第8話 愚かな女


「まあ、本当だったのね、幻獣が見られるというのは!」


 その場違いな女が現れたのは、私がここへ囚われて三日ほどがたったときだった。


 怪我の具合はずいぶんよくなったが、相変わらず体は重く、動くことができない。多分、この拘束具に何か呪いのようなものがほどこしてあるのだろう。


 あの男はどこまでも私を苛立たせてくれる。

 あの男といえば、ときたま小屋を出て行くものの、ほとんどの時間を私のそばで過ごしていた。

 ただぼんやりと。


「これが幻獣……美しいわ。しっぽに宝石がついているわね?」


 その女は、十代後半くらいだったろうか。

 デコルテの大きく開いたドレスに、小さな日傘を持って、小屋の入り口からこちらを覗いていた。

 お付きの人が、そんな彼女を危ないから下がるようにと窘めている。


「大丈夫よ。わたくし、動物には好かれる自身があるの。とくにこのような赤子にはね」


 女はそう言うと、日傘をお付きのものに渡して、静かにこちらに近づいてきた。

 シリウスはそれを止めずに、じっと見つめていた。

 女はすぐそばまで来て、しゃがみこんだ。


「なんと愛らしいのでしょう。それなのにこんな待遇じゃ、かわいそうだわ」


 女は心底私を哀れむような目で見た。


「わたくしが、あなたをお家に連れて帰りましょう」


 ……。


「お父様、飼ってもいいでしょう?」


 女が振り返ると、やたらと恰幅のいいオヤジが、小屋に入ってきて私を覗き込んだ。


「なんだ、美しい女の姿をしていると聞いていたが、違うのか?」


 絡みつくような視線を向けられる。


「どのみち、このように弱った幻獣は貴重だ。我々(にんげん)の手で保護しなければな」


「やったわ! おうちに連れて帰っていいのね?」


「ああ」


 女はきゃっきゃとはしゃぐと、私に手を伸ばしてきた。


「あなたも森で暮らすより、うちに来た方が幸せよ。私の家には、なんだってあるから」


「……」


「あ〜もふもふさせてくださいませ」


 ──気色の悪い女だな。


 私は残った力を顎(あぎと)に集めて、思いっきり噛み付いた。


 ブチブチブチ!


 と筋繊維の引き裂かれる音が脳内に響いた。


「ひぎゃぁああっ!?」


 ぺっ。

 まんずい血。


「ひっ」


「人間。これ以上私を失望させてくれるな」


 血が吹き出す。

 みるみるうちに、その美しい顔は恐怖に染まった。


 親指と人差し指の間の水かきを噛みちぎってやった。

 女は悲鳴をあげ、周りにいた人たちからは怒号が上がった。


「おい、何をぼやっとしている! 早く手当をしろ!」


「お父様、指が、わたくしの指がぁっ!」


 慌てている人間たちを見て、私は鼻で笑った。


「このくらいで喚くなよ。これからはもっと、この土地でひどいことが起こるんだから」


「こんのっ!」


 びっくりした。

 女は顔を歪めて、ハイヒールで私の体を踏みにじったのだ。

 めちゃくちゃに蹴られて、死ぬんじゃないかと思った。

 サイコパスすぎん? こいつ。

 女は私の体の上で暴れ、周りは唖然としたようにそれを見ていた。

 その状況を止めたのは、意外にもシリウスだった。


「お前は……」


「俺が管轄している幻獣に、勝手なことはやめろ」


「管轄?」


 ハゲ親父はハッとしたような顔で、シリウスを見た。


「まさか、お前……幻獣管理局のものか」


 シリウスは肯定も否定もしなかった。

 瞼を伏せて、暴れる女の腕を掴むだけだ。


「嘘だ。俺が依頼したのは、もぐりの狩人だぞ!」


 何も答えないシリウスを見て、ハゲ親父ははっとした。


「まさかお前……シリウス・レイ執行官か」


「……」


「そうだ、その黒髪と黒目に、人形のような生白い顔」


 途端に、ハゲ親父の顔にみるみる嫌悪が浮かんで行った。


「はっ。触るな、汚れがうつる」


 なぜそのような態度をとるのかわからないが、どうやらシリウスは嫌われているようだった。


「チッ。もぐりの幻獣対策家へ依頼したつもりが、とんだ貧乏くじをひいたもんだ。さっさと出て行け。この、呪われた血め」


 そう捨て台詞を残すと、ハゲ男は痛みに暴れる娘を連れて、小屋を出て行った。

 小屋の中は静かになる。

 私は全身を襲い来る痛みに耐えながら、喘ぐように言った。


「あんた……そんなこというなら、さっさと止めなさい、よ」


「……」


「わざと、やってたんでしょ」


 シリウスは何も言わなかった。

 クソ性格の悪いやつだな、本当に。

 口からドロドロと血が出た。

 もともとこのクソ野郎に切られて腹を怪我していたのに、余計にひどくなってしまったんじゃないの。


 ああもう、最悪。 

 幻獣って、心臓を壊さない限り死なないんだから、こんななぶるようなことしなくてもいいなんじゃないのよ。


 シリウスは私のそばにかがんで、その様子をじっと見る。

 相変わらず人形のように表情のない男だ。

 さっきのハゲ男の話は……一体なんだったのだろうか。

 呪われてるって言ってたっけ。


 あー、マジで死にそう。

 私の周りには血が広がっていた。

 まぶたが腫れ上がって、何も見えない。

 ひゅうひゅう鳴っているのは、私の呼吸音か。


「もう一度、お前に問う」


「……」


「俺の使い魔になるか、ならないか」


 また言ってる。

 頭おかしいんじゃないの、こいつ。


「ならないのなら、ここで死んでもらう。あの領主に殺されたことにしておこう」


「……」


 それでも、いい。

 もう一度主人を持つくらいなら。


「この、ば、か……だれが、おまえなんか……」


 視界がぐにゃりと歪んだ。

 一気に意識が薄れていく。

 あーあ、せっかくレアキャラに転生したのに、また死ぬなんて嫌だな……。

 次はどんなに生き物に生まれ変わるんだろう。

 できれば人間なんてよしてほしいところだわ。

 もう、たくさんよ。

 鳥なんかに生まれ変わったら、大好きな空をずっと見ていられるのかな。


 そんなことを考えていると、じわりと瞳が熱くなった。

 外はどうやら、大雨が降り始めたようだった。

 そのうち煙たい匂いはしなくなって、ただ土の濃い匂いと、水の匂いがしてくる。

 この雨で森の炎が落ち着いてくれたらいいんだけど……。

 そんなことを思っているうちに、私の意識はすうっと薄れていった。

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