時間の内にいること、あるいは自分

 自分らしさって何だろう。他者がいるからこそ、「らしさ」は自分のものになる、そんな風に思ったり。自分らしく生きることができるって大切なことだ。たとえ自分らしさが何なのか良く分からなくても、自分の価値観を否定され続ける生活に、心はすぐさま弾力を失ってしまうから。


 とはいえ、現実という世界は窮屈の連続、あるいは窮屈さを「正しさ」という理解のもとで押し付けられるような、そんな側面がある。理解といえば聞こえは良いかもしれない。だけれども、真に理解するってどういうことだろう。理解って、それを意識したとたんに消えてしまうものなのではないか。理解って、自然な感情に近い気もする。


 現実の世界には何かが壊れていくような、心には耐えきれないものも沢山あるけれども、現実は壊れさせてもくれない。個々の規則に目を向ける以前に、「僕」は多くの人々と同じような人間でなければならない、という規則が暗黙裡に存在していたりする。大多数の人と異なる感受性や価値観を持った人は、規則を味方につけにくい点で生きづらいのかもしれない。自分らしさを基盤にすることは生きづらさを内包している。


 心が弾力を失う前に、部屋の灯りをそっと消してみる。水槽の青白いライトだけが狭い空間を照らしていく。水の流れにユラユラ光が揺れる幻想、あるいは儚い夢。魚たちの目には、水槽の向こう側がどんな風に見えているのだろうか。自分たちの世界の外側に世界があるという感覚。この向こう側には何があるだろう。それは探求の始まりだろうか。青白い光の中で考えてみる。


 意味や価値は有限の設定の中でしか生まれないのだと思う。関心を無限に広げれば、全ての意味や価値はゼロになる。僕は一度、ゼロにたどり着こうとすることが大事だと考えている。


 昨日までと違う自分の足音が嬉しくなるといような、そんなささやかなことを大切にしていきたい。足音の先に続く未来。思い描く未来はそれほど離れちゃいないんだって、それが希望になる。どんなに曲がりくねった道でも、その先に通じる限り、歩いて行けるんだ。


きっと。


 闇に包まれた夜でさえ、希望はあるものだから。

 奇跡ではなく希望を見据えたい。

 飛べなくても不安じゃない。

 地面は続いているんだ。

 好きな場所へ行こうって、そう上向きに。


 夕空を見上げたその視界に、街灯の上で羽を休める小鳥が入る。黄昏の空に浮かび上がるシルエット。こんな時に限って広角レンズ単焦点カメラしか持ってない。だから指でフレームを作ってみる。藍色の空に首をかしげる小鳥のディテールを、しっかりと記憶に焼き付けながら、心のアルバムの1ページに添える。


――忘れないんだ。


 夢の中の時間の流れが、現実のそれと異なる様に、現実でもまた時の流れが夢のように感じられることがあって……。地球の自転スピードと僕らの時間間隔が一致していない。時間は世界の側にあるんじゃなくて、人の側にあるのだと気付く瞬間だ。


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時間を想う時 星崎ゆうき @syuichiao

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