第4話 むすんで、ひらいて、つないで

 仕事を終えて帰宅すると、クローゼットのダンボールを開封してみた。

 箱の横には「葵 冬服」と書かれた紙が貼られており、ざっくりとした内訳もついている。

 それは京子の手によるもので、なるほど、こうしておけばわかりやすいのかと、葵は感心した。もう着ないであろう半袖と入れかえるだけのつもりだったけれど、夏服と書いた紙に貼りかえておくべきかもしれない。

 明日は休日。衣替えにいそしもう。

(そうだ。スマホ、充電しとかなきゃ)

 満月の人との約束を思い出し、コードを差し込む。充電中を示す赤いランプが点灯したのを見て、ふと考える。昨日はあちらからコンタクトを取ってくれたけれど、今日はどうするべきなのだろう?

 また話がしたいと持ち掛けたのは、葵の方だ。

 となれば、こちらからアクションを起こしてしかるべきだろう。

 だが、一体どういう風にすればいいのか。「こんばんは」と第一声を送るとしても、それは何時ごろにすれば、迷惑にならないのだろう。

 結局葵は、昨日の着信を確認し、同じ時間帯を選んで送信した。

 そして、挨拶だけでは駄目かもしれないと話の糸口を考えていたら、スマホが震えた。


 "こんばんは。今日は曇り空で、月が隠れてしまっていますね"


 なるほど。こうして一言付け足して、答えを返しやすいようにすればいいのか。

 葵は感心して、返事を打ち込む。


 "雲の間から少し覗くところも、綺麗だと思います"

 "そうですね。風情があります"

 "月を見るのがお好きなんですか?"

 "特別、そういったわけでもないです。あの時はたまたま見上げた空に、月が綺麗に見えて"

 "誰かに伝えたくなるお気持ち、とてもよくわかります"

 "とはいえ、いきなり不審なメッセージは失礼でしたね"

 "不思議なご縁です"

 "そう言っていただけると、私としても嬉しいです"


 入力して送信し、受信した言葉に対して返信をして――。

 相手の言葉を待ってからの入力は、どうしてもタイムラグが生まれる。加えて、変換ミスを防ごうとゆっくり打っていると、ますます時間がかかってしまうのが、じれったい。

 そう感じていた葵に、相手はある提案をしてきた。


 "たしか、パソコンをお持ちでしたよね"

 "はい"

 "ネットにも繋がりますか?"

 "はい"

 "では、そちらに場所を移しましょうか"

 "パソコンでも、出来るのですか?"

 "チャットはご存知ですか?"

 "家族が使っているのを、横から見たことはあります。あれを使うのですか?"

 "私自身、キーボードの方が打ちやすいですから。どうですか?"

 "はい"

 "使い勝手がよさそうなところ、探してみます"



   ●



 我ながら、随分と時間が逆行していると朔也は思った。

 スマホが普及し、この小さな端末で全てが賄える時代に、チャットルームで誰かと話をするだなんて、考えもしなかった。脇に置いてあるスマホに目をやり、パソコンのディスプレイへ視線を戻すと、無料で使用できるチャットを再び探しはじめる。

 メッセンジャーを使ってもいいのだろうが、どこかしらのサービスに付帯していたり、名前が紐づいていたりするのが一般的だ。そうなると必然的に、情報量が大きくなる。個人情報に繋がることさえ、見えてくる可能性もあるだろう。

 例の相手は、どこか迂闊なところがうかがえる。何かの折に、ポロっと名前や住所を漏らしてしまうのではないだろうかと思うほどに。

 それは問題だと、朔也は考えた。

 相手のことを知ってしまうのは問題だと、そう考えた。

 ちょっとした偶然。本来ならば、無視をして忘れ去っていく出来事によって繋がった糸の先は興味深いけれど、よくよく考えれば怖いことなのだ。短いやり取りの間に、相手はごくごく普通の、おそらくは女性であろうことはわかったけれど、だからこそ、男である自分が関わるのはよろしくない。

 スマホに変えたばかりということは、相手は中高生か。

 しかし、最近の子は親が所持する端末や、タブレットなどで文字入力にも慣れているはずだ。今の大学生は、逆にパソコンが使えないという冗談のような話も耳にする。

 では、もっと年上だろうか。最初に感じたように、祖母世代の人。

 とはいえ、そこまで老成した雰囲気も感じない。

 そんな風に相手のことを探るように考えていることに気づき、問題であると朔也は判断したのである。

(……ほんとにストーカーじゃないか、俺)

 また話したいと請われた時、「止めておいたほうがいい」と促すのが、本来あるべき姿だった。問いかけに応じてしまったのは、朔也自身の気持ちでもある。あの日の自分は、きっとどこか疲れていた。そんな時に発した、弱った心の呟きを受け止めてくれた相手と、まだ繋がっていたいと思ってしまったのだ。

