第10話 瘴気


「おかしいんだ。黒い靄が……!」


 外が騒がしくて、目が覚めた。

 ……なんだ、殺すって言ったから、殺されると思ったのに。

 全然まだ生きてる。

 それどころか、時間を置いたおかげで体もだいぶマシになってるわよ。


 少し楽になったからだを起こせば、外ではドタバタと人々が走り回っているようだった。

 空は曇っている。

 雨は降り止んだようだが、いい天気とは言えなかった。


「おい、誰か来てくれ! 妻がおかしいんだ!」


「うちの子が、うちの子が……!」


 ぼやっとしていた意識が、それらの声で覚醒した。


「おい、灰を吸うな! 森の灰を、吸うな!」


 私は慌てて飛び起きると、そう叫んだ。

 本当ならここを出て行きたかったが、拘束具のせいでそうもいかない。

 がしゃがしゃと鎖が揺れ、暴れるたびに拘束がきつくなっていった。

 外で何が起こっているのかは、だいたい想像がついた。


 ──この土地は、ひどい瘴気を生み出す。


「ちくしょう、はずれないわ、なんなのよこれ!」


 せいいっぱいもがいてみても、ダメだった。

 その間にもあちこちから悲鳴が聞こえて来る。

 くそう、と顔を歪めていると、ふと、小屋の入り口に誰かが立った。

 小さな男の子だった。

 ひどく見覚えがある──。


「あんた、一体……」


 男の子はふらふらと私の元へよってくると、鎖を繋いでいた楔を引っこ抜こうとし始めた。


「ちょ、ちょっとなんなのよアンタ!」


 焦って声を荒げれば、男の子はぼんやりと顔を上げた。

 瘴気に体を侵されているのか、びっしりと冷や汗をかいている。

 ふと、どこかで見たことのある顔だと思った。


「……ひいじいちゃんが言ってたんだ、森は九尾の狐様が守っているって」


「……?」


「昔、助けてもらったからって……」


 私ははっと思い出した。

 百年前、私は幼い少年を森で助けたことがある。

 助けたというか、邪魔だったから森から追い出しただけだけれど。

 もしかして、この子供は、その子孫なのだろうか。


「狐様……まもらなきゃ……」


 子どもはぐらりと傾くと、地面に倒れ伏した。


「ちょ、ちょっと! ばかっ! 今すぐここを離れなさい!」


「きつね、さ、ま……」


 少年は鎖から手を離さそうとしなかった。

 私は焦って、暴れまくった。

 この鎖が、私から全ての力を奪い去っている。

 この鎖さえなければ、この少年くらいなら救うことができるのに。


「この……っ」


 必死で暴れまわっていると、小屋に再び人影が現れた。

 シリウスだった。


「ねえ、この鎖を外して!」


「……」


 シリウスは私のそばに倒れている少年を、なんの感情もなく見つめていた。


「早くしないと……!」


「早くしないと、なんだ?」


 なんだって……。

 私は口をつぐんだ。


 人間なんて大っ嫌い。

 私の森を焼いて、こんな風に見世物にして。


 だけど、だけど……。


「みんな、このままじゃ、死んじゃう」


 気がつくと、私は震える声でそう言っていた。

 

「お願い、早くといて……」


 そしてそう懇願していた。

 すると、男は初めて、ふ、と笑った。



「それならば、交換条件だ」



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