文字は残るから。
もしかしたら永遠に。永遠に近いところまで。
人は他者から観測される情報によって成り立っている。死者は碑文や伝記、家系図や遺書といった情報によって存在を認識される。生者であれば戸籍情報や発言、論文や映像記録などがそれに当たるだろう。どれも現代社会では電子化が進み物理媒体の価値は徐々に失われている。
ならばその情報を喪失したらどうなるか。
観測された記録が失われていくのなら、その人の存在証明は不可能である。
そんな世界の延長線で、主人公の身に何が起こるのか...それはぜひとも自分の目で見て確かめてほしい。sfとして素晴らしい思考実験作品だと思う。
あらゆるものが情報化していっている現代人にこそ読んでほしい、そんな掌編だ。
カクヨムにいる全クリエイターに読んでほしい、というのが率直な読後感です。
自分が、あるいは誰かが死んでしまったとして。命はそこで終わってしまっても、その「存在」が、すぐに世界から完全に消えてしまうことは少ないと思います。
人は認識し、認識されながら生きています。出会ってきた人の数だけ、程度に差はあれ、彼らの心に自分の断片があります。自分の心にある大切な人の断片を、抱いて生きていくことができます。
人は情報を記録し、記録されながら生きています。これだけ情報化が進んだ現代なら、自分の存在の痕跡が世界中に散らばると言ってもいいと思います。
ましてやカクヨムにいらっしゃる創作者の皆さんは、それをより意識的に行っているのではないでしょうか。
いつ命が終わるか分からないような我々ですが、だからこそ、このような営みは美しく、希望を見出せるような在り方だと思うのです。
同時に、喪失と向き合わなければならない、切ない在り方でもあるのですが。
では、それらが全く意味を為さない世界になってしまったら――?
この作品で示されたのは、そんな未来です。
忘れてしまうこと、忘れられてしまうこと、存在の痕跡が綺麗に消えて
しまうこと――それは、生きる意味を根底から揺るがすような恐怖であり。それでいて、喪失の痛みのない安息でもあり。
それでも。僕はこの作品を読んで、先ほど申し上げたような人の在り方が、とても尊く感じられました。それが叶わないことを、本当に怖いと思いました。
自分よ、爪痕を、遺せ――そんな感情でいっぱいです。
……雑多な書き方になってしまいましたが。読み終えた瞬間に伝えなくちゃという衝動に支配されるような、深く刺さる作品でした。
ぜひ、この感覚を多くの方に味わっていただきたいと思います。