第3話 月の食卓

 サナトリウムの最下層には菜園と同じく電源の生きている施設があとひとつだけある。


 食堂だ。


 本来なら何百人もの患者が同時に飲食するために作られたそれはおそろしくだだっ広い。


 あたしは月に来て以来、数回ここでカナタといっしょに食事を摂っていた。


 今日の朝食は空豆とジャガイモのスープとほうれん草のサラダ、それにパン。


 そこにお決まりのカルシウムスティックが加わる。


 月では土壌の関係で極端なカルシウム不足になるので、毎食これがつくらしい。


 あたしもカナタも健康のことなんてまるで気にしないけど、お菓子みたいに甘くておいしいからデザートがわりに食べる。


 あたしは薬みたいな白色をしたカルシウムスティックをかじりながら、食堂の中を見渡した。


 あたし達が使っている一角以外は叩き割られたテーブルに埃が降り積もっていたり、イスがひっくり返っていたりして一様に荒れ果てていた。よくよく見ると壁には凹みや穴があった。


「ボロボロ」あたしは何気なく感想を述べた。


「昔ここで食べ物の奪い合いがあって、たくさん人が殺し合いをしたんだよ」


 まるでちょっとしたイベントがありましたー、みたいにカナタが笑顔で答えた。


 口に放り込んだパンを租借しながら、あたしは少し眉を寄せた。


「これでも、結構キレイにしたんだよ? 隆弘と中島さんと僕の三人しかいなかったからすごく大変だった。ね? 中島さん」


 カナタは隣の空席に向って声を発する。


 あたしには見えない空気色の中島さんとカナタは会話を成立させていた。


 あたしはカナタのにこにこ笑顔が向けられている空間に視線を移す。


 中島さんの分としてテーブルに用意された朝食の皿しかあたしの瞳には映らない。


 もちろん料理は手つかずのまま残っていた。


 いろいろ何か言いたい気がした。


 でも、口にパンが入ってるからあたしは黙っていた。


「戦、お願いがあるんだけど」


 あたしはサラダを目いっぱい頬張りながらカナタを見る。


「朝ご飯、隆弘に持っていってあげてくれる?」


「どうして、自分で行かないの?」


 ミネラルウォーターで口の中の食物を胃に流し込んだ後、あたしは訊いた。


「昨日、隆弘とケンカしちゃったから会いにくい」


「あんたみたいな大人しい子でもケンカするんだ」


「よくわかんないけど、僕が隆弘の体拭いてあげようとしたら、気持ち悪いって言われた。その後、ご飯運んでも食べてくれない」


カナタはしゅんとうつむいた。


「ほっとけばいいじゃん、そんなヤツ。ごちそうさまー」


 あたしは吐き捨てるようにそう言うと、わざと大きく音をたてて席から立った。


 何かムカついていたみたいだ。


「戦、お願い」


 カナタは慌ててあたしのスウェットの袖をつかんだ。


 あたしは一瞬振りほどこうと腕に力を入れた。


 その時すでにカナタはぐすぐすと泣きはじめていた。


 鼻をすんすんすすりながら何度も何度も「戦、お願い」を繰り返す。


 結局、あたしはため息をついて、腕の力を抜いた。


「わかった。行くよ。で、その隆弘というヤツはドコにいるの?」


「あ、ありがとう。この上の208号室にいるから」


 カナタは涙目のまま満面の笑顔を咲かした。


 あたしはぶつぶつ文句を言いながら、トレイを手にした。


「その隆弘が変なヤツだったら、トレイぶつけて蹴り入れるけどね」


「ううん。隆弘いつもは優しいから大丈夫」


「ふーん。そりゃ良かったわね。ねぇ、カナタ」


 あたしはトレイを持ったまま、カナタを見た。


「何? 戦」


「その隆弘って、生きてるんだよね?」


 一瞬の沈黙。


 その後、カナタはにっこりと笑って答えた。


「戦、変なの」


 あたしは二度目のため息を落とした後、トレイを持って食堂を出た。

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