第8話 戸惑いの先にあるもの
朔也がまず相談を持ちかけたのは、
葵は
とはいえ、眼前で頭を抱える彼女を見て、朔也は居心地の悪さを覚えている。
「氷上くんが私に相談って、一体なにかと思えば……」
「他に相手が居なくてな」
「そりゃそうだ。ジンには言いにくいわ、これ」
食堂の片隅。周囲のざわめきに紛らわせるように告げた内容に、仁美は苦笑で返す。
「まず聞きたいんだけど、氷上くんはどうしたいわけ?」
「どう、というと……」
「相手が自分だって葵ちゃんに言って、これまで通り、チャットで話がしたいのか、正体が判明した以上、ネット上のお友達はやめるつもりなのか」
「やめたくは、ないな」
「じゃあ、直接話す? それで満足?」
「……怒ってるのか?」
「はっきりさせときたいだけよ」
そう言って仁美は、水をぐびりと飲む。睨むようなまなざしで、朔也を見つめ、口を開いた。
「氷上くんに春が来たから、全力で応援するとかなんとか、ジンが勝手に暴走してるだけかと思ってたけど、どうなの?」
「言わないと駄目か?」
「当たり前でしょ」
仁美の言いたいことは、よくわかる。朔也とて、立場が変われば、同じことを訊くだろう。
二十歳の女の子と、三十歳の男。
日常生活で出会ったわけではなく、ネットを介してとなれば、おそらく全員が「やめとけ」と言うだろう。勿論、女の子側に対して。
「――別にさ、今すぐ、どうこうしたいってわけじゃないんだ」
一足飛びに関係を進めたいなどとは思っていない。気づいてしまったからには、そのままにしておくのはどうかと思うだけだ。こちらが一方的に相手を知っている状態は、それこそストーカーまっしぐらである。
朔也は、満月を望月葵と認識して話がしたいし、葵にも、新月が氷上朔也であることを知ったうえで接して欲しいと思う。
ささやかで、ちっぽけな願いだ。
だが仁美は、そこを敢えて踏み込んで、朔也に問うた。
「好きなの?」
「――ド直球だよな、坪内さん」
「だって、結局そこでしょ? まどろっこしいの嫌なのよ、私」
さあ、どうなんだと威圧する仁美に、朔也は観念したように、吐息と共に本音を漏らした。
「……たぶん」
「たぶん!?」
「怒るなよ、恐いな」
「怒るでしょーが」
「訊くけど、これで俺が好きだって断言したら、そっちの方が恐くないか? 自分でもどうかと思う」
「そりゃーまあ、今の状態は、言ってみれば、幻に恋をしているというか、幻想に幻想を抱いているようなもんだしねぇ」
「だろ? 俺としてはさ、見極めたいんだよ。好きだと思っている相手は、自分の中で勝手に作り上げた理想の人物なのか、あの子本人なのか」
交わした会話は本当で、打ち込んだ言葉も本物だ。多少、着飾った部分は否めないが、そこは年上としての見栄や、相手によく思われたいという気持ちの表れで、騙す類の嘘ではないと断言できる。
夜毎、交わされる会話から透けて見える「満月」という女性は、どこか自信がなさげで、孤独で。そんな己を恥じて、常に前向きになろうと空元気を振りかざしているようなところがあった。それと同時に、無邪気で素直な一面もあり、色々な彼女を知りたいと思うし、もっともっとと焦がれる自分が時折恐ろしくもなるのだ。
「……あーもう、わかった。いいよ、了解、納得」
「なんだよ、急に」
「そんな顔されたら、反対できないじゃないの」
「そんなに変な顔してたか?」
「いい意味だから安心して。もうひとつついでに、いいこと教えてあげるよ」
「なんか、恐いな……」
「葵ちゃんさ、お友達が出来たって嬉しそうだったのね。ネットで知り合った人で、優しいお姉さんだって」
「――それは」
「氷上くんでしょう? 性別詐称の件は、責めないから。ジンも言ってたけど、悪意があったわけじゃないしね。大事なのは、男だってわかった後でも、交流が続いてるってところでしょ」
「そう、だな」
「この前ね、可愛い柄のスマホケース持ってたから訊いたら、例の人が、探して教えてくれたんだって、そりゃーもう嬉しそうだった。初めは心配してたけど、いい友達が出来て良かったって安心したわ」
「……そうか」
口元に手を当てて、顔が笑いそうになるのを隠すが、緩んだ頬を隠しきれてはいない。
仁美はそんな朔也を遠慮なく笑い、言った。
「いざとなったらジンはなんとかしてあげるから、頑張ってみれば?」
「いいのか?」
「ジンも陣内さんも、ちょっと過保護すぎだと思うのよ。いつまでも、身内の中だけで過ごせるわけじゃない。本人も分かってるから、外に出て頑張ってるわけだし。手助けをしてくれる相手が氷上くんなら、私は安心かな」
