第4話 向こう側の人
病室の扉をノックすると、返事があった。
若い男の声だ。
どうやら隆弘なる人物は本当に存命しているらしい。
何か言おうかと思ったけどいい台詞が思い浮かばなかったので黙って扉を開いた。
ベッドに横たわった包帯だらけの少年が顔をあたしの方に向けた。
年はあたしと同じくらいの特に特徴をあげるのが難しいごくごく普通の感じの子だった。
隆弘はあたしに首だけでぺこりと会釈をして、上体を起こそうとした。
でも左腕だけで体を起こすのはつらいのか、なかなか起き上がれなかった。
ちなみに右腕は点滴注射を打つためにベッドに固定されていた。
「いいよ。起きなくても」
あたしはベッドの方へ歩いていくと、朝食ののったトレイを隆弘の前にあるテーブルにのせた。
テーブルの隅には旧式のポータブル動画プレイヤーが置いてあって、画面の中では海の中をイルカの群れが泳いでいた。
隆弘は小さな声で、ありがとうと言った。
「あたしのことはカナタから聞いてるよね?」
「うん。地球から来た子がいるって聞いてる。もっとも、半分くらいは嘘だと思ってたけど」
「あたしも実際に会うまでは、あんたのこと死んだ人だと思ってた」
あたしがそう言うと、隆弘はくすくすと笑って、「無理ないね」と言った。
隆弘はあたしの予想以上にまともな精神と思考回路を持った子のようだ。
体は一人では起きることもままならないほど傷ついてるけどそれでも、あたしやカナタとは違って〝向こう側〟の人間という感じがした。
「一時間くらいしたら、食器下げに来るから」
あたしは隆弘に背を向けて、入り口の方へ歩き出す。
「あ、ごめん、待って」
隆弘の声に振り返る。
「良かったら、少し話さない?」
「あたし、何も面白い話とか知らないけど?」
「地球の話が聞きたいんだ」
「あんな腐った星のことなんて、話たくないよ」
あたしは顔をしかめて、べーと舌を出す。
「君は地球が嫌いなの?」
「大嫌い。だから、ここに来たんじゃん」
「それでも聞かせてほしいんだ。僕は君に何かを返せるわけじゃないけど、自分の生まれた星のことが知りたいんだ」
隆弘の言っていることはまともだった。
まともなのはわかるけど、あたしには理解できなかった。
「どうして、そんなに過去にこだわるのかわからないけど」
「過去が積み重なって今がある。そして、未来につながる」
隆弘は必死だった。
こんな廃墟同然の療養所で頭のおかしな子と二人きりで生きるあんたが、一人じゃ数日だって生きられないあんたが未来とか言うのかよと思った。
ため息を一つつく。
あたしはベッドのほうへ戻ると、そばにあったパイプイスに座った。
「いいよ。でも、あたし話すの上手くないから」
「ありがとう」
「あと、ちゃんとカナタのごはん、食べてあげて」
「うん」
あたしはあたしが知っている地球の大雑把な歴史と、あたしが実際に見て感じてきた地球について話をした。
当然のことながら、あたし自身いまいち実感の伴わない過去の話よりもあたしが見つめてきた地球の話の方が圧倒的に多かった。
隆弘もそっちの話の方を面白がっていたように思う。
特に学校の話になると隆弘は何度か質問をしてあたしの話を中断させた。
学校なんてテロリストかなんかに占拠されて爆破されればいいのにと常々考えていたあたしはその度に憮然とした顔を隆弘に向けた。
月で古いドラマか映画でも観て、勝手に楽しい青春学園生活でも夢みていたんだろうか。
そんなのドコにもないから。
あ、でも今気がついたけど、地球のことを話そうとすると、それはあたしの中にある地球について話すことになる。
それは、あたしのことを話すのと同じだ。
「ねぇ、君はどうやって月に来たの? もうずっと月と地球の間はシャトルが飛ばなくなっているはずだよ」
学校の話が一段落した後、隆弘は急に思いついたようにそう聞いてきた。
「あたしが施設に入ってたってことは話したわね。その後、あたしは航空宇宙科のある学校に転校したの。あたしはパイロット候補生だったのよ。ほんの三週間ほど前まで」
「随分、優秀だったんだね」
「優秀かどうかの判定基準なんて、その時、その時の比較対象で変化するじゃん。意味ないよ」
「でも、シャトルのパイロットなんてそうそうなれるもんじゃないだろう。それに訓練だって大変だと思う。君はどうしてパイロットになりたかったの?」
「パイロットになりたかったんじゃないよ。月に来たかったの。ただそれだけ」
