第1話 私爆誕

 誰かに呼ばれたような気がして、私は深い眠りから目覚めた。

 ゆっくりとまぶたを持ち上げると、見たことのない景色が目に映る。

 薄暗い空間の中、私はどうやら、フカフカした木の葉の中でうずくまっていたようだった。

 顔を上げれば、目の前に、明るい光が溢れる丸い穴がある。


「……?」


 あれ? なんだここ。

 湿った空気に、鼻がひくひくとなる。

 私は四本の足で立ち上がると……。


 ……?


 ……立ちあが……る……んんん?


 下を向くと、真っ白でもっふもふの前足が映った。

 おいおい。

 待って待って。

 私って、こんな体だったっけ?

 いいや、絶対違うよ。

 私、こんなんじゃないよ。


 自分が、見たこともない獣の体になっているのが視界に入り、混乱した。

 まるで自分が自分じゃないみたい。

 声もうまく出せないし、体も重いし。

 一体何が起こっているのだろうか。


「……」


 ずっとここにいても暗くて状況が掴めないし、移動するしかない。

 あの明るい穴の方へ行こう。

 外に出れば、何かわかるかもしれないから。


 よし、しゃーない。

 歩いてやろうじゃないか。


「〜っ」


 私は重い体を引きずるようにして、光の方へふらふらと歩き出した。

 なんとか穴の縁に前足をかけ、外に顔を出す。


「!」


 眩しさに目が眩んで、そのまま外へ転げ落ちた。

 ごちん! と地に頭をぶつける。


「……っ」


 いてて。

 なんなんだ、ここは。

 顔をしかめつつ、あたりを見まわす。


「!」


 突然目の前に映った光景に、私は息が詰まりそうになった。


 緑、緑、一面緑。


 どうやらここは、森のようだった。


 葉っぱが空を隠すように生い茂り、隙間からこぼれ落ちた黄金の光が、雨のように地に降り注いでいる。

 堂々とした木々は太い根を張り、川のそばの大きな岩には、淡く輝く苔がむしていた。


 植物たちは生命を謳歌するように空へとせいいっぱい顔を伸ばし、土の中では多くの命が蠢いている音がする。

 胸に満ちる空気は水気を帯びていて、清らかで、少し甘かった。


 振り返れば、私がいたのであろう、大きな木のうろが見えた。

 どうやら私は、あの中で眠っていたらしい。


 ……ここは、どこ?


 私、こんなところ、一度も来たことがないよ。


「あらあら、もうお目覚めになられたのですね。元気だこと」


「?」


 固まっていると、すぐそばで優しい声がした。

 声の方を見れば、一人の美しい女が、こちらに近づいてくるところだった。

 透き通るような緑色の長い髪と、同色の瞳。

 体は華奢で、真っ白いワンピースのようなものを着ている。


「よくぞお生まれになられました、幻獣様。我らが森へその姿を顕現させてくださったこと、心より感謝申し上げます」


 げんじゅーさまってなんだ。

 なんで感謝されてんだ私?

 よくわからなくて声を上げる。


「くぅん……」


 声……声?


「くう……」


 んん?

 あるれえええ?

 なんだこのプリチーな声は。

 女性は微笑むと、私を抱き上げ、その腕に収めた。

 頭をぽふりとなでられ、自然としっぽがぶんぶん揺れた。

 それにしてもおっぱい大きな、この人。


 ……ああ、あったかい。


 木のいい匂いがする。


「幻獣様は、とても美しい白狐の姿をされているのですね」


「……?」


 しろぎつね?


 白い狐ってこと?

 私はなんのこっちゃいと、自分の体を見る。


 真っ白な毛に覆われた胴体。

 まるっこくて華奢な足。

 もっふもふのしっぽ。


 ……。

 …………。

 ………………。


 あれ!? 私、狐になってる!?

