第54話 最後の命令


 正午の時刻を知らせる太鼓の音が轟いた。


「ああ、もうそんな時間ですか」


 と玉鈴は音のする方向へと視線を向ける。確か今日の午後から明鳳が黒曜殿に妃嬪達を集め、謁見の場が設けられる予定だと丞相が書簡に書き綴っていたことを思い出す。後宮の大半を焼失させた事件及び、才林矜が起こした汚職について話をするのだ。それに亜王である明鳳が欠席するわけにはいかない。間に合うように早く話を切り上げねば。


「なぜ、柳家の名が歴史から消えたと聞きましたね?」

「ああ、不思議でならない。その話が本当ならば龍は亜王を支えるためにいるのだろう?」


 明鳳は疑問を口にする。


「柳家は血を国外に出さないために出生を管理され、女ならば後宮の奥深く、男ならば天華殿てんかでんの近くに住居をつくり、亜王の従者として側にいる時は身体的特徴を隠して生活をいとなんでいました」

「後宮……蒼鳴宮か」

「はい。龍の力を目にすれば人々は亜王より柳家に仕えようとするでしょう。それを防止するためです。女は妃として、男は従者として側で支えました」

「ん? なぜ、お前は妃なんだ? 男なのだから従者でもいいはずだ」

「そ、それは……」


 恥ずかしそうに玉鈴は口元を袖で隠した。


「彼女が視た時、僕がですね」


 玉鈴は視線を彷徨わせた。


「その、小さくてですね」


 言いにくそうに俯く。


「えっと、女児に見えたそうで……」


 最後はほぼ聞こえないほど小声で呟いた。

 当時、玉鈴は九つ。先代は幼い玉鈴を夢で視た時、少女と思ったそうだ。亜国に献上され、罪悪感から玉鈴が性別を告白したことで発覚したが、妃として迎えるといった手前、言葉を撤回することはできない。また、お茶目な高舜がそれを容認したため玉鈴は今も妃として後宮で暮らしている。

 自分の話は終わりだと玉鈴は咳払いをした。今すぐにでも話題を変えたい。


「そんなことはどうでもいいんです。柳家が亜国から追放された経緯ですよね?」

「追放?」

「ええ。柳家は貴方の祖父である醜帝しゅうていによって、その地位を奪われ国外に追放されました」

「祖父か、……父上が大層嫌っていたという印象しかないな」


 明鳳は複雑そうな顔をした。醜帝は亜国史上一の暴君として名高い。生まれつき顔には引きつったような傷を持ち、美しい者を酷く嫌っていた。美貌の妃を痛ぶり殺し、逆らう臣下には罪をきせ殺し、領土を拡大しようとしては罪のない人々を殺した。生前行った数々の悪行、内面と外面の醜さから死後贈られるはずの称号は醜帝という悪諡あくしを与えられた。そのため今でも国内での評判は悪い。


「彼は己の対を酷く嫌っていました。口煩く諫言かんげんする対を疎ましく思い、殺したのです」

「祖父ならやるだろうな」

「元々、醜帝は龍の力を持つ柳家を嫌っており、いい機会だと家名を取り上げ、残った者達を亜国から追放しました」

「それでいないのか」


 玉鈴は頷き返す。これは全て当事者である先代から聞いた話だ。醜帝が柳家を追放した当時、先代は七つか八つの幼い少女で母と乳母の三人で北方の雪深い山奥で暮らしていたという。本物の龍である先代は幼いながらも本能が訴えるのかしきりに「亜王が待っている」と言い、亜国に帰ろうとした。

 けれど、それは母と乳母が許さなかった。帰ってもその容姿が元で醜帝に処刑されると考えたからだ。二人を悲しませたくないと先代は己の心を押し殺し、そのまま山奥で暮らした。大人になり、二人が亡くなってから亜王の元に帰ってきたがその時には次の龍が、玉鈴がいたことで仕えることはできなかった。

 先代は「悔いはありません」と笑っていたがきっと本心では悔しかったに違いない。高潔な彼女は感情を押し殺して玉鈴に龍とはなんたるかを教授することに残りの生を掛けていたが時折見せる憂いた横顔は今でも玉鈴の記憶に強く残っている。


「それで三つ目の命は?」

「……待て、今、考えている」

「考えていなかったのですか」

「考えてきたに決まっているだろう」


 明鳳は難しい顔で「確証が得られたからもういい」と付け加えた。

 なんの確証なのだろうか。玉鈴は首を傾げるがこれ以上、彼をこの場に繋ぎ止める時間がないと知る。


「話はこれまでです」

「三つ目をまだ考えていない」

「どうせ夜、また来るのでしょう? その時にでも聞きますよ」


 玉鈴は庭園の奥へと視線を向けると右手を振った。まるで知り合いに会ったかのような仕草だ。


「げっ!! じょ、丞相?!」


 明鳳は叫ぶと思いっきり嫌そうな顔をした。


「いつまで遊んでいるつもりですか?」


 丞相——義遜が笑顔を浮かべてゆっくりと歩み寄ってきた。


「お迎えにあがりました」


 他者を威圧する、完璧な笑みを浮かべながら。


「お、お前が何もしなくていいと」


 緊張のあまり、明鳳は忙しなく視線をさ迷わせ、口ごもる。


「それは謁見の準備が整うまで、と言いましたよね? 太鼓の音が聞こえたら戻るようにと言ったはずですが?」


 気丈に言い返しながら明鳳は「ん?」と首を捻る。玉鈴と顔見知りだと知っていたがここは後宮で、亜王と宦官以外の男は立ち入り禁止のはずだ。至って当たり前のようにいるが例え丞相相手でもこれは大罪である。