お友達から脱出できるといいわね。
仁美のエールを受け取り、朔也は「ありがとう」と礼を述べた。
〇
伯父を待つ為に休憩スペースに案内してもらって以来、葵は氷上朔也と話をする機会が増えた。
例えばそれは昼食時の食堂。接客をする機会が少しずつ増えてきたが、その際には必ず名前を呼んで、声をかけてくれる。以前と同様、書類を受け取りにやって来た際には、椅子の整頓を手伝ってくれて慌てたりもした。
そんなことはさせられないと言っても、時間があるから気分転換に手伝わせてくれと言われてしまうし、食堂班の面々も唖然としている状態だ。
「これぞまさに、鬼の
「手伝わ、なくて、いいって、言ってる、のに」
「まー、いーじゃん。もっちー見てると、応援したくなるんだよ、なんか」
「わかるわー、それ」
「……すみ、ま、せん」
「違う違う、望月ちゃんが駄目だから手伝うわけじゃないんだって」
「そうそう」
「パン屋の見習い君もさ、夢に向かって頑張っててすごいって、もっちーも言ってたじゃん? あれと同じなんだって」
「誰かを手伝う時の気持ち、同情とか憐みなんかじゃないでしょ?」
「はい」
「仲間内でフォローするのは当たり前だよ。氷上さんのは――なんだろうね」
「友達の従姉妹だからじゃないの?」
「顔見て挨拶ぐらいはともかく、仕事の手伝いまで普通する?」
「普通じゃないじゃん、あの人」
「それ言われたら元も子もないな……」
同僚たちの口さがのない会話に入るのは、なかなかに難しい。第一、葵自身もよくわからないのだ。
新月に訊いてみれば、迷惑ですか? と何故か問い返され、慌てて弁解する羽目になってしまった。
迷惑などとは思っていない。ただただ恐縮しているだけである。先日、話をしたことがきっかけになり、「友達の従姉妹」から「自身の知人」に昇格したのかもしれない。
知り合いが増えるのは嬉しいことだ。
葵の目標は「独り立ち」で、陣内家におんぶにだっこ状態から脱することなのだから。
「もっちーは、クリスマスはなんか予定あるの?」
「予定、というか、伯父さんの、家に、行きます」
「なるほど、彼氏は居ないのか」
「な、ない、です」
思わずぶるぶると顔を振ったせいで、髪が乱れて手で抑える。
先日、同じことを新月に訊かれたことを思い出した。その際、新月は「なら、よかった」と言った。新月の方はどうなのかと問えば、普通に仕事をして、家に帰る、いつも通りの日常です、と返ってきた。
どうやら彼女は居ないらしい。
それを知って、どこか安心した自分に気づき、葵は動揺したものである。
当日は、仕事明けに陣内家の方へ帰り、今まで通りチキンとケーキを食べた後は、そちらに泊まるつもりだったけれど、やっぱり自分の家へ帰ろうかと思った。そうすれば、新月と話が出来る。
いつも通りの日常だという新月に、メリークリスマスの言葉を送りたい。
少しでも、いつもと違う日を一緒に過ごせたら、楽しいと思った。
そうしたい、と強く思った。
「じゃあさ、好きな人いる?」
「好き、な、人、ですか?」
「今、気になってる人でも可」
新月氏のことが頭に浮かび、葵の心臓はどくんと高鳴った。
「その反応は、いるな、いるね」
「ちょっと喰い付きすぎ。引いてるから、望月ちゃん」
「ち、違、くて」
「んー、
「違う、ん、です」
「このうるさい奴はともかくとして、大事にしなよ、望月ちゃん」
「なにを、ですか?」
「いい人だなーって思う気持ちがあるなら、それをどう育てるかは、望月ちゃん次第ってこと。いい人のままで終わってもいいし、もっと知りたいなーとか、一緒にいたいなーとか、そう思う気持ちがあれば、そうすればいいんだよ」
「……迷惑、じゃ、ない、ですか?」
「なにこの子、可愛い」
「相手の男、死ねばいいのに」
「なんで、ですかっ」
グルグルと考え、結局持て余してしまった葵は、唯一「新月」のことを知っている仁美に、相談することにした。
しかし、問題がひとつ――
(女の人じゃなかったって、言わなきゃ、だよね……)
優しい年上のお姉さんだからこそ、仁美も「まあ、大丈夫でしょう」と何も言わないでいてくれたのだ。これが、年上の男性だとわかれば、さすがの仁美も反対するかもしれない。
そう
「お待たせー、ごめんね、待たせて」
「こちら、こそ。すみま、せん」
「どうせだから、夕ご飯食べて帰ろっか。あー、でもまだ早いか。雑貨屋さんでも覗く?」
「はい」
会社最寄りのバス乗り場から、いつもとは別方向のバスへ乗車する。並んで座れる程度には空いていて、葵は窓際の席で街並みを眺めた。クリスマスシーズンのせいか、そこかしこでイルミネーションが光っていて、チカチカと眩しい。
