第6話 夜に語りて

 新月さんが入室しました。

 満月:こんばんは

 新月:こんばんは。今日は冷えますね

 満月:はい。手がすごく冷たいです

 新月:冬場に部屋でパソコンをする時は、指なしの手袋がおすすめです

 満月:手袋ですか? モコモコしそうです

 新月:指が使えるので、キーボードが打ちやすいんですよ

 新月:それでいて、手の平は保護されるので、冷たくなりません

 満月:明日、仕事の帰りに買います!

 満月:新月さんは、どんな物を使ってるんですか?

 新月:二年前から使っているので、そろそろ買い換えたいところですね。しかも安くなっている物を買いまして。毛玉が出来てます

 満月:お気に入りなんですね

 新月:破れていないから使っているだけの、無精者です

 新月:手袋といえば、なかなか合う物がなくて探すのに苦労しますね

 満月:わかります。私もなんです

 新月:女性の場合は、サイズに困れば男性用を使う選択肢もありそうですが?

 満月:……小さいんです。だから、うっかりすると、子供用とかになっちゃいます

 新月:それは、大変ですね

 満月:新月さんの場合は、どっちの苦労ですか?



 打ち込まれた文字を見て、朔也は手を止めた。

 これはもしかしてチャンスではないのだろうか。

 何のかというと、自分が男であると明かすチャンスである。

 手の大きさの話題にかこつけて、さりげなく書き込んでしまえばいい。拒絶されてしまったとしたら、その時はその時だ。いつまでも隠しておけるものでもないし、遅くなればなるほど罪悪感も強くなる。

 気づけば毎日のように入室し、何かしらの言葉を交わしている。彼女との会話は、朔也にとって日常に溶け込んでしまった。ひとしが言う「恋」かどうかはともかくとして、好意があることは間違いがなくて――。

 ならば、これ以上の想いが膨らむ前に、駄目なら駄目と引導を渡してもらおう。 

 一度目を閉じて、深呼吸。

 両手をキーボードに乗せて、タイプした。


 新月:私は人より少し指が長いようです。紳士物は女性ほど種類が多くないので、売り場も切迫しています。こういう時は、女性が羨ましくもなりますね


 エンターキーを押すことを躊躇いつつ、中指で押下する。ほどなく画面上に表示された己の発言を見て、もう後戻りは出来ないのだと覚悟を決める。

 彼女は、どういう反応を示すだろうか。

 何も言わず、退室することはないはずだ。それは確信できる。満月嬢はどうしようもなく生真面目で律儀な人なのだ。見知らぬメッセージに、わざわざ返信を入れてしまうぐらいに。

 それがわかる程度には、彼女と付き合っているし、そんなお人好しなところがいいと、朔也は思っている。

 画面上では無言が続いている。画面が固まってしまったのかと思うほど、変化のない時間が過ぎていく。

 朔也は待った。

 相手の反応を、ただひたすらに待ち続けた。

 やがて、ページが更新され、発言が表示された。


 満月:新月さんは、男性の方だったのですか?

 新月:はい。すみません

 満月:謝るのは私の方です。すみません、今まで勘違いをしていて

 新月:私、という一人称を使っているせいで、誤解を与えたのかもしれません。仕事では、そちらを使うことが多いので

 満月:とても丁寧でお優しいので、勝手にお姉さんみたいに思ってしまって

 新月:誤解なされているであろうことは、なんとなく察していました。ですから、お互い様ということにしておきませんか?

 満月:怒ってますか?

 新月:それはこっちの台詞ですよ。あなたに嫌われる方が、私は怖いです

 満月:ないです、そんなこと!

 満月:新月さんは新月さんです。


 書き込まれた言葉に、朔也の口からは重たい息が漏れた。どうやら思っていた以上に、自分は緊張していたらしいとわかり、苦笑する。

 そして朔也は、満月に訊ねた。


 新月:また、お話してくれますか?


