第14話 姉でも、姉じゃなくても――カエデ
何なんだよ、あの女。
ピンポンダッシュどころかピンポン連打かよ。隣近所に苦情言われたらどうすんだよ。アイツ、病んでんの?
ヤバい、まじでちょっと怖かった……。
毎日アレやられたら、こっちが病む。
気を取り直して出かける準備をする。そうだ、ツバキが帰る前にアイスを買ってやろうと思ってたんだ。そう、クーリッシュのカルピス味。昨日、キスした時の……。
そっと、唇に手をやる。
同じ遺伝子からできてて、こんなに似てるって言われるのに、全然感触が違う。まだ覚えてるって言いたいところだけど、覚えてるのは柔らかかったことだけで。後で記憶を補完しなくちゃいけない。
履き古したコンバースのローカットを素足に履く。コンビニまでは角を曲がってすぐだ。
角を曲がると大通りに出る。大通りはコンビニが乱立していて、うちから一番近いミニストップは店舗が小さい。置いてあるアイスの種類も当然少ない。そうでなければ店中がアイス売り場になるからだ。
ガラス製のスライドドアの前に立つと、軽やかな音が来客を知らせた。いらっしゃいませ、と店員が業務的な笑顔を僕に見せて僕は入口の隣に置かれた冷凍庫でアイスを見比べる。
クーリッシュ……あった。これを二つと、あと、ミニストップのフローズンヨーグルト。ツバキはさっぱりしたこのアイスが好きだったはずだ。これも二個買おうと思って何気なく顔を……。
……。
なんで?
予備校だって言ってたじゃないか?
でも、今朝だってトートバッグにテキストを詰めて日傘を持って。そう、あの紺色の地に白い縁取りのある日傘は間違いなくツバキだ。ふられたはずの男と、あんなに親しげに話すか? あの距離、おかしいだろう? 傘もさしてるのに。
動揺してアイスを4つ持ってた腕が凍りつきそうになっていた。冷凍庫のスライドさせるガラス戸を開け放したままだったことを思い出してあわてて閉める。急いで、会計をする。
どうする?
店を出てどうする?
何食わぬ顔で二人の間に入ろうか? それでツバキを連れて帰ってしまおうか?
それともこのまま成り行きを後ろから見ていようか? 二人がどうしてここまで一緒に歩いてきたのか、何かわかるかもしれない。日傘で隠れたツバキの顔は、実は迷惑そうなのかもしれない。
ツバキの傘が時折、ゆらりと揺れて、先輩の顔を見上げているのがわかる。背の高い先輩が斜め下を向いてツバキを見る時、やさしい目をしているのがわかる。
あれはダメだ。あれは恋してる目だ。
二人は破局したんじゃなかったのか? 上手くいくとみんなが思っていたツバキの恋は片思いのまま玉砕したんじゃなかったのか? だからツバキに付け入る隙を手に入れたんじゃなかったのか?
……後ろで見ているだけじゃ何もかも憶測でしかなかった。だけど何故か足が速く動かない。二人を追い抜いて、先輩の胸ぐらを掴んでやることだってできるはずなのに。
うちに向かう角まで二人は来て、そしてツバキは先輩を真正面から見た。先輩はツバキの目を見て、そして、ごく親密な態度で二人は別れた。先輩は僕には気がつかず、道を折り返して行った。
「ツバキ」
傘がくるりと振り返って、やっぱり僕のよく知る顔が現れる。はっとした顔をしているのはたぶん、僕が思わぬ所で現れたせいだろう。
「カエデ、出かけてたの?」
「うん、ほら、アイス……」
僕は手にぶらさげたコンビニの小さいビニール袋を持ち上げてみせた。
「ああ……。一緒に買いに行こうって昨日言ってたのに」
ツバキは僕のそばまで来るとピタリと寄り添って、僕も傘に入れてくれる。ほら、僕は特別なんだ。
「あんたさ、すぐ日焼けして真っ赤になるんだから気をつけないと」
「ツバキだって同じだろ?」
「だから、わたしは日傘さしてるし。……早く帰らないとアイス、溶けちゃうね」
そうだね、と答えながらそっと手を繋ぐ。ご近所さんから見たら、さぞかし仲のいい姉弟に見えることだろう。
1本の日傘に一緒に入って、手を繋ぎながら歩いている……。それはほんのちょっとの距離で、本当は日傘をさすほどでもなかった。
家に帰るとツバキは先にサンダルを脱いで上がり、僕はコンバースを脱ぐ前にツバキに声をかけた。
ツバキは思わぬところで呼び止められて驚き、その振り向きざまを捕まえる。
「カエデ?」
「ツバキ、日向の匂い」
「やだ、汗臭い?」
「ううん、僕はツバキの匂いが好きなんだよ」
髪からはまだ甘い整髪料の匂いが漂っていた。その長い髪を肩の後ろにかけるように
「キスしていい?」
「カエデ、わたし一応……」
答えなんか元からさらさら聞くつもりもなかった。ツバキだって形式的に自分を姉だなんて言わなくても別にいいのに、と思った。
ツバキが姉でも、姉じゃなくても何も問題なかった。
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