第11話 この身と引き換えに
怪我だらけの体に鞭打って走る。
小屋を飛び出すと、あたりは薄黒い霧に包まれていた。
雨のおかげか、森の炎は消えてしまったらしい。
けれどほとんどの木は燃えつき、灰になっているようだった。
風が森の灰を運んでくる。
それらが人間を苦しめる瘴気の元であると知らずに。
そこは寂れた小さな村だった。
家々の並ぶ道には、大人や子どもが苦しげに呻いている姿が見えた。
「誰か、医者を!」
叫ぶ声が聞こえて来る。
ばか。
これはお医者なんかでどうにかなるようなものではない。
お前たちが森を焼いたせいで、こうなってしまったんだ。
私は苦しむ人々の間を通り抜けて、森へ走った。
首に嵌められた輪から、チリチリと音が鳴っていた。
◆
森は焦げ臭い匂いを発していた。
幼い頃、転げ回った草原も、抱かれるようにして眠った大きな木の根も、何もかもが消えて無くなっていた。
私は走る。
母なる大樹のもとへ。
「ドライアド!」
焼け焦げたその木を見て、私の心はひんやりと冷たくなった。
真っ黒な煤と変わり果ててしまったその木は、かろうじてまだその場に立っていた。私はそこに頭をすりつける。
「ドライアド、ドライアド……どうしよう」
肉球を押し付けて、答えを乞うた。
「どうしたら、みんなを助けられる?」
私は悲しくなって、そんなことをしている場合ではないのに、ぽろぽろと涙を流した。
『やっぱりクウ様は、お優しいですね』
しばらく泣いていると、私を包むように優しく、懐かしい声が木から聞こえてきた。
「ドライアド……」
顔を上げると、儚げな姿をしたドライアドが、私の前に立っていた。
その姿は半分透けていて、もう私は彼女には触れないのだとわかった。
「ドライアド、私、どうすればいい?」
みんな、苦しそうだったよ。
そう問えば、彼女は悲しそうな顔になった。
『……森をこのようにしてしまった以上、この地を去るしか、彼の者たちを救う方法はありません。あなたの力も、今はないでしょうから』
「……」
『再びあの地に村を築きたいのなら、何年かかっても、この森の灰をよその幻獣がいる地へ捨て、浄化していただきなさい。そしてあなたはもう、ここにいてはいけない』
私は悲しくなって、目を伏せた。
やはりこの地をさるしか、もう方法は残っていなかったのだ。
『クウ様』
ドライアドは苦笑するような、悲しそうな声音でいった。
『やっぱりあなたは、人間を嫌いにはなれないのですね』
「……」
私は何も答えられなかった。
◆
前世、私が覚えている最初の記憶は、ガラスケースの向こうにたくさん人間がいる光景だった。
それ以前は母親と兄弟たちと一緒にいたような気もするが、早いうちに一人引き離され『ペットショップ』という場所で暮らしていた。
一緒にゲージに入れられていた他の子犬はさっさと売れちゃって、なぜか私だけが売れ残っていた。
私は柴犬という犬種だったのだが、『売れ残り』と呼ばれていた。
他にも売れ残りの犬がいたけれど、彼らは知らないうちにどこかへ消えていた。私はなんだか嫌な予感がしていた。
ずうっと、このままここにいることはできない。
売れ残ってしまえば、何か悪いことがあるのではないかと。
けれどそんな私を迎えに来てくれたのが、マキちゃんだった。
「ママ、この子にする!」
そう言って手を差し伸べてくれたのは、六歳の、小さな女の子だった。
「ええ? ちょっと大きいんじゃないかしら……。顔もあんまり可愛くないし」
「やだ! マキ、この子がいいもん!」
「そう? まあ、いいか」
こうして、私はマキちゃんの家に引き取られることになった。
マキちゃんの家で過ごす日々は、幸福だった。
人間と一緒に暮らすこと。
それはあったかくて、優しくて、とても幸せなことだ。
毎日ごはんをもらって、お昼寝して、お散歩。
マキちゃんは毎日私をかわいがってくれた。
「あのね、今日は空っていう漢字を習ったの。空って、クウって読むんだって」
マキちゃんが私を引き取ってくれた日は、空がとても青くて、綺麗な日だった。
「それにマキ、クウっていうジュース大好きなの。だから君の名前は『クウ』だよ!」
私を抱っこして、マキちゃんはそういった。
私は名前をつけてもらえたことが嬉しくて、ずっとしっぽを振っていたことを今でも覚えている。
でも、十五歳を過ぎて、足腰が弱くなり、自分で排泄ができなくなった頃、私はマキちゃんの家族に捨てられた。
「犬にも介護があるなんて、知らなかったのよ」
「お前も仕事があるしなぁ。マキも就職だし」
マキちゃんが、友達と旅行に行っていた時のことだ。
ある晩、お父さんの車に乗せられて、私は山の中に一人で降ろされた。
「ごめんな。マキにはうまくいっとくから。元気でな」
そういって、車は眩しい光を放って、去っていった。
車を追いかけていって、ずっとウロウロしてたら、よく分からない人たちに捕まって。
そして『保健所』と呼ばれる施設に連れて行かれた。
私はそこで七日間、マキちゃんのことを待っていた。
絶対迎えに来るって思っていた。
でも、マキちゃんは来てくれなかった。
私はとても苦しい死に方をした。
小さな部屋に数匹の仲間たちと押し込められ、息ができなくなって、死んだ。
それから生まれ変わって、ドライアドや、森の精霊たちに出会った。
彼女は私の悲しみを、まるで母親のように癒してくれた大切な人だった。
前世の記憶があるせいで、私の中の何かはきっと、歪んでしまった。
けれどそれ以上の歪んだ存在にならなかったのは、彼女のおかげだろう。
だから私は人間なんか大っ嫌い。
いつもいつもそうだ。
あいつら、自分たちのわがままで私たちをひどい目にあわせるから。
私たちが何かした?
森を守って、自分たちの住処でおとなしくしているだけなのに。
ただ放っておいて欲しい。
なのに、なんで、なんで。
なんで私は、こんなに人間のことが気になって仕方ないのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます