第16話 未来も縛り付けておきたい――柳
「昨日、一緒に帰ってったのって弟だよね?」
聞くのは勇気が必要だった。猜疑心で何かを尋ねるのは気分のいいものじゃない。
ツバキはこくん、と頷いた。
今日は耳の両脇の毛を緩く編んで後ろに回し、後ろ髪はそのまま垂らしていた。また暑そうな髪型だ、と思った。
「うちの弟、見たことあるでしょ? 2年の図書委員の」
「……ああ、そうだな。ツバキにそっくりなヤツ。そう言えば、そうだ」
あれが、あの弟だったのか。
そいつは図書委員会に来るといつも値踏みをするようにオレをじっと見ていた。目が合うと、柔和な人の良さそうな顔をして会釈してきたりしたけれど、あれがツバキの弟だったわけだ。
なるほど、オレがどんな男なのか気になったに違いない。
「弟が角のミニストップにアイスを買いに来てたんだって。わたしが好きなの、アイス」
「甲斐甲斐しい弟だな」
「そうなの、姉思いなの」
予備校近くのサーティワンでツバキはストロベリーチーズケーキを食べていた。授業の後は喉が渇く、と言っていたのに、また喉が乾きそうな甘いものを食べている。おごると言ったのは自分なんだから、好きな物を食べさせてやるべきなんだけど。
「ねえ、その抹茶、一口ちょうだい」
「いいよ」
ありがとう、と言ってピンクのスプーンでごっそり抹茶を持って行った。いっそダブルなりトルプルなり、好きなだけ食べれば良かったのにと思う。するとツバキは、
「甘いのってほんとは苦手なの」
と小さな声で言った。じゃあどうして、と聞くと恥ずかしそうに、女の子らしいかなと思って、と答えた。
そういうちらりと覗くツバキの「女の子らしい」ところに、いつもヤラレてしまう。
サーティワンを出ると街にはまだ熱気がもうもうと残っていて、ツバキを守らなくちゃいけないという気が強くなる。
昨日のツバキを思い出す。ツバキだっていつも強そうにしてるけど、女の子なんだ。オレが一番近くにいるんだから、彼女を守るのは自分の役目だ。
「体、だるくないか?」
「うん、冷え冷え」
額に手をやると、特に火照っているといった感じではなかった。大人しく日傘をさして歩いている。
「ツバキ、日傘やめろよ」
「気に入ってんだけど。わたし、けっこう似合わない?」
「似合ってる。でもアスファルトからの熱を反射して熱中症には良くないらしいから。日焼け止め塗って、帽子でも被れよ」
「日焼け止め、嫌い」
「日傘だと手も上手く繋げない」
……わかった、としおらしく彼女は言った。何だか雑踏の中でいつもより小さく見えた。
ツバキとは高校3年間、同じクラスになったことはない。ただ、二人とも奇遇なことに3年とも図書委員だった。変わり者同士だったのかもしれない。図書委員会には毎回クラス代表で出ていて、そこで顔と名前を覚えた。
――
人を見た目で判断するなとはよく言ったものの、ツバキの容姿はずば抜けて人の目を引くものだった。
小さくて細い顎。丸い頭。糸のように細くて真っ直ぐに伸びた、背中まである黒髪。真っ白な透き通る肌に切れ長の目。それを縁どる長いまつ毛と、濡れた紅い唇。
どう見ても特別製だった。
キレイな子だな、と最初は思った。でも、整い過ぎてて何だか遠く感じた。
それまで大人しく席に着いていたツバキが変わったのは、2年生になってからだ。オレもまた図書委員になったわけだけど、男たちを超えてカリスマを発揮したツバキが周りをまとめて指揮し始めた。
惚れた。
容姿がどうのではなく、美しかった。キレイな女に罵られるのはそれほど嫌なことではなかった。
ツバキはオレをどう思っていたのか?
玉砕したヤツがたくさんいると聞いていたけど思い切って「付き合ってほしい」と伝えた。戸締りをする前の図書室だった。ツバキは1枚1枚のサッシに鍵をかけていた。オレの声に振り向くと、ツバキは何事でもないかのように、「いいわよ」と言った。
わからなかった。選ばれたのか、元から少しは気持ちを寄せてくれてたのか。
ただツバキの出した条件は一つあって、周囲には付き合っていることを教えないこと、だった。男たちにモテるツバキには、ややこしいことをそれ以上増やしたくないのかもしれなかったし、ただ恥ずかしかったのかもしれない。案外そういうヤツだ。
結果、どういうわけかツバキがオレに片思いしているというデマが飛び交って、誰もツバキに手を出そうとしなくなった。オレは代わりに不特定多数の男を敵に回した。
付き合い始めてからはトントンとスムーズに交際は進んで、体の関係を持つようになった。支配的な彼女の性欲に、オレは振り回された。いつの間にか他の男以上にツバキを独占したいという気持ちに満たされたつまらない男に堕ちていって、ツバキの未来も縛り付けておきたくなった。
そう、その結果が今だ。
正直、浪人する確率の方がずっと高い気がしている。気を利かせたツバキが夏期講習のノートを貸してくれて、そのマメなノート作りを見てまた自信を失くす。
周りから見たら、オレはあのツバキが認めた男だった。でもいつだってすごいのはツバキで、オレじゃなかったんだ。
「何つまんない顔してんのよ。一緒に歩きたかったんでしょ?」
ああ、そうだ。
とにかく彼女は今、オレの一番近くにいる。
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