記憶を想う時

 時間は事象の変化そのものであり、目の前に映し出されている景色や、鼓膜を緩やかに震わす心地よい音を、現在の出来事から過去の出来事と変えてゆく。


 生物学的な観点からすれば、網膜に映し出される風景も、指の先から感じるぬくもりも、緩やかな風に交じる街の音も、神経伝達物質から生じる情報に過ぎない。しかし、人は情報を高度に解釈する。人にとって情報は単なる記号の羅列なのではなく、そこから意味を受け取り、確かな情動に胸を震わす源泉なのだ。


 出来事は永遠ではないからこそ、常に儚さをまとい、その一瞬の大切さを僕たちに教えてくれる。だから大切な出来事をいつまでも忘れたくないと願う。時間の経過とともに出来事の現実らしさは消えてしまうけれども、僕たちは想起という仕方で、記憶の中に積み上げられた過去と再会することができるから。


 頭の中で繰り返し再生しながら、その時々の温かな情景を思い返す。しかし、時間がたつにつれて大切な記憶の上に積み重なっていく「今この瞬間」が過去の想起を少しずつ阻む障壁となっていく。過去の記憶と今との間に降り積もる「今この瞬間」たちの幻影に視界が霞む。


 むろん、過去へのアクセスが困難になっていくことは決して悪いことではない。「時が解決する」そんな使い古された言葉にも確かな希望が宿るように、降り積もった時間は、絶望を薄れさせ希望を見出すための糧となる。潮の満ち引きのように絶望と希望が繰り返し押し寄せることはあるかもしれないけれども、波はいずれ静かな凪となるだろう。


 穏やかな水平線の向こう側。人はやがて全ての記憶をなくしてしまうのだろうか。僕がこの世界から消えたのなら、僕の記憶そのものも世界から消滅してしまうのだろうか。


 懐かしいという感情が湧き上がる瞬間にふと気が付いた。場所が覚えているということがあるかもしれない。時間的な隔たりがあったとしても空間が記憶している。記憶は人の内にあるだけなく、世界の側にもあるのだと思う。記憶は引き出すというよりはむしろ、引き出されるという仕方で色鮮やかにいつまでも残り続ける。

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