 この「夜語り」の始まりとなった彼女からのいざない。

 さて、彼女はなんと返してくれるだろう。

 間をおかず更新された言葉に、朔也の口元には笑みが浮かんだ。


 満月:私の方こそ、喜んで



   ○



 スーパーのレジ近くに釣り下がっている手袋の中から、指先が空いているものを探す。

 黒やグレーといった地味で模様のない物がほとんどだが、黄色やピンクといった派手な色合いの物も置いてあるようだ。しかし、いかにも幼児用といった雰囲気で、葵は手に取ったそれを戻した。

(部屋で使うだけだし、デザインとかどうでもいいかな……)

 黒い手袋をカゴに入れて、他の買い物を済ませると店を出た。

 冬になると、あっという間に暗くなる。

 今日の月は、右側が半分以上欠けていて、月の満ち欠けが大分進んでいることがわかった。あと数日もすれば、新月が来る。

 新月。

 葵は、手に下げた袋の中から、買ったばかりの手袋を取り出した。

 つい昨日のことだ。新月と呼んでいる相手が、女性ではなく、男性であることを知ったのは。

 言われて思い返すと、たしかに相手は、性別を明言してはいなかった。葵が勝手にそう認識していただけなのだ。

 物言いの柔らかさ、気遣いの仕方。とても女性的に感じた。葵にとって「男性」というと、どうしても従兄の事が頭に浮かぶ。仁を基準に考えると、新月はとても男性とは思えなかったのである。

 あんな風に優しい男の人もいるのか。

 葵にとってそれは、新鮮な驚きだった。

(新月さんって、どんな人なんだろう……)

 ふと、頭に疑問が沸いた。

 年上だとは思っているけれど、それも絶対ではない。仕事をしているようなので、二十歳の葵よりは上だと思うけれど、どれぐらいの年齢差があるのだろう。

(訊いても、いい、かな……?)

 知りたい。と、葵は思った。

 新月の名の通り、暗く、形のない存在だった人。

 遠く離れた場所にいた人が、実は近くにいたような気持ちになって、こそばゆい。

 この時、初めて「新月」という人のことを、葵は意識したのかもしれない。

 今までとは違う意味で、新月――彼のことを、知りたいと思った。




 満月さんが入室しました。


 いつもより早い時間のせいだろう。昨日のログが残されている状態で、新月はまだ来ていない。

 気持ちが落ち着かなくて早々と来てしまったが、さすがに先走りすぎたと反省する。

 色々質問をしようと思っているが、答えてくれるだろうか。

 個人情報云々をとても気にする人だから、はぐらかされてしまうかもしれない。葵とて、具体的な住所だとか本名だとか、そんなことを知りたいとまでは思っていない。けれど、年齢ぐらいはいいのではないかと思っているだけなのだ。


 新月さんが入室しました

 新月:こんばんは


 目の端に更新された文字が見えて、葵はキーボードに手を置く。


 満月:こんばんは、新月さん

 新月:はい、こんばんは

 満月:今日、手袋を買ってきました。マウスを持っている時も手が冷たくならないから、いいですね

 新月:お薦めした甲斐がありました

 満月:はい。ありがとうございます

 満月:あの、新月さんにお訊きしたいことがあるんですが、いいですか?

 新月:どんなことでしょう

 満月:えっと、年齢とか訊くのはやっぱり駄目ですか?

 満月:私は二十歳です

 新月:書き込む前に先に答えられてしまいました

 新月:思っていた以上にお若いですね。私は三十歳です。おじさんで、すみません


 告げられた年齢は仁と同じもので、余計に比較してしまい、葵はおかしくなって笑ってしまう。そして、親近感が湧いてきた。


 満月:従兄と同い年です。全然おじさんじゃないですよ

 新月:その情報はさらにダメージがくるなぁ

 満月:えーと、ごめんなさい?

 新月:なんで疑問系?

 満月:新月さんが自虐するからですよ

 新月:それは気を遣わせまして

 満月:気を遣っているのは、新月さんの方だと思います

 新月:そうですか?

 満月:私の方が年下なんですから、もっと砕けた言葉使いでいいのに

 新月:最初の頃の口調が抜けないままでここまで来て、変えるタイミングを見失った感じですね

 満月:じゃあ、今、ですよ!

 新月:わかりました。出来るだけそうしましょう

 満月:また、丁寧語になってます

 新月:癖だと思って見逃してくれると助かる




 ですます調と断定口調が交互に混じる新月の言葉は、葵の心を弾ませた。以前よりも少し距離が近くなったような気持ちになり、それが嬉しいと思う。

 新月氏が自炊派であることや、バス通勤者であること。誕生日は八月で、それも葵と同じであり、共通点がたくさんあって驚いた。

 具体的な所在地を訊ねることは結局止めてしまったが、同県に住んでいることも知った。これもまたすごい偶然で、運命的だ、なんて乙女チックなことを考えてしまったものだ。

 もしも相手が仁だったとしたら笑える事実だけれど、最初の始まりがスマホに届いたメッセージであることから、それは有り得ないことだとわかっている。

 相手が女性だったとしても、直接会う場合は気をつけなさいと仁美に言われてしまっている現状。これで、相手が実は男性だったなどと知られたら、会うことは絶対に禁止されるだろう。

