最終話 たららった、らららら、らんらんらん

 あたしは隆弘の病室に向った。


 隆弘はすでに息を引き取っていた。体中を赤黒い斑点が覆い、苦悶にみちた表情で天井をにらんでいた。


 あたしは隆弘と繋がっている点滴台を押し倒して、隆弘だった骸の顔面に叩きつけた。


         *


 菜園の広場でフォークダンスを踊っているカナタにあたしは伝えた。


「隆弘、死んだよ」


 カナタは踊るのをやめると、三メートルほど離れた場所に立っているあたしを見た。


 あたしもカナタをじっと見つめる。


 風が凪いで、カナタのワンピースの裾を揺らす。


 周囲の作物がかさかさと葉を鳴らした。


 蝉がそれに負けじと合唱を続ける。


 そこにフォークダンスの曲が混じっていた。


 音の洪水の中、あたしとカナタは黙って見つめあっていた。


 カナタは瞬きもせずにあたしを瞳に映したまま、まるで時が止まったかのように身動き一つしなかった。


 あたしもカナタをただ見つめ続けた。ラジカセがぱちんと音を立てて、フォークダンスの曲を終えた。風が止んで、蝉が鳴くのをやめた。沈黙が顔をのぞかせ、それをカナタの言葉がぶん殴った。


「殺したの?」


 カナタが無機質なトーンで、あたしに尋ねた。


「殺したよ」


 あたしは答えた。


 カナタは突然、糸の切れた操り人形みたいにがくんと膝を折って、その場に座り込んだ。うつむいて、顔を両手で覆っていた。あたしはカナタのそばに駆け寄って、カナタの顔をのぞきこもうとした。


 カナタのこぶしがあたしの顔面に飛び込んできた。


 刹那、あたしはカナタの腕を取った。


 カナタは空いてるほうの手で、またあたしの顔を狙う。


 あたしはその手も掴むと、カナタをその場に組み伏せようとした。


 カナタはあたしに両手を取られながらも、めちゃくちゃに暴れて抵抗した。


 カナタの頭突きがあたしの顎に当たった。


 あたしはカナタの腕を放して、後ろに倒れた。


 カナタは泣き叫びながらあたしの体に馬乗りになると、あたしの顔をこぶしで殴った。


 思いっきり力を入れているみたいだ。手加減なし。あたしの額に巻いてあった包帯はとっくにほどけていて、傷口が開いて血が噴出した。


 痛い。痛いよ、カナタ。


 口の中で血の味がした。あたしの目に涙がにじんでぼやけた視界に泣いてるカナタが浮かんでいた。あたしは、血を飛ばしながら言った。


「あんただけが、一人なんじゃないよ」


 カナタの攻撃が止まる。


 カナタは怯えたような表情をして、あたしを見下ろしていた。あたしは唇の端を流れる血を舌で舐め取った後、言葉を続けた。


「ありもしないキレイな思い出まででっちあげて、すがってもどうしようもないよ。そんなことしたって、ずっと一人なんだよ。あたしたちはずっと一人と一人なんだよ」


 カナタはばっと立ち上がると、あたしから離れた。


 首を横に何度も振っている。


 何を否定したいのかわからない。


 カナタはわんわん子供のような泣き始めた。


 あたしは、額から血を流し続けたまま、ベンチに向ってふらふらと歩き出した。ラジカセが置いてあった。あたしはボタンを押して、テープを巻きもどすともう一度、フォークダンスの曲を再生させた。


 たららった、らららら、らんらんらん。


 あたしはその場で踊り始める。


 人工の夏の日差しの下、汗をかいて馬鹿みたいにはしゃいで踊り続ける。


 目に見えないパートナーに必死になって満面の笑みを浮かべ、楽しそうに踊り続ける。


 カナタはぐすぐすと嗚咽を漏らしながら、しばらくそんなあたしを黙って見ていた。


 あたしは頑張って、とてもとても楽しそうに踊ってみせた。


 カナタはあたしから少し離れたところで踊り始めた。


 あたしは見えないパートナーの手を取り、くるくると弧を描く。


 カナタの長い髪が陽光を浴びて光の粒を生み出していた。


 あたしたちの距離が少しずつ縮まっていく。


 あと三人。


 あたしの心臓の鼓動が速くなる。


 カナタはあたしと目線が合うと、うつむいてしまう。


 怖い。


 あと二人。


 あたしの足が少しもつれた。血を流しすぎたのか、体が重くなってきた。


 でも、あたしは踊り続ける。


 カナタの不安げな視線。


 あたしは目を細めて、その視線を受け止めた。


 あと一人。


 カナタはずっとあたしを見ていた。


 キレイに体を動かしながら、見えないパートナーと踊りながら、ずっとあたしと結んだ視線をはずさない。


 あたしもずっとカナタを見つめていたい。ターンの時、一瞬でも姿が見えなくなるのだって嫌だ。でも、このターンをしないと、次のパートナーと踊れない。加速気味に回ってしまう。ちょっと曲からズレた。ありゃりゃ。


 カナタが微笑んだ。あたしも笑った。


 あたしは次のパートナーに手をのばした。ほんの少しだけ躊躇した後、カナタも手をのばした。


 あたしとカナタの距離がゼロになった。

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