 SMSが届いたということは、その電話番号にかければ、相手に繋がるということだ。

 このままスマホを使ってメッセージを送っていると、もどかしさのあまり、うっかり電話をかけてしまうかもしれない。そんなことをすれば、せっかくの繋がりは絶たれてしまうことだろう。

 WEBページであれば、その葛藤も薄れるはずだ。大学時代は、仲間うちでチャットを行っていた。共通の趣味で繋がった、日本のどこかに住んでいる、ハンドルネームしか知らない人達が開くチャットは、出入り自由の気軽なお喋りの場所だった。発言しなくとも、ログを追っていくだけでも楽しかったものだ。

 遠いようで近い場所。

 それぐらいの距離が一番いい。




「なあサク、あれどうなった?」

「あれって?」

「とぼけんなよー。あれっつったらあれだよ」

 何か頼まれていたことがあっただろうかと頭を悩ませていると、ひとしは朔也の肩をがっしりと抱いて、小声で言った。

「例の、メッセージの人だよ」

「ああ、あれか」

「なんだよ、素っ気ない反応だな」

 休憩スペースまで歩いて、隅のベンチに腰かける。仁はその隣に陣取って、さらに話を向けてくる。どうも、聞きたくて仕方がないらしい。

「結局、あの後どうしたんだ? 死ねキモイの人」

「キモイとは書いてなかったぞ」

「ニュアンスニュアンス」

「……今はチャットルームを使って話をしている」

「はあ? なんでどーしてそうなったよ」

「スマホの文字入力って面倒だろ。時間もかかるし。キーボードの方が楽だなって思って」

「そういうことじゃねーだろ」

 仁の言わんとすることはわかっているからこそ、話を逸らしたのだが、逃がしてはくれないようだった。一拍置いて、訊ねてくる。

「相手、女?」

「……まあ」

「どんな人? 年齢は?」

「知らない」

「声の感じからの推測でいいから」

「だから、知らないって言ってるだろ」

「はあ? え、だっておま、電話してねーの?」

「逆に訊くが、何故電話をかけたと思うんだ」

「だって番号知ってるんだろ? あれ以降、仲良くなったんだろ? かけるだろ」

「――それで本当に電話したら、俺は確実にあやしい人だろ」

「でもよ、チャットしてんだろ? もうまるっきり知らない仲でもねーじゃん。あれからどれぐらい経ったよ」

 一ヶ月。

 驚くことに、最初に彼女と言葉を繋いでから、実にそれだけの時間が経過している。

 その間やったことといえば、チャットルームを用意して、アドレスを送ってページまで来てもらい、各々が仮の名前をつけたことだ。パスワードを設定し、入室制限をかけているので、朔也と彼女、二人きりのチャットは、それまで時間をかけて行っていたメッセージに似ていながら、スムーズに言葉が交わせるようになっている。

「ってことは、名前も知らないのかよ」

「ああ、知らない」

「それでよく会話が続くな」

「そんなもんだろ」

 どこか納得していないような顔つきだったが、朔也としてはこれ以上のことを伝えるつもりはない。表情からそのことを受け取ったのだろう、仁は「まあ、いいか」と呟き、そしてニカリと笑った。

「よかったな」

「何がよかったんだ」

「だっておまえ、なんか楽しそうだしさ。俺も嬉しい」

「そうかよ」

「おうよ。だから協力は惜しまん。作戦を考えようぜ」

「――ちょっと待て、なんの話をしている」

「だから、朔也くんの恋の後押しをだな」

「誰が、誰に恋だって?」

「おまえが、その人に」

 断じるように言われて、朔也は狼狽して立ち上がる。廊下を歩いていた女性社員がビクリと固まり、次に慌てて、逃げるように走り去った。

 あれが女性の反応だ。

 氷上朔也という人物に対して向けられる、ごくごく一般的な、女性の反応なのだ。

 本当の自分なんて、見せる必要はない。

 見せるべきではない。

 それに――

「……相手は、俺を女性だと思っている、と思う」

「はあ?」

「言葉の端々に、それを感じる」

「おまえ、まさか、女っぽく振舞って、相手の警戒心を解いて近づいたのか。そんな上級テクニックを駆使していたとはっ」

「おい」

「今日の昼は作戦会議だ。おまえも食堂な。決まり!」

 さー、仕事仕事。

 仁は声を弾ませて、自身の机へ戻っていく。朔也は脱力して、椅子の背もたれに倒れこんだ。



   〇



 十二月に入り、パンの仕入れ先が変わった。

 変わったといっても、試用期間といったところで、従来の商品も少しは置いている。パンを購入してくれた人には、小さなアンケート用紙を配り、入口のボックスで回収している。

 男性の意見はやはり、総菜パンはもっと大きな方がいいが上位だけれど、味については新しいパンの方に軍配があがっている。女性陣の意見は、食堂班の意見とほぼ同じもので、今までは買わなかったけれど、これなら買ってみたいという意見も多かった。