あたしはテーブルの上でリピート再生されている動画プレイヤーの画面を眺めながら言った。
「三週間前に月の軌道上を周回航行する訓練があったの。あたしの乗ったシャトルは航行プログラムに不備があって途中で手動航行に切り替わった。でも、あたしは上手くシャトルを操縦できなくて、泣く泣く月に不時着陸した――ということになってる」
あたしは口元を歪めて、笑う。
「わざと不時着するようにしたのかい?」
「結構簡単だったわよ。10個程パスワードを突破して、引っこ抜いたモジュールを逆アセンブルしてソース書き換えて、アセンブルして新しいモジュールに入れ替えただけ。ログを消すのも内部の人間なら楽勝だったし」
流れる映像の中ではクジラの親子が海原を悠々と泳いでいた。
海がすごく青い。昔の海はこんなにも青かったのか。
「失敗したら死んでただろう。君はとんでもないことをするな。そんなにしてまで何でこんなトコロに来るんだよ?」
隆弘は呆れたような声をあげた。あたしは画面に視線を固定したまま言った。
「だから、言ったじゃん。月に来たかったの」
隆弘はふぅと息をついて、ようやく朝食に手をつけはじめた。
あたしは黙って動画プレイヤーの映像を眺め続けた。
席を立ってもよかったけど、またすぐに食器を取りにくるのは面倒だ。
動画が一度終わり、再び始めに見たイルカのシーンが再生された。
ヒマになったあたしは視線を隆弘の方に向けた。
隆弘はもう食べ終わっていた。
「カナタのことだけど」
あたしはテーブルの食器を重ねながら、前から疑問に思っていたことを尋ねることにした。
「あいつがどうかした?」隆弘は暑いのか、寝巻きの一番上のボタンをはずしながらあたしを見た。
「あの子、本当に男の子?」
「ああ、なるほど。当然の疑問だよな」隆弘はまたくすくすと笑う。
「カナタは正真正銘、男だよ。僕はあいつがほんの小さな子供だったときからの付き合いだからあいつのことはよく知ってる。いっしょに風呂に入ったこともあるよ。ちゃんと男だった」
「だったら何でいつもワンピース着てるのよ。あたし初めてあいつと会ってから三日くらいは女の子と思って話してたのよ。見た目は完璧に女の子だったから」
「あいつ可愛いだろう?」
「ムカつくくらいにね」
「あいつなりの処世術だよ」隆弘はベッドに寝転がると、ぽつりと言った。
「僕達が子供の頃はもうこの療養所は地球に見捨てられていた。患者は一人残らず死んで、その家族だけになった。残り少ない倉庫の備蓄と菜園の食料をめぐって大人達が四六時中争っていたんだ。ルールも秩序もあったもんじゃない。パンひとカケラのために平気で人殺しがおこるんだよ」
あたしは黙って、隆弘の言葉に耳を傾けた。
「子供は大人に、それも強い大人に従うしかなかった。カナタも僕もとっくに両親は殺されていたから力の強い大人に何とか気に入れられるよう最大限の努力をした。ここには女性は少なかった。特にカナタみたいにキレイな子はほとんどいなかった」
「強い大人に守ってもらうために、仕方なくってこと?」
あたしは重ねた食器を持ったまま隆弘を見る。
「最初はそうだったと思う。もっとも五つくらいの時からずっとだから、もうあいつは体以外は女の子なんじゃないかな。僕と僕の仲間達が力をつけて大人たちを全員始末してからも、あいつはあのままだったし」
「始末?」
あたしは目を細めて、隆弘に聞いた。
隆弘はあたしから目線をはずして言った。
「カナタは殺してない。あいつはずっと後方支援だった。僕は七人殺した」
「ありがとう。今のでだいたいここの歴史もわかったよ」
あたしは隆弘に背を向けて、扉の方へ歩いていく。
「軽蔑した?」
背中に声が届く。あたしは振り向いて、首を振った。
「あたしも似たようなもんだよ」
「これ、カナタに渡してやって」
隆弘はそう言うと、テーブルのポータブル動画プレイヤーからデータチップを取り出した。
「この海の映像、カナタが好きなんだ。あいつといっしょに観てやってほしい。プレイヤーなら、元々僕が使ってた部屋のパソコンでいいから」
「あなたがいっしょに観てあげればいいのに。カナタ喜ぶよ」
今度は隆弘が首を振った。
「あいつは僕にくっつきすぎる。なるべくなら他の人間とも接したほうがいい」
あたしは扉のノブを回しながら、まるでお兄さんみたいだと思った。
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