「ここはお前が来ていい場所ではないぞ」

「高舜様から蒼鳴宮のみ立ち入りの許可は頂いております」


 義遜は嫌味たっぷりに笑い返し「さあ、戻りますよ」と明鳳の手を掴んだ。


「明日でいいだろう」

「駄目です。もう黒曜殿にお妃様方を集めています」

柳貴妃こいつは参加しないのに?!」

「彼は特別です。こういった催事への参加は免除されています」


 抵抗するが手を引っ張る力は弱まる事はなく、自分を見下ろす義遜の笑顔はより一層と濃くなり、微かに苛立ちを滲ませる。

 玉鈴は無言で睨み合う二人を観察していたが義遜の左の米神がひくひくと痙攣し始めたのを見て焦って立ち上がり、明鳳の側へ駆け寄った。長年の付き合いから彼がそろそろ切れると察しての行動だが蛇に睨まれた蛙状態の明鳳には助け舟に見えたらしい。嬉しそうに笑い、義遜の手を跳ね除け、玉鈴の背に隠れようとする。

 けれど、その行動を玉鈴は制した。


「お話はこれまでです」


 明鳳の背に手を置き、義遜の方へ押し返す。


「俺を見捨てるな!」


 明鳳は涙目になりながら自分より上背がある玉鈴を見上げた。


「お勤め、頑張って下さい」


 初めて見せる泣き顔に玉鈴は一瞬ぎょっとするがすぐさまいつものようににっこりと微笑んで、先程よりも背を押す力を強めた。


「義遜様。後は頼みますよ」

「ええ、頼まれます」


 全身で拒む少年王が目前に近くと義遜は不敵に笑みながら「さあ仕事です」と右腕を掴んだ。

 明鳳は声にならない悲鳴を上げ、


「——離せ!」


 勢い良く右腕を掴む義遜の手を叩いた。

 パシッと乾いた音が響く。明鳳の行動を予想していた義遜は走る痛みに笑みを崩すこともなく、そのまま腕を引っ張った。


「悪あがきはやめなさい」

「お前こそ無礼だぞ! その態度を改めろ!!」

「貴方様にはこの態度で十分です」

「俺は亜王だ!!」

「亜王ならばきちんとご自身の職務を全うして下さい」

「分かった! お前の言う、職務を全うしてやるし自分で歩けるからその手を離せ!!」

「お断りします。どうせ逃げ出すでしょう」


 どうにかして手を離させようと我策するが一枚も、二枚も上手な義遜に通用する訳もない。ずるずると引きずられながら明鳳は諦めた。

 首だけを動かし傍観する玉鈴へと顔を向け、「柳貴妃!」大きな声で名を呼ぶ。


「夜までに戻るから夕餉は俺の分も用意しておくんだ! あの宦官と侍女に肉を用意するように言っておけよ!!」


 次々と出てくる要望に一つ一つ玉鈴は「分かりました」と頷いた。ここで彼を揶揄いでもすればきっと拗ねて仕事をしないと予想して、優しく受け答えをする。

 現に諦めたと言いながらも明鳳はどうにか自分を牽引けんいんする義遜から逃げようと考えているらしく、忙しなく周囲を見渡していた。しかし、長年の付き合いから中々、隙を見せない義遜に痺れを切している。

 手を引かれながらも静かに抵抗を続けていたが、柳の木の側を歩いている時、明鳳は声を張り上げた。


「それと!」


 義遜に引かれないように空いた手で枝垂れた枝を掴むとひどく真剣な表情を浮かべた。真摯しんしな眼差しに射られ、玉鈴は背筋を伸ばす。

 無言で腕を引く義遜も何かを感じ取ったのか歩みを止めて、静かに二人を見守った。


「三つ目は今決めた。お前の名を教えろ。あるんだろう。本当の名が」


 何を言うかと思えばそのことか。想像していなかった言葉に玉鈴は肩の力を抜いた。

 しかし、自分を見る少年の目は真剣そのものだ。玉鈴は昔を懐かしむように色の違う双眸を細めると表情を崩した。

 かつて、高舜にした様に、軽く頭を下げると敬愛を込めて供手の礼を取る。



「……僕の名は——」



 時を待ったように一陣の風が夏の香りを乗せて二人の間を駆け去った。

 風に拐われながらも薄く色付く唇は、軽やかに言葉を紡ぐ。玉鈴が大切にしている名を——。

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