綺麗だとは思うけれど、あまり派手派手しいのは好きではない。暗闇にそっと寄り添う程度の光の方が、葵は好ましいと思っている。
「年々、派手になるわねー。電気代いくらかかるのかしらね」
「ジンくんは、派手にやるの、好き、で」
「アホよねあれは」
「お金払え、って、伯母さんが、よく怒って、ました」
もっとも仁の行動は、葵を喜ばせようと画策してのことだと、わかってはいる。本人がお祭り好きという部分もあるにはあるが、大部分は葵が寂しくならないように、という配慮なのだ。
やはり仁の中で、自分は中学生のまま止まっている気がする。
葵としては文句を言いたい気持ちでいっぱいだが、仁の気持ちが嬉しいこともたしかなので、そのままになっている。
ショッピングモールの前でバスを降り、一階から順に店内をまわっていく。平日ということもあり、そこまで混雑はしていない。人混みが苦手な葵でも、安心して買い物ができる状況だ。
行列が出来る前にとレストラン街に入り、席に着いたところで、仁美が訊いた。
「それで、なにかあったの?」
「はい。えと、その――」
「氷上くんのこと?」
「いえ、そうじゃ、なくて」
たしかに、それも気になることではあるけれど、今日の本題はそちらではない。
どう切り出したものかと唇を噛む葵に、仁美が話を向ける。
「ってことは、例の、ネットでお話してる人の方かな?」
「――はい、そう、です」
「なーに? 個人情報とか訊かれたの?」
「それは、ない、です」
「……なんだ。まだか」
「なにが、ですか?」
「あー、こっちの話。じゃあ、なに? もう、やめようかなーとか、そういうこと?」
「ない、です。そんなのは、ない、です」
慌てて否定すると、仁美は驚いたように目をまたたかせた。
葵は、自らの勢いに自分で驚いて、言葉を呑んで、俯く。
新月氏のことになると、どうも調子が狂う。自分が自分じゃないみたいで、おかしくなる。
けれど今日は、打ち明けるために呼んだのだ。そして、できれば、相談に乗ってほしいのだ。黙っているわけにはいかなかった。
「……その人、なんです、けど」
「うん」
「女の人じゃ、なかったん、です」
「そう」
「驚かない、の?」
「顔のない世界だからね。そういうこともあって、不思議じゃない」
「私が、勝手に、勘違いしてて。性別の話とか、わざわざ、してなくて」
「まあ、そうだよね」
「すごく、失礼なことだった、のに。怒ったりして、なくて。優しくて、いい人、なんです」
葵がぽつりぽつりと話す言葉を、仁美は頷いて聞いている。葵自身、何を、どう聞かせたいのかがわからなくて、思いつくまま、新月氏のことを話した。
途中、注文した料理が届いたことで中断し、食べ終わった頃には葵も気持ちが落ち着いた。隠していたことを話せて、肩の荷が下りた気もした。
そんな葵を見て、仁美は訊ねた。
「葵ちゃんってさ」
「はい」
「その人――新月さんのこと、どう思ってる?」
昼間、職場で話題になった「気になる人」のことが頭をよぎり、瞬間的に葵の脳内は、沸騰したように熱くなる。
「わかんない、です。でも、あの、私、変です。そんなのダメって、わかってても、会ってみたいって、思ったり、でも、やっぱり怖い、気持ちもあるし。いつもいっぱい考えて、とにかく、変なんです」
「そっか。わかった。よし、会おう」
「へ?」
「待ってて、電話するから」
「え、あの、仁美さん?」
仁美は一体なにを言っているのだろう。
混乱する葵の前で、鞄からスマホを取り出した仁美は、どこかに電話をはじめた。
「もしもし、坪内ですけど。うん、お疲れさまです。あのさ、今からここに来てくれる? え? なんでもいいから来る。今、私の目の前に、あなたの大事な満月ちゃんがいます。そう、ご飯食べてたの。羨ましい? ざまーみろー。え? そっちがちんたらしてるから満月ちゃんが悩んでるんでしょーが。下手な小細工とかしてないで、男なら潔く当たって砕けなさい。あ? 砕けるかどうかはそっち次第でしょ?」
立て板に水がごとく、怒涛の話しっぷりで、仁美は誰かと会話している。
当然、葵が口を挟めるわけもなく、ただ茫然と聞いているだけだ。それでも、満月ちゃんという単語が耳に入り、となれば、相手は本当に新月なのだろうかと
「――に居るから、うん、じゃあ後で。気合いれなさいよ?」
鼻息を鳴らして仁美は葵に向き直り、「じゃあ、行こっか」と笑顔を浮かべた。
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