 葵はパンを並べる係を担当しており、空いた箱を片付けていると、もう売れてしまったのかと問い合わせる人がおり、「販売量を増やして欲しい」という声も直接聞いている。たしかに、クロワッサンサンドは美味しそうだったし、午後の休憩用にとドーナツを購入する気持ちもわかる。

 パンを納入に来たのは、まだ若い見習いのパン職人らしく、葵も何度か対応したことがある。お店も方にも買いに来てくださいと名刺も貰ったので、いつか行ってみたいと思っている。

 このまま行けば、おそらくパンの仕入れは、来月から完全に入れ替わるだろう。

(……私は、どうなのかな)

 葵の契約は三ヶ月ごとなので、十二月で三度目の契約が終わることになる。問題がなければ、このまま更新となるだろうが、こればかりはわからない。仕事の上で問題がなくとも、人件費の問題で切られてしまう可能性だってあるのだから。

 あまり悲観的にならないのは、今までよりも少し自信がついたからかもしれないと、葵は自分を分析する。

 仕事にも慣れたし、人間関係にも慣れてきた。食堂の人達はみんな優しくて、つたない言葉使いの葵とも、普通に会話をしてくれる。


 社会に出るとね、学生時代と違って、周囲は意外と寛容です。

 学校というのは同じ世代の集まりですから、どうしたって視野が狭くなりがちですが、社会はとても広い。

 幅広い世代の中に居ることで、それまで自分がいかに狭い世界に生きていたのかがわかります。

 満月まんげつさんも、きっと大丈夫ですよ。


 メッセージの相手――新月しんげつさんの言葉は、葵の心に染み渡った。

 あれからチャットを使い、様々な言葉を交わした。ログインして、相手がいなかったとしても、書き込みさえしておけば、後で言葉を返しておいてくれる。伝言板のような使い方も出来るし、なによりも、スマホよりもずっと入力がしやすい。

 お世話になりっぱなしで、なにかお返しがしたいと思っているが、具体的なことは何も出来ない状態だ。

 相手がどこに住んでいるのか葵は知らないし、その辺りのことは「お互いに聞かないようにしましょう」と最初に釘を刺されている。会ったことのない人に自分の個人情報を伝えるのは危険だから、決して書き込まないようにと、言われているのだ。

 名前のことにしても、仮の名前をつけるようにと言われて、こうなっている。

 満月は、葵のハンドルネームだ。

 葵から見れば、彼女の方がよほど「満月」の名にふさわしいのだけれど、「それは、あなたに」と譲られてしまった。

 かわりに、相手が名乗ったのは「新月」だ。ミステリアスで、なるほどこちらも似合って素敵だったので、葵は満月の名を受け入れた。一ヶ月もすれば恥ずかしさも薄れてきて、ただの形だと思えるようになってきた。

 自分は自分だし、彼女は彼女だ。

 その本質が変わるわけではないし、打ち込まれる文字はいつも優しさに満ちている。画面越しに感じる人柄は、葵の胸を温める。

 新月と言葉を交わすようになって、葵は自分が変わったと思うし、その変化は外見にも表れているらしい。陣内家の面々にも「一人暮らしで大人になった」と褒められたし、食堂班の従業員たちにも「望月さん、なんか落ち着いてきたね」と言われた。

 仁の彼女である仁美ひとみには、もっと具体的に「葵ちゃん、なにかあった?」と訊かれたぐらいだ。誰にも言っていないけれど、仁美にならいいだろうと思い、友達が出来たのだと報告した。キッカケになった出来事は言わず、ネットのコミュニティで、同じ本が好きな人とやり取りをしているのだと話している。

 例え相手が女性であっても、直接会うのは止めること。

 もしもそんな機会が訪れたら、自分が同行するから、一人では行かないよう、約束させられた。

 過度に子供扱いされている気もしたが、ニュースなどで報道されているSNSを通した犯罪を考えると、心配するのも当然だろう。仁や、伯父夫婦には、これ以上心配はさせたくない。

「会ったりとかは、ない、とは、思うの。相手の人も、ね、個人情報は、書いちゃ駄目って、最初に言ってた」

「そうなんだ」

「うん。名前も、ね、本当の名前、出さないようにって。どこで漏れるか、わからないからって」

「結構ちゃんとした人っぽいから、大丈夫かなぁ」

「うん」

「年上なんだっけ?」

「たぶん?」

「そっか、そこも隠してるのか」

「言わなさ、すぎて、いいのかな、って、思う、けど」

「話が合う合わないは、年齢関係なかったりするし。知っちゃったら、やっぱり考えちゃうじゃない? だから、知らない方がいいのかもよ?」

「そうなの、かな」

「ま、何か困ったことがあったら、言って。一緒に考えてあげるから」

「うん。ありがとう、仁美さん」

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