第6話 優しかった人達は、
人工の夏空の下、あたしは年代物の音楽プレイヤー(ラジカセというらしい)をぶら下げてカナタとともに田舎道を歩いていた。
あたしの隣に並ぶカナタはちょっとサイズが大きすぎる麦わら帽子をかぶっている。
手にしたバスケットには二人で作ったサンドイッチと凍らせたミネラルウォーターが入っていた。
天井のどこかに仕掛けられたライトからは作り物の太陽光線がさんさんと降り注ぎ、壁に埋め込まれた通気孔からはランダム設定された風がときどき発生して涼を運んできた。
カナタは風が吹くたびに麦わら帽子がズレて、「んしょ」と直していた。あんまりしょちゅうその仕草を繰り返すから、あたしは空いてるほうの手でカナタの麦わら帽子をちょうどいい具合に支えながら歩く事にした。
あたしのほうを向いてカナタが笑った。
暑いのか頬が少し赤かった。
カナタに誘われて、お墓参りにいく途中だった。
あたしは今まで何度かこの菜園に来たことはあったけど、墓地なんてものがあるとは思わなかった。
でも、考えて見れば当然だ。
カナタも隆弘もこのサナトリウムで戦って生き残った。
ということは生き残れなかった人たちもいるのだ。それもたくさん。
あたしとカナタは墓地まで向う間、ほとんど口をきかなかった。
あたしは何を話していいのかわからなかった。
安易に死んでいった人たちのことを聞くこともできなかったし、まるで関係のないことを話すのも変だと思った。
普段はよくしゃべるカナタも、今は黙ってまっすぐ前を向いて道をいつもより早足で歩いていく。
それに合わせてあたしも少し広めの歩幅をとった。時おりカナタの方を見る。
麦わら帽子の影の下に、口をきゅっと閉じてどこかしら憂いを帯びた瞳をしたカナタの顔があった。
そんなカナタはいつもより少しだけ大人びて見えた。
あたしの視線に気づくと、カナタは「どうしたの?」という感じに目を細める。あたしは「何でもないよ」と首を小さく横に振った。
やがて、細い田舎道が終わり緑色の迷路からあたしたちは解放された。
カナタが立ち止まる。
「ついたよ」
あたしの予想に反して、墓地はキレイに整備されていた。
雑草の類はほとんど生えてなかったし墓標の前にはまだ新しい花が供えられていた。
きっとカナタは毎日ここに来て手入れをしていたのだろう。
ただ墓碑だけはとても貧弱で全部ベニヤ板だった。
そのベニヤ板にペンキで故人の名前が書きこまれていた。
『中島さん』、『チェンさん』、『マイキーさん』
ベニヤ板の文字は擦れて、消えかかっていた。
没年月は全員いっしょで、四年前のちょうど今ぐらいだった。
カナタは墓標の前に突っ立っていたあたしに、「みんな地球に帰ろうとして、シャトルが落ちて死んだの」と教えてくれた。
その際、隆弘は大怪我をしカナタだけが無事だったらしい。
あたしはカナタからその話を聞いても「そう」としか言えなかった。
カナタは近くのタンクから汲んできた水をていねいに地面にまいた。
月では水は貴重な資源だから、本当ならこんな無駄なことに使うべきではないけど、そんなことはもちろん言えなかった。
あたしはカナタに付き合いバケツでたくさんの水を運んで、汗だくになって掃除をして、最後の仕上げに近くの畑に咲いていた向日葵を墓に供えた。
墓に向日葵はどうかと思ったけど、実際に眺めてみると重苦しい空気が和らいだ気がして、良かった。
ひと仕事終えたあたしとカナタは、墓場のすみの常緑樹が作り出した日陰に腰掛けた。
凍らせたミネラルウォーターはすっかり溶けていた。
でも、ペットボトルに触れるとまだ十分冷たかった。
あたしは常緑樹の幹に背中を預けて、ペットボトルの中身を口に含ませる。
麦わら帽子を脱いだカナタは額にペットボトルを押し付けて、目を閉じていた。
少し辛そうに見える。
線の細いカナタに炎天下での重労働はかなりきつかったはずだ。
あたしはカナタに「大丈夫?」と声をかけた。
カナタは「うん」と目を閉じたまま答えた。
首筋と頬を流れる汗をハンカチで拭ってやる。
カナタは少しだけくすぐったそうにしてたけど、大人しくあたしの行為を受け入れてくれた。
木の上の方で蝉が鳴き始める。
あたしは反射的に顔をあげた。
木漏れ日がまぶしくて、あたしも目をつむった。
「怖い大人たちがみんな死んじゃった後」
蝉の鳴き声にかき消されてしまいそうな、小さな声でカナタが言葉を紡いだ。
「僕は、やっとみんなで仲良く楽しく生きてけるって、思ってた」
蝉の声が止んだ。そのせいで、カナタの声が微かに震えていることに気づいた。
あたしはまぶたの裏で明滅する光の残像を見つめながら、カナタの次の言葉を待った。
「だけど、そうじゃなかった。そんなのありっこなかった。なかったんだよ。あはははは」
目を開けて、カナタを見た。カナタは笑っていた。
笑いながら、泣いていた。
あたしはカナタにかける言葉が見つけられない。
泣かないでほしいのに、そうも言えない。
あたしの口をついて出るすべての言葉が全部嘘っぱちで、カナタを却って傷つけてしまいそうな気がした。
何も言えないから、黙っていた。黙って、カナタの悲しみにまみれたボロボロの笑顔とただ向き合っていた。
カナタはあたしが運んできたラジカセのスイッチを入れた。
いつもカナタが踊っているフォークダンスの曲が流れる。
ノイズ混じりの能天気に明るい曲が沈黙を埋めてくれた。
「僕がすっごい小さかった頃、みんなで踊ったの。僕は初めてだったから、ただくるくる回ってただけだったと思うけど、隆弘と中島さんとチェンさんとマイキーさんと踊ったの。五人しかいないから何回も同じ人とパートナーになったよ。みんな優しくて、僕、と踊るのが、た、楽しいって、言ってくれて、僕、すごく嬉しくて、」
しゃくりあげながら話すカナタの言葉はよく聞き取れなかった。
あたしは手にしたハンカチでカナタの涙を拭うことしかできなかった。
カナタは苦しそうに嗚咽混じりの声を絞り出すように何度も「みんな優しかった。優しかったんだよ」と繰り返した。
あたしはカナタの剥きだしの感情を前にして、自分の無力さを噛みしめる。
ラジカセがプツンと音を立てて曲を終えた。
蝉が再び鳴き始めた。
泣きつかれたのか、カナタはようやく大人しくなった。
あたしとカナタはしばらく幹にもたれたまま、蝉たちの夏の歌を聞いていた。
「泣いてゴメンね」
カナタが小さな声で謝った。
「う、ううん」
その時の自分の声で、ようやくあたしは自分も泣いていたことに気がついた。
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