 

 ◆

 

 

 前世、私は地球という星の日本という国で暮らす、普通の女の子だった。

 お父さん、お母さん、マキちゃん、私の、四人家族だ。

 正直、死んだときのことは苦しすぎて、あまり思い出したくない。

 いい死に方じゃなかったと思う。

 でも、確かに死んだはずなのだ。あの状態で生きられるわけがなかったのだから。

 それなのに……それなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。


『幻獣様、幻獣様』


 森の精霊が、木の実や、魚や、綺麗な石などを持って、私の周りを飛び回っていた。

 私はドライアド──あの、緑色の髪をした女性の名前だ──の横にちょこんと座り、それを見ていた。

 ここは、あの巨大な木のうろの中だ。

 私が目を覚ましてからもう三日が経つ。

 このうろを部屋がわりにして、私はドライアドと一緒に生活していた。


『幻獣様、どうぞ』


 ぶーん、と飛び回っていた精霊たち(ドライアドが精霊だって、教えてくれた)が私の前に、次々と木の実などを置いていく。彼らは小さな人間に羽が生えたような美しい姿をしている。羽の色が違うから、すごくキラキラして綺麗だ。

 どこから持ってきたのかはしれないが、つやつやとした美味しそうな木の実を見て、ぐう、と腹が鳴った。


 私は『幻獣様』と呼ばれていた。その意味はよく分からない。

 けれど私は、何か他とは違う、特別な生き物のようだった。

 本来なら、私は何をたべずとも生きていられる生物らしいのだが、前世の記憶のせいか、美味しそうなものを見ると腹が減る……ような気がする。


「どらいあど、これ、たべていい?」


 ぽん、と可愛らしい、舌ったらずな女の子の声が飛び出した。

 小さいときのマキちゃんの声に似ているような気もする。

 でも、これはれっきとした私の声だ。

 私はどうやら、言葉を話せる狐のようなのだ。


「はい、大丈夫ですよ。喉に詰めないようにゆっくり食べてくださいね」


 隣で編み物をしていたドライアドは、にっこり笑って頷いた。

 私は目の前にあった木の実をくわえて、奥歯ではぐはぐと噛む。

 うん、おいしい。

 私がしっぽを振るうと、精霊たちも喜んでいるようだった。

 健気なやつらだなぁ。

 よしよし、この木の実も魚も全部食べちゃう。

 機嫌よく魚の頭に噛み付いている途中で、ものすごい眠気がやってきた。私はまだ赤ちゃんらしく、突然電池が切れたように、うごかなくなってしまうのだ。


「あらあら」


 魚を咥えたままウトウトしていると、ドライアドが私の口から魚を引っこ抜いた。


「おねんねしましょうか、幻獣様」


「……ん」


 私はいそいそと、ドライアドに頭を擦り付けた。 


「どらいあど、だっこして」


「はい、幻獣様」


「なでなでも」


「もちろんです、幻獣様」


 やわらかなドライアドの胸に埋もれるようにして抱かれると、すぐにまぶたが重くなった。

 おまけにドライアドが優しく撫でてくれるものだから、意識はすっと遠くなっていく。

 眠っているのか、起きているのか。

 そんな微妙な意識の中、ドライアドが私に静かに聞いた。


「幻獣様、あなたはお名前がありますね?」


「……おなまえ?」


「あなたの名前を、私に教えてくれませんか」


「……」


「あなたがとても大切にされている、魂に刻み込まれた、その名前を」


 ──私の名前。


 ちょっとだけ、考えた。

 でも、幻獣様って呼ばれ続けるのも、大変だなぁと思ったから、教えた。


「くう。くうっていうの」


「……クウ様。綺麗なお名前ですね。教えてくださってありがとうございます」


「うん」


 私はこんな穏やかな日々を何日も何日も過ごした。

 毎日目が覚めては、これが夢じゃないことを確認する。

 お腹が減って、眠くなって。それから誰か、人の手に触れると安心する。


 真っ白でふわんふわんの頼りげない生き物にはなってしまったけれど、それは以前までと全く同じで。

 私はどうやら、前世の記憶を持ったまま、新たな生を受けてしまったようだった。


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