、私はシリウスの隣でつぶやいた。


「……お前、全部知ってたんでしょう?」


 そう問えば、彼は無感情な顔で前を見たまま、言った。


「何がだ」


「こうなるってことを、よ」


 遥か昔、この地には長い間、瘴気が漂い、人が暮らせるような土地ではなかった。

 けれどこの土地に、ドライアドが森を生み出した。

 ドライアドの生んだ森の木々は瘴気をできる限り吸い、瘴気を浄化していった。

 それでもまだ、人間たちは瘴気に苦しめられていた。

 そこで生まれたのが、私という存在だった。


 ──幻獣は、すべての瘴気を浄化する、世界によって産み落とされた存在だ。


 私は長年この地に留まり続け、瘴気を浄化していた。

 昔、人間たちはそんな私に感謝すると同時に、森を恐れ、深く敬っていた。

 自然と人間が共に在ること。

 それが、うまく成り立っていたのだ。


 けれどここ百年で、人間の文明はすっかり進化した。

 森は切り開かれ、多くの生き物たちが命をなくしていった。


 やめろと警告しても、人間たちは止まらなかった。

 いつしか人は、自分達こそが世界の頂点であると驕るようになっていったのだ。こんな小さな村でさえも。


 バカだなぁと思う。

 自分たちがどれほどこの森に救われてきたのかを忘れ、金儲けのために森をきり開こうとするなんて。


 私がここを出れば。

 森が消えれば。

 当然、瘴気は再び溢れ出してしまうのに。


 この男は、おそらくそれを理解していたのだろう。

 それでも、私をあの森からひきずりだして、森に火を放った。


「なぜ、そのようなことをしたの」


「……人は、痛い目を見なければわからないから」


 シリウスは目を伏せてそう言った。

 それは一体、どういう意味なのだろう?

 この男は、人間側の味方ではなかったのか。


 シリウスという男は、謎が多い。


「お前こそ、なぜ人間を守っていた?」


 今度は逆にそう聞かれた。


「……」


 ──百年たった今でも、前世のことは忘れられない。

 大好きだったマキちゃんのこと。

 捨てられたのに。苦しい死に方をしたのに。

 

 どうしても、どうしても。


 前世のことを忘れられない。


 私は人間を愛することを、やめられない。


「……お前には関係ないわ」


 ふんっと鼻を鳴らして、そう言った。

 シリウスは意外にも、何も言わなかった。


『クウ様、元気だして』


『クウ様のせいじゃない』


 ふと、私の首にぶら下げられた小さな巾着から、声が聞こえてきた。

 私は巾着の口を広げ、その中から、淡く光を発する小さな種を取り出した。

 種から精霊たちの声が聞こえてくる。

 これはドライアドに預かった、大切な種だ。

 次の生命を芽吹かせるため、私はこの種を持って、新たな土地へいかなければならない。

 みんな、ごめんね。

 私は悲しくなって、種を小さな手で包み込んだ。


『もう一度、やり直しましょう』


 それは懐かしい声だった。

 私を育ててくれた、母なる大樹の声。


「うん……うん。わかってるよ」


 私は皆を連れていかなければならない。

 新たな地に種を芽吹かせよう。

 もう一度、最初からやり直すのだ。

 どんなに時間がかかっても。


 村人たちが、どんどん村を去っていく。

 それをしばらく眺めたのち、シリウスは歩き出した。

 黒い衣が風になびく。


「来い、クウ」


 私の意志に反して、体が勝手に動きだす。

 首につけられた首輪のせいで──使い魔の契約のせいで、私はこの男にしばらくの間は逆らえなくなってしまった。

 

 瘴気が村を襲い、私の目の前で少年が倒れた時。

 私は鎖をはずしてもらうことと引き換えに、シリウスに提示された条件を飲んだのだ。


 使い魔になること。


 たった一つのその条件を。

 けれど一番嫌で、苦しくて、絶対に飲みたくなかったその条件を。


 ここの村人たちもバカだなぁと思う。

 けれど一番バカなのは、間違いなく私だ。

 バカな村人を救うために、バカな条件をのんだのだから。


 けれど今、どのみち私には居場所がなくなってしまったのだ。

 しばらくはこの、得体の知れない男と旅をするのもいいかもしれない。

 次の安住地を探し、種を芽吹かせるためにも。


「お前と一緒にこの地を出て行ってはやるが、覚えておけ」


 私は低い声でつぶやいた。


「お前なんか、力が回復すればどうとでもなる。寝首をかかれても知らないわよ」


 シリウスはちら、と私を見て、小さな声でつぶやいた。

 

「……ずっと探していた」


「……は?」


「生まれる前から、ずっと。そんな気がする」


「何、言って……」


 それ以上は答えず、シリウスは歩き、また私もそのあとをついていくことになる。

 けれどその後ろ姿に、ひどい既視感を覚えた。

 一体、こいつは何者なのだろう?

 私はどこかで、この男にあったことがあるのだろうか。


 今の私にはわからない。

 けれどこの森を出て、この男と一緒に行けば、その答えはいつかわかるのかもしれない。


 

 振り返れば、焼け野原が見えた。

 それでも私は旅に出ようと思う。

 たとえ故郷に、二度と戻れなくとも。

 新たな大地に種を芽吹かせるために。


 その日も、空は灰色で、煙るような雨が降っていた。

 これが私とこの男──シリウスとの数奇な運命の始まりだった。

 私たちは様々な土地を旅し、それぞれに事情を抱えた幻獣と、人間に出会うことになる。


「……私の降らせる雨は、もうやんでしまったわね」


 本物の冷たい霧雨の中を、私はシリウスの背を追って、走り出した。


 ◆


 あるところに、人の手が入らぬ、深い深い森があった。

 その森には九尾の狐が住んでいて、百年もの間、雨を降らせているという。

 人間たちが森の実りを手に入れようと足を踏み入れても、その不思議な雨のせいで前に進むことはできず、必ず元の場所へ帰ってきてしまうのだという。

 森の空は泣き止むことを知らない。

 そのせいで森には人が立ち入ることができず、人間は森の資源を手に入れられずにいた。

 人々は九尾を恐れると同時に、敬っていた。

 けれど時が経つにつれ、なぜ九尾の狐を敬っていたのかを、いつしか人間は忘れてしまった。

 

 やがて人間たちは九尾を憎むようになり、森に火を放った。

 すると、たちまちその土地に瘴気が溢れ出し、人間たちを苦しめた。

 九尾の狐は、幻の雨を降らせることで、瘴気から人間たちを守っていたのだ。

 人々は病に倒れ、作物は枯れ、そこは争いの絶えぬ土地となった。

 人々は九尾をこの地から追い出し、森を焼き払ったことを深く後悔した。


 長く人々は瘴気に苦しめられたが、民草の祈りによって罪が許された時、長い長い年月を経て、森は元の姿を取り戻した。

 人々は二度と同じ過ちを繰りかえなさいよう、九尾の伝説を後の世に長々と語り継ついだという。


 ◆


 一日目、夢の箱。


 マキちゃん、大好きだよ。

 離れてしまっても、ずっと、ずっと。

 きっと生まれ変わっても、何度でもまた、私たちは出会う気がするよ。


 END.

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【完結】転生もふもふ九尾、使い魔になる 美雨音ハル @andCHOCOLAT

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