 葵だって、それは少し恐いと思う。

 新月氏がいい人であることはわかっているが、それとこれとは話が別だった。

 こうして話をするだけで、今はいいと思う。

 今は、と付け加えてしまうのは、心のどこかで「会ってみたい」という気持ちがあるせいなのだろう。

 自分がもっと大人だったら――

 そうしたら、こんな風にうじうじ悩むこともなかったことだろう。

(……大人に、ならなくちゃ)

 葵は手を握りしめる。

 伸び始めた爪が食い込んで、手の平に跡を残す。

「……爪、切らないと、だね」

 ポツリ漏らした声が、一人きりの部屋に寂しく響いた。



   ●



 パソコンの前で朔也は頬杖をついて、満月が退室した後のチャットルームを眺めていた。

 数日前、年齢をカミングアウトした後は、緊張で心臓がはみ出しそうになりながら入室したものだが、彼女は驚くほどいつも通りで拍子抜けしたものだった。

 朔也が気にするほど、満月嬢は気にしていないのだろうか。

 これも世代の差というやつか。ジェネレーションギャップを感じたものである。

 年下だろうと思っていた彼女は、たしかに下ではあったが、朔也の予想していたものよりずっと年下だった。

 いや、二十歳という年齢自体は、そこまで低年齢というわけでない。働いているということだったし、社会に出ているのであれば、大学生よりは大人といえる。自分が二十歳の頃と比較すると、満月はしっかりしている方だろう。

 問題なのは、年齢差だ。

 十歳差は、大きい。五、六歳であればさほど感じないが、十歳違うというのはどうなのだろう。

 朔也は唸る。

(二十歳の女の子と日々会話をするとか、あやしすぎるだろ、俺)

 従兄と同い年だということで、満月は朔也に対する警戒心を解いているようだった。あまり素直に信じられると、気恥ずかしい。

 三十歳にもなって、二十歳の女の子に照れることになるとは――

 ますます変態じみていて、朔也は天井を仰いだ。そのまま視線だけを動かして、カーテンのかかった窓を見つめる。

 はて、今夜の月はどんな形をしていただろうか。

 朔也の名前を冠する新月は終わり、次の満月に向けて膨らみ始めていたかと思う。

 夜空の月は朔望を繰り返す。

 季節も巡り、今はもう十二月。秋からこちら、怒涛の月日を過ごしている。

 机の脇に置いてあるスマホを手に取り、SMSの画面を開く。自分が送った最初のメッセージと、彼女からの返信。続いて自分が送った謝罪と説明文があり、慌てたような彼女の言葉が並んでいる。

 スマホでのやり取りは、最初の五日ほどだった。

 以降はずっとWEBページでの交流だ。スマホのブラウザからのアクセスも可能だけれど、文字入力の関係から、もっぱらパソコンからのアクセスが主になっている。

 朔也は時折、スマホからチャットルームにアクセスして、ログの確認をしていたりもするのだが、冷静に考えると、これもまた変態くさい。

 振り返って考えてみたが、付き合っていた彼女とのメールを読み返して、悦に入るような真似をしたことはない。

 性別を明かし、年齢を告げてから、生活に関連することや個人的な思考など、少しだけ踏み込んだ内容も話すようになった。もうちょっと警戒してほしいと朔也は思うが、あなたのことが知りたいと訊ねられることを、嬉しく感じるのも事実なので、色々終わっている。

 おそらく、実際に会うことはない関係。

 これ以上、なんらかの進展はありえない関係。

 いずれは飽きて、日常の忙しさに紛れて消えていくであろう交流だ。

 ネットを介して発生したやり取りというのは、そういうもので、ずっと続いていく方がきっと珍しい。ネット上の人間関係が希薄であることは、朔也も何度か経験していることだ。

 ネット上だけのことではなく、十代の学生時代のこともそうだ。社会人になって、環境が変われば、かつてあった付き合いも途絶えていくし、それは決して非情なことではない。

 満月嬢は、若い。

 これからたくさんの出会いがあり、現実リアルが充実していくうちに、自分のことなど忘れていく。

 それでいい。

 それで、いいのだ。

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